度々旅
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| 2003年02月18日(火) |
彼がいなくなった日から |
自分を振り返るときに必ず思い出す人がいる。彼とは小学校で一緒だった。違う中学に進んでからも、道端で私を見つけると大きな声で遠くから呼んでくれた。 高校2年の今ごろ、彼はバイク事故でいなくなってしまった。一週間意識不明の状態が続き、そのままいなくなった。私はその間、毎日毎日病院に通った。たぶん、見舞いや心配という気持ちよりも、彼の事故に対し、あまりにもリアル感がなく、病院へ通うことによってそれを感じようとしていたのだと思う。病院では、私が知っている友人や彼の中学以後の友人が毎日ロビーにたむろっていた。私は、中学以後、彼と特別に親しくしたわけではないが、親同士が仲良かったというためか、彼の親にまるで私が彼の恋人のような言葉をかけられていた覚えがある。「大丈夫だから。君を置いていかないから」と何度も言われた。その時、申し訳なさでいっぱいだったのを覚えている。 彼がいなくなった日、それを病院で彼の父親から皆に伝えられたとき、みんなが一斉に泣き出した。自動販売機を殴りつけるものもいた。私はうずくまりながら、必死に泣こうとしていた。そんな皆に対し、彼の小学校以来の親友が涙を流さずに冷静に言葉をかけていた。私に対して「立てよ」と言った彼の声を今も覚えている。いなくなってしまった彼は、その親友に会いにバイクで家を訪ねたが不在だったため、自宅へ戻ろうとしたその帰り道で、事故にあった。たぶん、その親友はそこで泣いて暴れていた誰よりも悲しみを持っていたであろう。その彼が冷静に振舞っている姿によって、私は余計自分のリアル感の乏しさや、皆の暴れている姿を「映画みたい」と思ってしまった自分のひどさを思い知らされた。 さすがに、もう息をしていない彼と会ったときは、涙が出てきたが、その後も必死に彼はいない。彼はいない。これは現実なのだ。私は、私の友人を一人なくしたのだと自分に言い聞かせ、必死に悲しもうとしていた。
あれから、だいぶ時が流れた。今でも時々彼の家に遊びに行く。彼の写真は、いつまでも10代のままとまっている。その事実によって、私は自分に流れているときを感じ、そして彼の時が止まっていることを知る。それを思い知らされるたびに、私は私の人生を振り返り、彼の止まった時と比較する。彼には流れなかった時間が私にはある。彼には流れない時間が、これからも私にはある。私は、私に流れる時間を生きなければならない。 時間がたてばたつ程、私に流れる時間と彼に流れた時間の差が大きくなればなる程、彼がいなくなってしまったという事実を実感し始めている。そして、それを実感するたびに私は私に流れる時間を無駄にしてはいけないと思いしらされるのだ。
春という季節が苦手だ。陽気は心地よくて好きなのだが、春特有の雰囲気がどうも駄目だ。2月の終わりから、5月の連休くらいまで、なんだか心地悪かったり、寂しかったり。変化が大きな時期というのが、駄目なのだ。 今年の自分は、特別な変化はなく過ごすこの季節だが、それはそれで自分だけ置いてけぼりをくったような気持ちである。だからといって、自分に変化がある時のこの季節はもっと嫌いなのだけれど。 3月は、お別れがあって寂しく、4月は新しい風と、やる気が満ちている周りの雰囲気に戸惑ってしまう。9月が年度始めだったならば、春に対する感じ方もだいぶ異なっていたのではないだろうか。もっと素直に、春を楽しめたのではないだろうか。そんなことを思ってしまう。ついでに、入学試験もこんな時期ではなく、夏真っ盛りだったならば、辛さや苦しさが半減するんではなかろうかと思ってしまう。 そんなことを考えていたら、サークルの時の仲間からの電話。おい、勢いで結婚して1ヶ月で離婚するなよ。それも、母親以外の家族に結婚したという事実も内緒だなんて。。。相変わらず、自分の人生かけて笑いをとっているなぁとある意味感心してしまった。そして、学生の時と変わらぬバカをやっているけれども、仕事もして自分の人生を楽しんでやりたいことをやって生きている貴方はすごいとつくづく思い、元気をもらったのでした。
天気が良かったので、隣の駅まで歩いてみた。途中までは行ったことがあったのだけれど、道がカーブになっているので、その先が見えていなかった。だから、隣の駅まではもっと距離があるのだろうと思っていたら、なんだそのカーブを行ったらすぐだったのね。 目的なく歩くのは結構好きだ。昔は、親とケンカするとよく歩いていた。夜、土手を腹をたてて歩いていると、どうして自分が腹を立てていたのか忘れてしまう。母親の実家に帰ったときも、駅で親とケンカし車を降りた。祖父の家から近くの駅まではいつも車だった。だから車を降りた時、しまった・・・と思った。祖父の家までの道がわからない。車から見ていた断片的な景色を頼りに、犬と夜の道をてくてく歩いた。 間違って、港に出てしまったり、有料橋に出てしまったり。犬の帰省本能ってやつに頼ろうとも思ったけれど、犬が選ぶ道はことごとく間違っているし。。。知らない夜道は少し怖かったので、横断歩道に置いてあった、黄色い旗を勝手に拝借し、それを振りながら歩いていた。途中、車から知らない男の子たちが声をかけてきたけれど、その旗をふってみたらどこかへ行ってしまった。ああ。なんで財布も携帯も車の中に置いてきてしまったんだろう、っていうかなんでケンカしたんだ?と思いながら、歩き続け、祖父の家にやっとの思いでついた頃には、すっかりケンカの理由は忘れていた。 私が迷子になっていた間、親はさすがに数時間帰ってこないし、夜だし、知らない場所だしということで、駅から祖父の家までの道沿いにある交番に、あたしと犬が通らなかったか聞きに行ったらしいが、いい年した人間が迷子ってことはないだろうと笑われたらしい。そりゃそうだ。 そんなことを思い出しながら、昼間の腹を立てていない散歩もなかなか楽しいなぁと思うのでした。
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