徒然日記
Toy



 センチメンタル

あの人と会ってから何年経っただろう。
今朝、初めて夢に出てきた。
変な夢だったけど、悲しい夢だった。

今日は会社の人の送別会だった。
そのせいもあってか、
今日の酒はちょっぴり感傷的にさせてくれる。

悪い酒だ。


2002年10月18日(金)



 宴の後

昨夜はフジテレビでのF1放送を見ながら
いつの間にか眠っていた。
一体誰がTVを消したのだ??
ドアのトラップには変化がなかったから
多分自分で消したんだろうが、
記憶がない・・・。

目覚めは妙に爽やか。
8時過ぎにちょっと遅めの朝食を取りに
またもや「みなみ」に行き、きしめんを食べる。

会社の人と自宅へのお土産を買い
新幹線の時間を確認。
名古屋から小倉まで直で行くのは
全席指定の「のぞみ」が1時間に1本。
自由席のある「こだま」は4時間に1本。
荷物も多いので、乗り換えはしたくない。
もうちょっとのんびりしていたかったが、
10時30分発の「こだま」に乗ることにする。

そして4時間後、小倉到着。
ハードで楽しかったF1も終わってしまった。
充実感とちょっと物悲しさが残った。


・・・明日から仕事かぁ〜

2002年10月14日(月)



 決勝当日(長文必至)

目覚ましよりも早く目が覚める。
まだ外は闇である。
5時40分にはチェック・アウトを済ませたい為、
急いで朝食を取り、身支度をする。

5時50分、発車。
白々と空が明るくなってくるにつれ、
辺りが深い朝もやに包まれているのに気付く。
まだ6時前だと言うのに、
長袖1枚で充分なほどの暖かさ。
昨日同様、日中はかなり暑くなるのだろうか。

バスの中でうつらうつらしていると
1時間ほどで会場に到着。
まだ7時前後だと言うのにぼちぼち人がいる。
何となく店を冷やかしながら早々に席に着く。

とにかく暑い。
9時前には堪らずビールを飲む。

10時からのフリー走行。
コースアウトするマシン続出。
Tカーに乗り換えるドライバー続出。

10時55分からのFD(フォーミュラ・ドリーム)の決勝。
2周目スプーンカーブで
テールトゥノウズの4番手争いしてたマシンが
前のマシンに乗り上げ宙を舞う。
縦に何回転もしながらカメラに向かって転がってくる。
赤旗中断。
ドライバーの一人がコックピットから自力で出てこず、
救出作業が続く。
そのまま、FDの決勝は中止。
ドライバーの安否は不明のまま・・。

14時30分、F1決勝。
マクニッシュは朝のフリー走行には出てたが、
その後の検査で結局ドクターストップが出る。
スタート・グリッドにマシンを持っていくとき、
フィジケラのマシンがエンジンブロー。
急遽、琢磨仕様のTカーをセッティングしなおす。

そしてスタート。
接触もなく目の前を走りすぎていく。
ミハエルは別次元の速さで見る見る他車を引き離す。
もはや、一人旅状態。

ホンダエンジン、4台中3台がリタイヤ。
ジャック・ビルヌーヴのエンジンブローを見たときに
誰もが琢磨のマシンを心配した。
琢磨8位走行、琢磨の前を走ってたルノーの1台がリタイヤ。
もう一台のルノーをかわし、6位入賞圏内に。
その後、前を走ってたウィリアムズのラルフ・シューマッハが
エンジンブローで消える。
この時点で5位となる。
観客も大喜びだが、場内アナウンスの人も
「つい喜んでしまいました!」とコメント。
思わず笑ってしまった。
誰かが「あと2人リタイヤすれば・・・」と言ったが、
そんなんで表彰台に上っても・・・嬉しいか。

最後の7周はとても長く感じた。
他のホンダエンジン同様、ブローする恐れもある。
コースアウトするかもしれない。
目の前を琢磨が走るたび、
「そんなに攻めて走らなくても」と
ハラハラしていた。

ラストの周回、とにかく走りきって欲しい、
チェッカーフラッグを無事に受けて欲しいと
ただそれだけ祈った。

そして、無事、5位入賞。
大歓声。
1位2位をゲットしたフェラーリには目もくれなかった。
アナウンスも似たような事を言ってた。

まるで優勝したかのような喜び。
表彰式の前に琢磨のインタビューが場内に響いた。

今回の主役はなんと言っても佐藤琢磨だった。
凄くエキサイトしたし、楽しかった。
場内の観客も妙な一体感があったように思えた。
気持ちよかった。
いつまでも余韻に浸っていたかった。

今年でF1ツアー参加は止めにしようと思っていたが
またもや火が点いてしまった。
来年も、一人でも行くぞ!

2002年10月13日(日)
初日 最新 目次


My追加