度々旅
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大人な行動がとれない私は、怒りやイライラは別として、嬉しい楽しい悲しいなどという気持ちを、出さずにはいられない。それでいながら、その気持ちを打ち明けた相手に、一緒に悲しんだり、喜んだりされてしまうと、心地悪い。まぁ、その相手の反応の度合いにもよるのだけれど。
世の中には、他人に生じたことに対する喜び好き、心配好きな人がおり、喜び好きはまだ良いのだけれど、心配好きってのは、案外厄介なものだ。明らかに、あなた心配しているという、そういう自分が好きなんでしょと言いたくなるときがある。そんな、人のことばかり心配したり悲しんだり喜んだりして、世の中全部をしっかり引き受けて生きていけるなんて、それは尊敬に値することなのかもしれないけれど、あたしはそういう相手が苦手なのだ。
思わず自分の喜びや悲しみを言葉にして伝えてしまい、相手がそれに過剰に反応すると、あれ、あたしはあながた思う程、そんなに喜んでいないし、悲しんでいないのではないかと思ってしまうのだ。素直でなくて、ごめんなさい。
そんな私は、相手がいつもと変わらずに、あたしの感情を適当に受け流してくれると、本当に安心するし、心地良いし、後から自己嫌悪に陥らずにすむので感謝する。そうなのだ、自分の気持ちを垂れ流しながら生きている私としては、相手にいつまでもその時の私の気持ちを考慮されて接っされると、ホントごめんなさい。あたしが、自分の気持ちを発してしまったばかりに。ホントあの時だけなの。今はもう平気なの。あの時だって、ホントではなかったかもしれないし。と思ってしまうのだ。
よく考えたら、冬休みなんてあっという間で、気づけば学校が始まるのは目の前で、正月気分なんて結局の所味わえなかったのではないかと思いつつ、正月気分ってなんだ?と思い返しながらテレビを見れば、サザエさんの家は、賑やかに、これぞ日本の正月という雰囲気で、ああ、こういう正月を送ってみたいものだと心から思い、しかしこんな正月は日本のどこかに果たして残っているのだろうかと疑問に思っていた、今日であります。
やっぱり、祭り気分はクリスマスから大晦日までのようで。そして、元旦になった途端に、ああ、とうとう年が明けてしまったと、毎年毎年現実へ引き戻され、憂鬱な気持ちで過ごしているような。
年が新しくなったところで、時がだいぶたったわけでもなく、去年のテキストの続きを今年見たところで、やっぱりわからない所はわからないわけで。結局のところ、平坦な日常は断絶などなく続いているのだなと改めて実感。しかし、それでも良いのです。断絶はなくとも、日常の旅路に突然現れる山や谷は、充分に私を楽しませ、苦しめ、やっぱり日常は平坦ではないかもしれないと思わせてくれるのですから。
とっくに新年も明けたわけですが、なんだか、大晦日からあっという間に時間が過ぎてしまい、あれ〜あれ〜というかんじで、日記を書いておりませんでした。
さて、大晦日は雪の中高尾山へ登り、がくがく震えながら頂上でラーメンをすすったのは良いけれど、楽しみにしていたコーヒー豆を持って行き忘れ、沸かしたお湯は手を温めるだけの働きを。。。そんなドジを踏みながらも、おみくじで大吉と出て、前回引いた凶はもう期限が切れたのねと喜んだしだい。しかし、雪のため結局、ご来光は拝めず。また来年だな。
そして、元旦はぐーすかぐーすか寝て、翌日実家に帰り、おじいちゃん孝行。でっかい観覧車に乗って、お〜富士山!と感激。
3日、再びアパートへ戻り、大学の友人がなぜか沼津からやってきて、駅で私を待ち、アパートまで車で送って去って行った。おい、会っていた時間は15分にも満たないよ。
と、そんなこんなで、バタバタと時間をすごし、正月なのかそうでないのかよくわからず、ただ、毎日雪が降っていたような。
さて、今更ですが、今年の目標はといえば、友人からの年賀状に書いてあった、「あなたにとって、不愉快な一年になりませんように。」が、ふさわしいような。周りにやさしい気持ちで過ごせたら良いなと。そして、大好きなものが増えることを祈っております。
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