度々旅
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少しづつ、生活時間が後ろにずれ始めているような。いけないいけない。 最近、アボカドにはまってしまった。あたしにとってアボカドは、数週間前までオシャレ食材だった。というのも、以前タコスのためにディップをつくろうと買ってきたは良いけれど、どうして良いかわからず、身は硬くてどうにもならないし、種があんなだし。実をスプーンでほじくってみたものの、この硬い物体から、どうやってディップが出来るんだ?と思い、すってみたり、少しゆでてみたりして、なんか食べ物ではなくなってしまった。 それ以来、アボカドってやつは、オシャレ食材で、あたしなんかが調理できるものではないのだと思っていた。 この間、それを先輩に話したら、それは熟してなかっただけだよと言われた。なぬぅ。ということで、もう一度買ってきたら、あれまぁ、やわらかいでないの。刺身で食べたら、どこかで聞いたとおり魚の刺身だった。 ということで、スーパーに行く度にアボカドを買っては試行錯誤で、調理実験。こんなお手軽なものだったのね。ところで、このでっかい種って何かに使えるのでしょうか。なんだか、あまりにもでっかい種で、捨てるのに忍びなく、ベランダの植木鉢にほおり投げているのでありました。
せっかくの晴れでも、風がびゅーびゅーふいていてとっても寒い。家の中にいても、風の音が聞こえ、外を歩けば空き缶がカラカラカラと転がり、帽子が飛びそうになる。とっても寒い。この空き缶が転がる音って、もうそれだけで寒さ倍増というかんじだ。 夕方、学校の図書館へ本を返却しに行った。もう卒業してしまった友人を連れて行ってついでに新しく出来た建物などを見てきた。二人で、もうなんだかものすごく寂しい気分になった。私たちが生活の場としていたサークル塔の横に、新しいサークル棟が出来ていた。その周りが、まるで公園のように整備されきれいだ。とってもきれいだ。きれいすぎて、涙が出そうになった。昔の風景を思い出し、もうあの頃は絶対に戻ってこないんだな、みんなで追いかけっこをして、学祭の前夜祭には泥酔して歩き回り、夜中に仲間が全裸で行進して、警備員に追いかけられたあの場所はもうないのだ。そして、昔のサークル塔には学生によって描かれた絵があり、それがある種サークル塔のカオス的状況の象徴のようなものだったのだけれど、それがいずれ消されてしまうかもしれないと思ったら、いても立ってもいられなくなっていた。友人がつぶやいた一言「闘った方がいいよ。」現に、一部学生が、新しいサークル棟建設に対して学校側と闘っていた。他大学で出来た新しいサークル用建物を視察しに行き、カードキーがなければ入れず、夜8時には追い出されてしまうということを聞いて、私たちの大学に出来た新しい建物がそうならないように、そのような建物ならば、当局側に管理されるような建物ならば建てるべきではないと闘っていた。私も、もっと彼らに協力すればよかったなと今更思ってしまった。 学部生時代に私が住処としていたサークル塔は、なんでもありで、中庭で一晩中祭りをしたり、他大学生が自由に出入りしたり、何かやりたいと思ったら他サークルを巻き込んで遊べる状況だった。学校嫌いの私が、休みでも学校に行っていたのはあのサークル塔があったからだ。自由だったのだ。そして、その中でもなんらかのルールはあった。サークル塔の住人はバカなりに最低限の節度を保っていた。だから、昼間っから酒を飲もうが何しようが良い状況だった。けれど、ここ数年学祭の前夜祭も花見も全面禁酒になってしまった。当局とケンカしながらも、サークル塔の住人たちはある意味当局と仲が良かったから、許されていたし、それを許してくれる当局側に迷惑が掛からないようにやっていたというところが多々あった。けれど、その迷惑が掛からないようにという部分が欠如しているサークル塔に入っていない一部サークルが、ルールを無視してしまったために、学校側も絶対的なルールを掲げそれを守れと私たちにせまってくる状況になってしまった。とても悲しい。そして、新しくできたサークル棟には、今までサークル塔に入れなかった人たちがやってくるという。どうなるのだろうか。一体になって、今までどうり仲良く遊べるのだろうか。それとも新しいところに対する管理の厳しさのしわ寄せが、私たちのサークル塔にもやってくるのだろうか。 新しい建物を素直に喜ぶべきなのだろうけれど、どうにも悲しさとやるせなさでいっぱいだ。
1月初めに倒れ、入院していた祖父が病院から退院した。病院からは2月の初めの時点で退院を即され、ねばるだけねばっての退院だ。入院前の祖父は自力で立って歩くことができたが、車椅子を使わなければならなくなってしまった。介護度も上がり、これ以上家での介護は母が壊れてしまうということで、入院期間に祖父を施設へ預けることを話し合った。祖母を預かってもらっていた老人保健施設が非常に親切だったので、そこに預けたく思い相談をしてみると、3月半ばにはなんとか部屋を空けてくれるとのことだった。しかし、病院はそれまで待ってくれないので、今週の土曜日に退院をさせ、自宅で2週間程面倒をみて、それから施設へたのむことにしていた。 決めた施設がいろいろ調整をしてくれている間に、念のために他の施設へも見学へ行っていたのだが、その中の一つから急に連絡が入り、ベッドが空いたのですぐに受け入れると言われ、病院の方は早く追い出したいわけだから、その施設へ入ることにさせられてしまった。施設側は祖父の介護度が上がったということで、急遽受け入れることにしたのだろう。 祖父を連れていくと、祖母がいたところに比べると、やや不安が残りはするがしょうがない。 以前祖母を預けていた施設へは、毎日家族の者が通うようにしていた。今回も、それができるように出来る限り近場で選んだ。施設に預けるというと、一緒に住んでいる家族がいてなぜ預けるのか?などと平気で言われることがある。別に施設に預けたからといって、その家族を見捨てたわけではない。家だろうが、施設だろうが、愛情を持ってその家族に接することができる選択をするのが大切だと思う。 この家族がどれだけ愛情を持っているかによって、施設側の対応も変わってくる場合がある。祖母を預けていた施設が、祖父のためになんとか調整して早く部屋を空けるようにしてくれたのも、祖母を施設へ預けっぱなしにせず、施設側と密に連絡をとっていたためだ。その施設では、祖母がなくなった後も、祖父の痴呆についていつでも相談にのってくれていた。施設に預けるというのは、介護を放棄するということではなく、介護協力者を得るということなのだ。介護は、一人でも、一つの家族だけでもできない。理解のあるたくさんの協力者が必要だと思う。
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