度々旅
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予想外の出来事がおきて、少し心が不安定になっている。高校卒業間際のドロドロの余波がやってきたというかんじだ。そのドロドロは、私にとってはもうどうでも良いことで、まるでなかったかのようにすごしていた。ああ、もうそういう女同士の面倒くさいことや、友情という言葉を振りかざして、いろいろ介入されるのはごめんだと思っていた。 けれど、その時私と問題を起こした当事者とその周囲は、どうやらあたしのことをずっと気にしていたようで。あたしさえ良ければ、また仲良くしたいと思っているらしい。ま、そんな過去を穿り返すというか、あのままの延長の感覚がこもっているメールがやってきた。 メールの当事者は、私を知らないところでかばってくれていた人なのだけれど、ま、彼女の結婚式に私やその彼女たちを呼ぼうとしており、あたしが適当な理由をつけて行かないと返事することを彼女は予測しており。そんなあたしが、昔のことを気にしているか、していないか知らないけれど、あたしと問題起こした人たちは、あたしと仲良くしたがっている。気にしているよと、教えてくれた。 かつては私も、問題を起こした人たちと、何かのきっかけがあればまた話したい、また一緒に笑いたいと思っていたとは思う。けれど、今もそういう気持ちがあるかは疑問だ。そして、彼女たちがあたしと会いたいならば、本人が連絡してくればよい。それを、他の友人から私を彼女たちが気遣っているよというのを聞かされると、こちらとしては、まるであたしが一人で悲しみにくれたり、怒ったりして、皆から遠ざかったようで、皆を遠ざけているようだ。あたしを腫れ物に触るように扱っているようだ。あたしは、もうあんな面倒なことは、たくさんだと思ったし、私には私が何も言わなくても私を守ってくれた友人がいたし、その友人たちは、自分が私のために何をしたかということを私に対して恩着せがましくまったく言ってこなかった。あたしは、守ってくれたということを、数年後にたまたま聞いたという形だった。けれど、私と絶縁状態にある人たちは、私と問題を起こした当事者の間に入って「友達なんだから」とかいうわけのわからない言葉で、何も理由を言わない私を攻め立てた。私としては、ああ、友達だ友情だとかいう言葉を使えば、なんでも済まされると思っているヤツって恐ろしいなとだけ思った。 結婚式に招いてくれている友人は、私をとても大切に思ってくれている。そして、私も彼女と同じように彼女を大切に思うことができる。けれど、そこには何か決断がいるような気がする。その式での再会をきっかけに、私と絶縁状態の彼女たちが、何かの形で接することを望んでくれているようだけれど、私は、再びあの人たちと接することによって、自分が壊れてしまうのではないかという不安がある。再会したときに、自分が何を思うのか、どういう反応をしてしまうのか予測ができない。予測が出来ないということは、望んでいないんだろうな。それに、あたしさえ良ければ仲良くしたいの、仲良くってなんだ?という疑問が残る。それって、自己満足に付き合わされるだけのような気もする。 そんなこんなで、非常に情緒不安定に。あの頃、唯一あたしが逃げ場になった、私がすべてを話した相手にまた逃げ込んだ。その人はあの頃と変わらず私の絶対的な逃げ場になってくれた。それによって、また少し安定してきたのだけれど。 そして思ったことが、再会問題と式への出席は別問題で、あたしが祝いたいという気持ちがもっとふくらんだら、式に行けば良いという、なんとも簡単なことだ。そう、こういう簡単なことさえもう判断できないくらい、私は不安定で、どうしようもなくなっていたことを実感し、それを数行の言葉で安定させるお兄ちゃん。あなたがいてくれて、あたしは幸せだと思うのでした。
予備校時代に一緒だった友人から数日前に届いたはがき。「ヒマでヒマで死にそうなら、死んでしまう前にほんの少し時間を下さい」という、文章。裏を見ると、写真展のお知らせ。3年くらい連絡を彼とはとっていなかったような。こういうのって、良いなと思った。彼から葉書が届いたのは、これで2回目だ。前は「NYの飯はまずい」の一文がつづられた葉書が、アメリカから突然届いた。アメリカに旅行で行ったのか、留学なのかもわからなかったけれど、イキなことするなと思った。 彼が、写真をいつ始めたのか、本職でやろうとしているのか何も知らないけれど、あたしに見てほしいと思ってくれたことが嬉しくて行ってみた。もちろん、その写真展には彼はいなくて、私も見た後に彼に感想をわざわざ伝える気もなくて、ただ記帳の時にだけ、「今の私」を伝えながら自分の名前を描いてきた。 なんだか、不思議だなと思った。そして、友情だとかいろいろ語るような関係よりも、私には非常に心地よくて、互いの今を本人不在で交差させているかんじが良かった。現実世界で場と時を共有しなくても、はっきりとはわからないものを互いに交換しているようで、あたしと彼それぞれが持っている箱の中には、同じカブトムシがいると感じれた。 その帰り、初めての白金から逃げるように歩き出した。そして、東京タワーを見つけて、初めてついでに下まで行ってみた。それから、大門まで歩き、そこから電車で新宿へ。食事の後に、末広亭の前をとおり、久しぶりに深夜寄席に行きたくなった。深夜寄席は、昼席や夜席などと違い、名が知られていない芸人が多く出ている。時々当たりがある。客が普段よりも少ない。そして、客席と高座には妙な緊張感が流れている。こちらは、寝ないように頑張ろう、笑おうという気迫が漂っていて、高座からは、寝るなよ、勉強させろよという無言の圧力みたいなものが感じられる。その妙な雰囲気が好きで行っていたようなものなのだけれど、久しぶりに行った深夜寄席は、結構人が多くて驚いた。ちょっと、かつてのような雰囲気とは変わり、気を使わずに笑えるようになっていた。
お友達からのメールってのは、読んですぐ返事を書かないと億劫になるものだ。なんだか、返事が遅れた言い訳などを考えてしまう。よく見ると、あたしが返事を遅らせるメールってのは質問系のメールが多いことに気づいた。そうか。質問に答えたくないから、あたしはすぐに返事を書いていないのか。けれど、答えたくないって返事をするわけにもいかないわけで。うぬぅ。一番困るのが、前から書いているけれど、いつ暇?って質問で。毎日暇といえば暇で、毎日忙しいといえば忙しいわけで。このメールに答えるのが一番面倒くさい。 そこで、気づいたのが、うちの教授のメールだ。用事があるとき、「○○の用件でお話があります。伺いますのでご都合が良いときを教えてください。」などとメールを送る。けれど、返事がいっこうにかえってこない。あれ、メール見ているのかな?と不安になったり、何か機嫌を損ねるようなこと書いたかなと思ったりしてこちらはドキドキだ。そして、数週間後に「明日学校に行きます。」などと返事が返ってくるのだ。そうか。この手があったのか。普通ならば、忙しいならば忙しいなどとすぐに返事を送ったり、当分学校には行かないし、時間はさけない、時間が出来たら連絡するなどと返信をしてくれそうなものだが、あたしは、都合が良いときを教えてくれと言っているので、教授は、時間をあたしのためにさけると明らかになった時点で、私に返信をしているのだ。よく考えたら、教授も私も、研究というか勉強というか、それを毎日やらなければならないわけで、暇な時間などないわけで、けれど乗らない日ってのがあるわけで、それがいつくるかわからないわけで。そして、用事があるならば、それは一度に片付けたいわけで。となると、最終的にあたしも教授の方法で、メールの返信をすることとしようと思ってしまった。 けれど、この方法って相手も同じような環境でないと、失礼になったりするんだろうな。
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