天体と自分の体調が連動しているわけではないけれど、一年で日照時間が一番短い冬至の日、私は熱を出して2日間寝込んでしまった。
はじめ、一日中パソに向かって暇つぶししていたら、どんよりとした腰痛があって、いやな予感がした。いやな予感といっても、クリスマスと旅行を控えているので、腰を痛めるわけにはいかないなぁ……といった程度のことなんだけどね。
で、普通にパソ机に向かって座っているのもしんどくなってきたので、何気に脈をとってみた。やや、早目。これって、動悸? と思ったけど、一応念のために、熱を測ってみたら、37、8℃。
温度計のデジタル表示を見て、急にベッドにぶっ倒れてしまいました。 「もう、私、だめ……」って。 それまでパソ前で、結構元気にしてたんだけど。
夕方にパパに電話をしたら、早めに帰ってきてくれました。 悪寒がしたと思ったら、夜中には、熱が38,5℃まで上がってたよ。
パパは隣の私の熱で熱いのか、おふとんを一晩中はねのけて寝ていました。そして、翌朝、パパが子供達のお弁当を作ってくれました。感謝。
この発熱、私、今年一年の疲れが出たんだろうな……と思った。 クリスマスは、ディナーに出かけるので、来客の予定はなしだけど、クリスマス明けは、大晦日まで旅行の予定。 年末はそれこそ寝込んでる暇などないのだ。
丁度今週、何も予定を入れてなくて、ぽっかりスケジュールが開いていたから、気が抜けたんだろうな。ふっと。身体を休めるなら今のうちだぞ、って。
今年は、ずーっと忍耐の年でした。 一年間、お疲れ様、祐子。 来年は、なにがしか報われるといいね。
昨日の日記で、我が家は朝日新聞を定期購読していると書いたんだけど、そういえば、最近、ろくすっぽ新聞紙面なんか見ていないぞ……とおもって、今朝時間をかけて、過去一週間分ぐらいをまとめ読みした。
大まかなニュースは、ネットやテレビで見聞きしているから知っているけど、詳細は、やはり活字の細かい文字を読まないと頭に残らない。読んだ端から忘れていったりもするけど。
ま、そんなことはどうでもいい。
12/15付の朝日新聞で、第4回大佛次郎論壇賞の受賞者インタビューと選評が載っていた。
私、はっきりいってこの賞には端から一切興味はない。そもそも学者が受賞する賞なので、紙面を眺めてみたけれど、なにについて書いてあるかすら全く読み取ることはできなかった。
ただ、この賞、朝日新人文学賞という、100〜300枚の長編文学賞の募集時に、いつも並んで募集広告を出しているので、数年前から知らないこともなかったのだ。
で、世間一般の人にしてみれば、一般常識中の常識なのかもしれないけど、ワタクシ、この「大佛次郎(おさらぎじろう)」という作家、てっきり読み名を「ダイブツジロウ」だと信じ込んでいた。ちなみに、私のパソでは「おさらぎ」という一発変換はできない。パソも利用者も大バカもんなのだ。
本屋で、文庫本の黒い背表紙に作者の名前を見たことはあっても、手にとってぱらぱらめくってみたことも今までに一度もなかった。
* * * * * * * * * ここで、4年前のエピソード。 ドイツからポーランドに異動になる前に、実家にしばし一時帰国していたことがあった。3月なのに、雪がたくさん降った寒い春先だった。
うちの父は、かつて大学で文学を勉強していたので、書棚に数種類の、パラフィン紙に包まれているような文学全集というものを持っている。学生時代に苦学して買い揃えた初版物もあるそうだ。
で、その中の日本近代文学全集の一巻に、「大佛次郎集」というのがあった。以下、埃だらけの本棚の前での、父娘の会話。
私:「ねぇ、おとーさん、このダイブツジロウっておもしろい?」 父:「え? どれ?」 私が指差した背表紙の金文字を父が見る。
父:「こら、なにいうとる。これはダイブツジロウじゃなくて、オサラギジロウって読むがじゃ」 私:「え?! がははは。ダイブツじゃなくって、オサラ? オナラ〜?! ぷ〜ぅ」 ここで、お尻を浮かせておならをするまねをしてみる。
そしてお尻に手を当てて、 私:「ギ、痔ろう〜?! いててぇ〜。ぎゃはははは〜」 とわざと、「次郎」と「痔ろう」のイントネーションを変えて発音してみた。
父、いきなり拳骨で私を叩く真似。素早く身をかわす私。セーフ。 父:「ったく、イマドキの若いもんは、大佛次郎も知らんもんなのか……」 私:「三島とか川端知ってたらそれでいいでしょ? で、この作家、おもしろいの?」 父:「一昔の大衆作家では代表的だろうな、お父さんはよく読んだけど」 私:「へぇ〜、そうなんだぁ〜」
以降、呑気で低レベルな会話を交わしながら、それぞれ自分の目に付いた本を手に取って、父娘並んでその場で静かに本を読み込んだ。
父、66歳。娘、36歳の春先。 会話だけピックアップしたら、娘の頭ン中、小中学生並だよな。
2004年12月20日(月) |
日経新聞「私の履歴書」をカモフラージュに |
質問:日経新聞はまずどこの紙面から読みますか?
勿論、一面から読む人? ……しーん。
じゃ、一番最初に後の文化面から読む人、手を挙げて? ……ん? あれ、誰も返答なし?
ふふふ、私知ってるよ〜。 ホントはこっそり、最終頁の渡辺淳一の連載官能小説「愛の流刑地」を読んでるんでしょう〜?
「いや、僕は『私の履歴書』をいつも最初に読むから……」と強がっていた人約1名知ってるけど。ホントはその下の欄から読んでるんでしょ?! 正直におっしゃいネ!
うちは朝日新聞を定期購読しているから、日経新聞は読むことはないんだけど、この新聞連載小説、失楽園以来、以上の官能小説ということで、最近いろんなところで話題になるので、私もちょっと前から気にはなっていた。
で、先日、クライマックスの直前の2話ぐらいを見る機会があった。
ふーん。爺さんの書く幻想官能小説か。オクテなおっさんは、これを読んで想像力膨らませてせいぜい朝から喜んでくださいまし……ってなかんじ。 私、男性作家の官能小説は、神崎京介ぐらいしか読んだことがない。 神崎氏はまだ若いので、主人公の若さがみなぎっているせいか、性というものは、「愛欲」というより、「情欲」ってな感じだけど、渡辺爺さんあたりだと、体力的に若さにかなわない分、女性に対する決め細やかな描写や官能を表現する視点が作風に生きてくるのだろう。
しっかし、あの連載は、作者と編集者の共謀というか、何なんでしょうね。 日経新聞に毎朝あの手の小説を載せれば、確実に購買部数は上がるでしょうよ。インターネットで、小説の連載が読めるのかと思ったら、読めないみたいだし。読みたければ、日経新聞を買ってくださいってことでしょう。
そして、その手のシーンを引っ張る引っ張る。 なんですか? あのすかすかの文体と行間は。改行だらけ。一話があっという間に終ってしまうじゃないの。中身も何もないまま。次を期待して、また翌日買っちゃうわけですよ、日経新聞。いつもは違う新聞買ってても。
そうやって、連日そのシーンでひっぱって、読者に期待させてキオスクで新聞を買わせようという製作者側の魂胆なのでしょうね。満員電車に揺られるおじさんたち、まんまと日経新聞の術中にはまってます。
ところでさ、各業界の著名人というものはファンもつくだろうし、いろんな人と知り合う機会も多いから、何歳になっても常に注意散漫的にお手軽な恋愛を繰返して、人生を楽しんでいるんだろうなと思う。
例えば、それが恋愛小説の作家であれば、今までの女性遍歴の集大成でもいろんなバリエーションの女性の人物像ができるかもしれないけど、やはり、主人公の女性のモデルには、特定の女性にピントを絞って、そこに愛情と集中力と維持させないといけないことであろう。
この話に出てくる女性達にも確実に実在のモデルがいるはずだ。しかも、現在進行形もしくは過去完了形のお相手で。一作を仕上げるためには、素人には計り知れない体力、精神力、それに相当な執着心を必要とするに違いない。
ま、あたしゃ知ったこっちゃないけど。 話の成り行きと感想は、周りの日経新聞読者に伺うことにしよう。描写のディーテールまでよろしくねん。実体験で再現する必要ないけど。って今、あなた、全身硬直したでしょう? ぎゃははー。
さてと、「愛の流刑地」単行本になったらどうしようかな。買おうかな。それとも、文庫本になるまで待とうかな。 「失楽園」は流行に乗りそびれて文庫で買ったんだけどね。
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