度々旅
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本当に正月なのか?と疑いたくなる程、正月気分ではない。うむぅ。昨夜、正月気分を味わうべく年が明けてから神社にお参り。すごい混雑ではあるのだけれど、なんだかなぁ。。。やり直したことがあると、あんまり正月って気分になれないのだなと痛感。それに、暖かいし。もしかすると、私にとっての正月はおじいちゃんと戯れることで、おじいちゃんとおめでとうと言い合わないと実感がないのかもしれん。 今年の目標は、論文を書くことそれに尽きる。おみくじを引いたら小吉。旅は、南方がよいらしい。学問は、困難で、一心に勉強せよとのこと。その他もろもろは、人に助けられると書いてあることが多かった。なんか、あたっている。いつも、あたしは人に助けられている。一心に勉強せねばとも思っているよ。旅は南を考えている。もしかして、おみくじとは、私がこうすべきだと思っていることをただ保証してくれるだけのもの? 神社から帰ってきて、甘酒をだらだら呑み、朝生をみた。そういえば、割れポンはやらなくなったのだろうか。 昼間、人生の半分以上をともにしている友人と会う。小学校の時にも、元旦から一緒に出かけた覚えがある。彼女と元旦からお茶を飲むとは、縁起がよいような気がする。私が「年賀状が3枚もきた」と言ったら、彼女はとうとうゼロになったとのこと。こういうところが一緒だから、ずっといるのだなと痛感。 とまぁ、正月気分ゼロと言いながら、明日から親と温泉。論文が書けなかった私は、もう親に従うしかありません。親と旅行なんて、何年ぶりだろう。何を話せばよいのだろう。なんだか、やけに緊張してしまうのでありました。
まったく年末気分なく、あれよあれよと12月は過ぎていきました。今年提出のはずだった論文、けれど夏くらいから今年は無理だなと思っていた論文、こんな大きなことをやり残しているのだから、一年の終わりがやってきたなんて実感がないわけです。 今年は、自分が置かれる環境の特別な変化はなかったものの、嫌なことばかりで、途中投げ出しそうになったけれど、投げ出せるはずもなく、後半はひたすら早く今年が終わってくれればいい、もう何もないで欲しいという気分ですごしておりました。 1月に祖父が倒れ、2月に食あたりになり、3月にクビがムチ打ち状態になり、4月に肺に影があると脅され、5月にパソコンの調子がおかしくなり、6月7月は鬱状態で、8月に5月に買ったラジカセが壊れ、9月に完全にパソコンが壊れ10月にぎっくり腰・・・・・・。 本当にひどかった。けれど、どうやらあたしの仲良しさんはそういう人が多かったらしく、裏厄年でもあるんでないかと思った。 とにもかくにも、なんとか無事に年を越えることができそうで、安心でございます。そして、だいぶサボり気味であったこの日記。お付き合いして下さいましてありがとうございます。 皆様にとって、来年が素敵な一年になりますように。そして、私はせめて今年よりよい年一年でありますように。
♪一足早めにHPのトップをお正月のご挨拶に更新 更新もこれまた久しぶり。
実家で犬の散歩に土手を歩く。幼き頃、小学校の校庭はとても広く感じたが、今みるとそれ程広くない。そういうものがたくさんある。そういうものの中で、この土手だけは相変わらず広いままだ。大きいままだ。あたしの原風景はこれだと毎回思う。 祖父は、もう私のことを認識することができない。現在の施設は、ほったらかしにしておく場所なので、父母が毎日通って車椅子を使って体を動かせている。その甲斐あって、車椅子に腰掛けながら、足で車椅子を漕ぐように前進するようになった。やっぱり、声をかけ、甘えさせず、動くようにさせるのはよいのだなと。食欲は旺盛。もりもり食べている。動いている姿や、食べている様子はぜんまい仕掛けの人形のように見えなくもない。 クリスマスプレゼントにあげた靴下を、食べものと間違えて口にしようとしていた。それさえ、もうかわいく見える。3度くらい、「じいちゃん、クリスマスプレゼントだよ」と渡しては、袋を開けさせた。毎度反応が異なり、時々やけにクリアになり、少しの笑顔を見れた。 施設にいる年寄りは、預けたまま、まったく家族が来ない人もいる。父母は、そんな年寄りみんなに声をかけて、「〜さん元気?」なんて話しかけている。祖母も見てきたので、父も母も呆け老人との付き合いは慣れたものだ。壊れた人間を、人間としての優しさをもって接することができる父と母をみて、自分もああなりたいものだなと思った。 祖父の爪の色はとても綺麗な色をしていた。
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