2005年01月02日(日) |
イタリア旅行記その3 |
旅行中、パソに向かえなかったので、今日は一日中、何か書きたくてしょうがないの。たて続けに旅行記その3。
その2は、日付が前後するけど、12/30付けで書きました。 このずっと下にありますから読んでね。
で、アカデミア博物館 ミケランジェロ作「ダヴィデ像」 これを書かないことには、次の朝を迎えることはできませぬ。
うちの理人(小5)は、「エロ像」見て何がおもしろいんだか……。 とダヴィデ像を見て冷めた態度でいいます。 おもろいじゃん。 あんたらが根っから大好きなおちんこ丸出し像だよ。
「現物だったら、ワイセツブツチンレツザイでタイホするー!!! なのにね〜」って、そりゃあんた、コロコロコミックのノリでっせ。 ほらほら、理人、清二、ふざけないの!
でね、フィレンツェを代表するこのミケランジェロのダヴィデ像。 いたるところで実物大の複製をみかける。 今から思うと、複製なんて、なーんの有難味もない。
私も、ほぉ〜と唸って股間を見上げて、こっそり腹の中でほくそえんだりしてたんだけど、実際に、アカデミア博物館に足を運んで、ドームの中の本物のダヴィデ像を見ると思わず言葉を呑んでしまったよ。本物には、不謹慎で興味本位な含み笑いなど絶対にできないものなのだ。 いうまでもなく、芸術性が完全にエロスを凌駕している。 実際に目の当たりにすると、その芸術性に感動を覚えるものだ。 だからこれほどまでに有名なんだと思うけど。
ダヴィデ像は大きいから、背の高い男性という先入観があったけど、実際に手足が大きいことと、脚や腕が力強いことから、モデルは小柄で筋肉質のがっしりタイプなのだろうなと思われる。
写真ではいつも正面写真だから、実際に足を運んだ人しかわからないことだけどねぇ、勿論、後姿もいいんだよぉ。まじで。
十分な肩幅に、きっと引き締まったお尻。うへへ〜ってなかんじ。 芸術性がエロスを凌駕しているはずだけど。。。時々その逆もありうるの。
ながーい時間、ダヴィデ像を見上げていました。私。
ぐふふ。ぐははー。ぎゃははー。 ええい。書いちゃえ〜。もう、ここまできたら黙ってらんないや。
祐子さん、ダヴィデ像を観ながら、いろんなことを想像して、思いを巡らせていたんですよぉ。まぁ、祐子さんのことだから、考えることといったらあっち方面の突飛なことなんですけどね。
やがて。やがてのはなしですよ。 パパと私だったら、絶対に私の方が寿命が長いと思うんですよ。 だから、やがて私は、未亡人になる。 そして、私の想像では、そのころには、一人では使いきれないほどのお金が懐に舞い込んできているの。どういう金回りか知らないけど。
で、お年を召しても若々しくてパワフルな祐子お婆様、有閑マダム的に思い切り暇とお金をもて余しているの。そのお金でいろいろ慈善事業とかに携わったりしてるかもしれないけれど、たまには自分自身のためにほんの少しだけ心の贅沢をするの。
例えば、ダヴィデ像的な筋肉質の体型を持った若い男の子をホテルの一室とかに呼びつけて、その肉体をまじまじと愛でるの。ダヴィデ像と同じポーズをとらせて。
祐子婆さんには、そのころには性的な好奇心など既にないと思うから、ただ、均整の取れたすばらしい肉体を心と目で鑑賞するだけなの。
ぐへへ〜、たのしそうだにゃ〜。 どういうタイプの男の子がいいかにゃ〜。 何才ぐらいの男の子が一番美しいかのう〜。 やがてが楽しみじゃのう〜。
それから、今度は現実的なお話。 フィレンツェの町にも、観光地特有のお土産の屋台があるんだけど、ダヴィデ像の胴体がプリントされたエプロンが売ってました。 身につけると、局部が丁度股間にくるような。絶対に笑える。
来客があったら、そのエプロン姿でお出迎えしたら、さぞかしうけるだろうな〜。誰を呼んだとき、それをつけてお出迎えしようかなーとかいって、お仲間達の顔を思い浮かべながら夫婦二人でフィレンツェの町を闊歩しておりました。
でも、結局買う勇気と時間がありませんでした。 ざんねーん。あぁ、ざんねん!
2005年01月01日(土) |
イタリア旅行記その1 |
まずは、あらためて。 みなさん、明けましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨晩、無事、4泊5日のローマ・フィレンツェ旅行から戻って参りました。 一言だけ感想。 家族総出の観光旅行は、2泊3日で十分。 毎食イタリア料理はすぐに食べ飽きる。もううんざり。
といったところです。 まぁ、観光名所は素晴らしかったけど、街を表層的に通り過ぎていくだけの観光の仕方に、私ははからずしも違和感をかんじてしまった。
以下、旅行の行程。
12/27(月) 午後 ローマ空港着 荷物が出てこなくて1時間待ち。 テルミニ駅近くのホテルに宿泊。
夕方 ホテル近くのレストランで食事。前菜の生ハムメロン、温野菜マリネ、ワイン、パスタ、ピザ、カラマリ、ティラミス、グラッパ、エスプレッソ、何を飲んでも食べても、「うわ、おっいっしぃ〜」の一言。
但し、いきなり、腰が抜けそうなほどのお勘定。ユーロの通貨をポーランドズォティに換算するとこんなにも高くかんじてしまうものなのか。やや意気消沈。
My Busという日本語ガイド付きのツアーで、夜のローマ市内観光に参加。 観光名所をひと通りバスで巡った。 ナヴォーナ広場のクリスマス市とトレビの泉は下車。他は車窓から。 でももうそれだけで満足だった。
12/28(火) 午前 バチカン市国 バチカン美術館見学 これもMy Busのツアー。 美術館には見学客の長蛇の列があったけど、ツアー客は待ち時間なくスルー。申し訳ないねぇ。 ガイドさんの説明は丁寧だったけど、それぞれが長すぎ。 システィーナ礼拝堂に辿り着くころには、もう疲れ果てて、ミケランジェロの「最後の審判」を鑑賞する気力なんかなし。
ヴァチカンのサンピエトロ広場でぷらぷらしてから、タクシーで「スペイン広場」へ。あそこは終日本当に日当たりがいい。観光客が座り込んで休息するのがわかるような気がする。 一応あのあたりのブティックをウィンドーショッピング。 ローマのセンスと品揃えは今一つ。 ふーん、こんなもんなのか・・・ってなかんじ。やっぱり本場はミラノ。
「真実の口」に移動。徒歩で「コロッセオ」へ移動。見学の後、そのまま徒歩で「ベネチア広場」のヴィットリアーノ記念館まで。
気が遠くなるほど歩きました。 普通はバスで移動するぞ、この距離なら。 ったくー、パパにまかせっきりにしたら、こんなもんだ……。 我がファミリーの歩行能力の限界をはるかに超えてたぞ。
暗くなってから、瀕死の状態でホテルに辿り着く。
夕食は、日本人経営者の「トモコ」さんのお店で、たらふくイタリア料理。 ワイン2本をペロり。だいまんぞくー。
12/29(水) ICE(列車)でフィレンツェに移動。100分弱。 前日の疲れが取れず、ぐったり。 フィレンツェの大聖堂は壮観だったけど、他は観光する気力なし。 おまけにお昼に食べた料理の油が胃にもたれて、吐きそう。 清二もおなかが痛くなるし。
ビーナス誕生で有名な「ウフツィ美術館」入場制限あり。 3時間待ちだった。子連れで延々待つのなんて絶対いや。 速攻ホテルへ。
夜。不経済なでかい胃袋の男たち、腹が減ったとのたまう。 でも私、イタ飯、もううんざり。 おしゃれな日本食レストラン「エイト」へ。 私は和風サラダとおうどん少々。やや吐き気おさまる。 イタリア人で大繁盛している素敵なお店だった。 12/30(木) 午前、ツアーで「ピサの斜塔」へ。 日本人の観光ガイドさんに、「斜塔を支えている風に写真を撮るといいですよ」とアドバイスされ、むっとする。私は観光のスナップ写真を撮りに来たんじゃないんです! たしかに斜塔は世界遺産かもしれないけど、ここはれっきとした宗教建築物として見学するべきだと思うし。日本人的な観光の仕方は、あまりにも宗教や文化を軽んじているように思われて、私はどうしても納得がいかない。
午後、「アカデミア博物館」 ミケランジェロの「ダヴィデ像」を見学。うーん。 後日、感想及び考察を書きます。
12/31(金) フィレンツェ空港→ローマ空港→ワルシャワ空港 フィレンツェ発が大幅に遅れて、ローマでの乗り継ぎ時間ほとんどなし。 私たちが機内に滑り込むやいなや、即離陸。
17時帰宅。はぁ〜、やっと帰ってきたー。 もう二度と子連れ観光はいやでござります。
追記 イタリア旅行記その2は、12/30分の日記として書きました。 下のほうも読んでくださいね。
2004年12月31日(金) |
ジルベスター ’04 |
まいどー。
イタリアから戻ってきました。
そして、我がファミリーは、帰宅早々、ジルベスターのお祝いパーティーにご近所宅にご招待に預かりました。
で、疲れ知らずの我がファミリーは、みんなで花火を打ち上げて、今、帰宅したところです。
どひゅ〜ん、ばぁ〜ん、ばばぁ〜ん。
いたるところで、ふんだんに、ぜいたくに花火が上がっています。 こんな華やかなの、今年はじめて。 今年は、ポーランドも景気がいいのかな。
イタリア旅行のご報告はまた明日。
旅先のホテルで、ずっと、CNNをみていました。 地震と津波被害、気になって仕方がなかったのです。
もう涙が止まらない。。。 実は私、プーケット島か、マレーシアに行こうと思ってたの。今年の年末。 私、リゾート地が好きだから。
でも、パパがこのイタリア旅行を予約してくれたの。。。 もし、パパがイニシアチブを取ってくれなかったら、私が勝手に予約して、東南アジアで津波被害に巻き込まれていたかも。。。
今回の旅行は、パパに感謝。。。かな。 あれ、もう年明けちゃったねー。
皆さん、ハッピーニューイヤー!
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