度々旅
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自分が今立っているところを確認。
自分が今まで歩いてきた道を振り返る。
そして、また自分のいる場所を確認。
今まで私を育て生かしてくれた人を思い浮かべる。
今周りにいてくれる人の温かさを感じる。
自分が愛しいものをひとつひとつ数える。
これから歩いていく道を少しだけ覗き見る。
自分の中からこみあげてくるよくわからない気持ちに少しだけ涙する。
そして、感謝する。
名のあるものも名のないものも、 目に見えるものも見えないものも、 触れることがきるものもできないものも、 遠いところのものも近いところのものも、 全部全部ありがとう。
あたしがここにいるのは、すごいことなのだ。
今日はどん底鬱状態。けれど、一年分ということで、雨と一緒に流してしまった。 何はともあれ、感謝感謝。多謝。
追記 まぁ、こんな一日もあるもので。朝起きて、どうしようもなくて、院生になってから寝坊以外で、初めて授業さぼりました。けれど、夕方降り出した雨と、ゴロピカ雷によって、だんだん気持ちは復活し、大切な人からの久しぶりのメールで、完全復活。その人とは、10年近く付き合っているけれど、会った回数にしたら、10回もないのではないでしょうか。なのに、アメリカ旅では家に泊めてもらったり、本をいろいろもらったり、大切な言葉をたくさんもらったり。世界中の人に嫌われて見捨てられても、見捨てられたくない相手。とても大切な人。今のようにメールではなく電話で連絡をとっていた頃は、不思議なもので、あたしから電話がくる日は察しがついたそうな。あたしのことどうしているかな?と思うと、その夜にあたしからの電話。あたしも、今日のようにどうしようもない状態になると、なぜか連絡をもらっているわけで、これはもう見えない糸のようなものがあるのだなきっと。出会いもとても偶然なので、いつきれても良い関係なので、現実の世界で共通する場を持ったことがないので、こうやっていつまでも心で互いが欲していること感じあえるのかもしれないな。というより、あたしが欲している気持ちを相手が感じてくれているのかな。その人には、あたしがどんな大人になるか楽しみって言葉を何度ももらった。まだまだ楽しみにしてもらっている程の人間に成長はしていないけれど、この人に大切にしてもらっているあたしは、きっとなんとかやっていけると自分を信じることができる。そうやって、あたしはたくさんの人に大切にしてもらって、多くの人に生かされている。そして、また新しい一年が始まる。
例年通り、辛い季節。この時期は、毎年不安定。けれど、やることはわかっているから、自分で必死に立って歩くだけだ。その年度の1週間の予定もなれて、それに慣れるためにごまかしていたもののしわ寄せの時期なんだろうな。 教授が自分のことを1週間のうち2日頭が働けばよい方で、あとはうつ状態だと言っていたけれど、あたしも同じようなものだ。その数日を逃さなければよいと思って、ここ数年やってきた。全体的に、そういう雰囲気が蔓延している学科だ。まぁ、院生なんてそんなものかもしれない。半年くらい見なくなる人もいるし。みな、それぞれ苦しんでいるんだなと思う。 その苦しむ方向性が問題なのだろうな。
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