度々旅
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木曜日、鼻水がとまらずティッシュを一箱使いきってしまった。鼻炎?風邪?もしかしてインフルエンザ?などとびくびくしながら、一応家にあった薬を飲み寝ようとしたら、頭を壁にゴチンと打ち、もともと少しあった頭痛が、ずきずきと。。。なんだか、とっても寂しく悲しい気持ちに。イカ事件以来踏んだり蹴ったりだ。 金曜日、午前7時熱をはかると、35.7度と平熱。おおお。良かった良かった。けれども、頭痛がするのでも少し寝てみた。すると、9時に熱は37.0度。なぬ?10時に37.8度・・・・。うううう。風邪あるいは、インフルエンザ確定!恐ろしい。 いつもは、ここで寝て直そうと頑張るのだけれど、インフルエンザかもしれないと思ったら恐ろしく、即効病院へ行った。 風邪ですね。という先生の言葉が信じられず、特効薬がないからそんなこと言っているんではないのか?と思い、何度も念を押したが風邪だと言われ、「ヨカッタ」と喜んでみたら、インフルエンザが流行った年の風邪も、かなりのものだよと言われた。普段風邪をひくと、喉と気管が真っ先に痛くなるのだけれど、その症状がないので嬉しいなぁと思っていたら、先生は、「これから喉痛くなるから」とか、「これから熱がガンガンあがるから」と。ううう。 ちきしょうめ。イカ以来、半絶食状態が続き、体が弱っているところに今度は風邪か。頭の打ったところもまだ痛いし。これも、節分に豆を撒かなかったからかもしれない。今更ながら、豆まきが非常にしたくなってきたのでした。ぐぅぐぅ。
旅先で現地の家族というものに触れると、いつも考えるのが、この家族が私を受け入れてくれるように、私の家族が彼らを受け入れることができるのだろうかということだ。そして、無理だな。。。と思う度に、悲しくなる。私の実家は、何かずれてしまっているような気がする。それが、なぜなのか、どうしたらそのずれはなくなるのかがわからないのが辛い。 祖父が先日倒れ、痴呆は悪化した。祖父を世話する父や母の姿を見ながら、彼らが今の祖父と同じ状態になることがいずれはやってくるのかもしれないと思うと、ぞっとする。それは、彼らの世話をしなければならないということではなく、彼らが祖父のような状態になる前に、私は何か彼らを喜ばせるようなことができるのであろうかという不安のようなものだ。 幼い頃の家族写真は、そのときにも何か家族の問題を抱えていたのかもしれないが、私の目にはズレが見えない。だから、もしかするとあの頃が一番父も母も幸せであったのかもしれないと感じてしまう。私が年を重ねれば重ねるほど、私の目に映る親の姿、特に母の姿は辛そうなものばかりだ。 そして、私自身は年を重ねれば重ねる程、ますます勝手になり、親に対して何らかの喜びを感じさせてあげられるような生き方からどんどん離れているような気がする。本当に申し訳ない。 祖父は、今88歳ではあるけれど、ここ10年は長生きしたことによって悲しみや苦しみばかり背負うはめになってしまった。私の両親が、同じようにこの先、そのようなものばかりになってしまうのではないかという不安で、時々どうしようもなくなる。 でも、親に対する不安や悲しみのようなこの何とも言えない気持ちは、結局のところ私が、自分で後で後悔したくないという、自分勝手な思いなのかもしれない。本当に彼らに笑顔を運ぼうと思ったら、簡単にできるのかもしれない。私が、私の勝手な生き方を前提に考えているから、何も方法が思いつかないだけなのかもしれない。そう思うと、ますますごめんなさいの言葉しかないのだけれど。。。
今日の日記は、汚いものが嫌いな方や、女は美しくあるべしって方は読まない方がよろしいかも。。。
風邪気味のあたくしは、早く寝ようとしました。そのときです、地獄がやってきました。もう、喘息で救急車に運ばれたときや、交通事故にあったとき、両国国技館の前で雪の中腹痛で電話ボックスの中にうずくまり、救助されたときの辛さなど、もう比較にもならないくらいの、地獄であります。
最初は、うげぇ、ちょっと気持ち悪いというくらいで、トイレで吐いてしまえばラクになるかなというかんじだったのですが、それからだんだん腹痛がやってきました。一度布団にもぐりこむものの、腹痛と吐き気がどんどこどんどこ強くなってきます。 再びトイレに駆け込み、うげぇ〜と。だんだん腹痛の方がひどくなり、便座に座り、便座に顔を向けと交代に便座便座という状況。もう、パンツを脱いだり、はいたりしている余裕はありません。あああ。このまま死んでしまうのではないかしらというぐらい、どこが痛くてどこが気持ち悪いんだかわからない状態。腰にバスタオルをまき、サークルをともにした、ウンコもゲロも掃除をした仲の友人に助けを求めるものの、どうしてもらうわけにもいかず、友人も途方にくれてる状態。時間がたてばたつ程、うごぇ〜、助けてくれぇい!失神したいよ、殴ってくれ!ってなかんじに。 救急車を呼ぼうかと言われ、しかしいくらあたくしといえども、この醜態を見ず知らずの人に見られて良いほど、女は捨てきれず、「失神したら、呼んでくれ、それまでは女でいさせてくれぇい」とわけのわからないことを、意識が遠のくなか叫んでおります。 ああ、このまま本当に失神してしまえばよいのに、そうしたら恥もなにもなく、気づいたら病院のベッドの上ってのが良いなぁと思うものの、痛さと気持ち悪さはいっこうにおさまりません。 なんとか正露丸を飲むものの、それも再びうげぇ〜。何が原因なのさ。と、いろいろ振り返りながら、夕飯に食べたイカと思われ。。。イカおばけがあたしに憑いている!と騒ぎ出し、イカを退治しろぉとのたうちまわる私。これは食あたり?と思い、なんとかはかなければと思うものの、もう胃の中のものは、ほとんど吐き出されており、何もはけない。必死に水を飲んでははき、そしてトイレにすわり。 上も下もすごい洪水です。ナイアガラの滝状態であります。そんな状態で、1時間くらい格闘のすえ、正露丸が効きはじめたようで、なんとか、布団まで戻ってこれる状態になりました。 あああ。辛い。辛い。おなかは少し落ち着いたものの、今度は体の関節が痛くなり、マッサージをしてもらいながら、ああ、イカがあたしの体をイカにしようとしている。妖怪イカがとりついたと思い込むわたし。 暖かい紅茶を用意してもらい、まだ不安なので友人に少し一緒にいてもらっておりました。格闘はじめて2時間くらい後のことです。うぐぐぐ、気持ち悪い。再び、イカが動き始めたようだ。必死に起き上がった時点で、うげぇ。友人が、私にゴミばこを渡そうとするも、何を思ったか友人は、違うあたらしい袋を探し始めた。おい!ゴミ箱でよいよ。それをくれよ!と思うものの、もう口をあけられない状態の私。ビニールが渡されそうなその時、うぼぼぼぉごほ。。。。 あぁ〜〜。途方にくれる二人。笑い事にでもしなければ、この状況を受け入れられない私たち。。。ごめんよ、友人。一緒にサークルで寝ゲロを掃除したとはいえ、サークルやめてからも、そんなことが続いて。。。 最後の吐きが良かったのか、あたしはだいぶ爽快な気分で、風呂に入り、すっきりすっきり。布団カバーやシーツをはがして、洗濯をしてくれた友人。本当に、ありがとう。この恩は一生忘れないよ。本当に、忘れないよ。これから、あなたと本当に大切にするよ。と、心の中でつぶやき、何度もお礼。 友人が、あたしを置いて帰れたのは、朝方4時。イカも、私からいなくなったよう。そして、やっと落ち着いて寝れて、今これを書くにいたる。しかし、金を積むといわれても、もうあの時間には戻りたくない。あの辛さを忘れたくなく、ここに書いているのだけれど、読んでくださったかた、ありがとう。汚い私で、ごめんなさい。とほほほ
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