きみはボクらの宝物
小悪魔研究所



 おしゃれなRinちゃん

本日の担当:銀吟

今、我が家で一番の衣装持ちはRinであろう。
ありがたい事に、お下がりも含め、とてもステキなお洋服をよく頂く。

我々は出産前に「キャラクターものは止める」「お嬢様っぽいのも時期がくるまで止める」
…などと、漠然とではあるが
子供に着せる服について暗黙のルールみたいなものを作っていた。

いざ生まれてみて、頂いたものはどれもこれも我々好みの洋服だったので
いつも楽しみに着させて頂いている。
(ただ“ばぁば”だけはキティちゃん一辺倒だが…というのもRinはキティラー)

少し前まで、我々がその日の気候と気分に応じたお好みの服を着せていたのだが、
最近のRinは朝、洋服ダンスを覗きこんで『こりぇ〜』と指すようになった。
意外と好みがあるものなんだなァ、と感心する。
いつもと違ってちょっとおしゃれなワンピースなぞを着てみるや
『うわぁ〜』と声をあげ、
我々も同じように『うわぁ〜。かわい〜ねぇ〜』なんて言おうものなら
どうよっ、とばかりに得意げな顔をするのである。
先日、大捜索して探し当てたマドレーヌ人形にしても
人形よりも着せ替えの洋服に興味津々で
とっかえひっかえ服を出してはしまっていたりする。
(だがキティちゃんのワンポイントの威力にはどうにもかなわない)

こんなにちっちゃくても、やはり女の子なんだね。
女の子は色々おしゃれが出来て、面白そうでイイよね。
これからますます洋服代がかかるのかもね。

でもパパみたいに洋服にこだわらなくなったら、それはそれで問題だよね。


2002年06月05日(水)



 どーせ破滅の恋なら、常識の壁をブチぬいて

本日の担当:kina

簡単に言えば、Sizの前世は八百屋お七か、ジュリエットじゃなかろうか。


...いや、胡桃を車に割ってもらうことを覚えたカラスでもいい。


Sizの最近のお遊び。
ベランダに椅子をおいて、背伸びして手すりの間から外界を眺めること。
...こりゃ、ラプンツェルって手もあり?

道行く知らないかたにご挨拶していたり。
お向かいのマンションで同じ事をしているお嬢さんと意味不明な交信をしていたり。

そして。
愛しのたいちゃんに会うために、たいちゃんのおうちのお庭に我が家の洗濯バサミやハンガーを落とす。
我が家はマンションの2階に住んでいる。1階の住戸にはイマドキのマンションらしく専用庭がついていて...。
ま、仲良くさせていただいているお宅なので、Sizの仕業だろうと察しをつけて拾ってきてくださった。

そんなコトが1回。

翌日、またハンガーを落とすSiz。
今度は拾われてしまわないうちに、早々に謝りに行く。


たいちゃーーーん!!


はいはい。

そんなコトが1回。


そしてさらに翌日。
ハンガーを落とそうとしているSiz。


これっ!!!べしっっっ!!



部屋に連れ戻そうとしたら


たいちゃーーーん!!



泣いてわめいて、人のことを蹴っ飛ばして〜〜〜。


....恥ずかしいんですけど。



いや、そんなことより、たいちゃんに会うためにそんなコトを考えて出してしまったSizの将来のほうがモンダイです。



『拉致』とかしないでよー、と思うのでありました。






2002年06月04日(火)



 セレブレーション

本日の担当:SHY

 6/1でRinが2歳を迎えた。
 私が彼女と初めて顔合わせしたのは、まだ生まれてから1ヶ月半ほどしか経っていない頃だった。
 彼女を私が抱き、Sizを銀吟が抱いた写真がある。
 その頃から、もう2年だ。
 彼女達の成長はとても早くて、陳腐化した私達のセンスではそれを追いきれない。
 彼女達は親が育てたのではなくて、自分で色々なものを吸収しながら、大人になっていくのだ、と思う。
 ほんの少しの手助けくらいしか、我々に出来ることはない。

 さて、その2歳を迎えたRinに私からのメッセージを今日は書く。

 私は君のパパである銀吟と、高校生の時に出逢った。
 典型的優等生で、何をやらせても器用にこなしてしまう彼を、私は羨んで見ていた。
 初めて家に招かれたときも、今の君の「ばぁば」に温かく迎えてもらって、銀吟が何故そんなに優等生然としているのかを理解した。
 それからもう、10年以上...。

 私は君のママであるユキリンと、結婚する少し前に出逢った。
 銀吟とkinaをそっちのけで、私とユキリンは小説や映画の話しで盛り上がって、とても楽しい時間を過ごした。
 そして、2人が結婚して幸福な家庭を築くであろうことを確信してもいた。
 それからもう、5年以上...。

 君のパパとママは、使い方が全く違う頭を持っているけれど、揃って頭がいい。
 だから、きっと君も頭のいい女性になるだろう。
 頭がいい、というのは決して得なことばかりではない。
 考えなくてもいいようなことを、考えなくてはならない道を歩かねばならないから。
 それでも、きちんと前を向いて歩くこと。

 君のパパはとても器用だけれど、結構損な人生を歩いているかもしれない。
 だから、ママを見習ってスマートな人生を歩けたらいいね。
 飾らない、優しい女性になれたらいいね。

 君のママはとても熱心だけれど、持っている視野は少し狭いかもしれない。
 だから、パパを見習って広く大きくモノが見られるようになれたらいいね。
 落ち着いた、優雅な女性になれたらいいね。

 それは、十分可能なこと。
 君の笑顔はみんなを幸せにするし、みんなが幸せなら君はもっと愛される。
 パパやママのもっているもので、素晴らしいものは全部もらってしまいなさい。
 何が正しいかは、君が自分で決めればいいのだから。

 お誕生日、おめでとう。

2002年06月03日(月)



 誕生当日

本日の担当:ユキリン

2年前の本日、6月1日のお話。

手術を免れ、どうにかこうにか陣痛室に再び戻った私。
日付は変わって6月1日になっていた・・・。
為す術も無くオロオロしながらも銀吟はずっと傍らにいてくれる。

陣痛は5〜10分おきくらいには起こっているけど
不思議なことに本で読んだとおり、陣痛が起きていない間は全く痛くない。
その間にうとうと〜として、再び痛みでハッと目を覚ます、の繰り返し。
かなり痛く感じるのに全開大の10センチには程遠く、
3〜4センチしか子宮口が開いていない状況だった。

銀吟は前日からのスーツ姿のまま、私のベッドの横の椅子でコックリ。
助産婦さんも、看護婦さんも「まだまだよ〜」と言うので
明け方4時近く、「帰っていいよ」と言ってみた。
本当はそばにいて欲しかったけど
ハッキリ言ってさすってもらったとこで、どうこうというもんでもない。
銀吟はヨロヨロと立ち上がって帰っていった。

その後朝の7時半くらいまで、そんな静かな状況が続く。
…が、またしても、看護婦さんと、今度は院長が走ってやってきた。
うとうととしていた私は何がなにやら…。
でもそれが最後の宣告。
「赤ちゃんがもう危ない。緊急帝王切開手術にするよ。いいね」
私は、黙ってこっくりとうなづくだけだった。

その後はあっという間。
麻酔を背中から打たれ、裸にされ、手術台にのせられ、
なぜかそんな状況なのに仰向けのまま同意書にサイン。
「これ痛いかなぁ」と金属のようなものをお腹にぴちぴちと当てられ
首をふったとこまで覚えてる…。
そこからはもう夢の中。

…気付いたら、病室に運ばれていた。
横に心配そうに立っている銀吟。
あれ?なんで私ここにいるんだろ?ここどこ?
そういえば赤ちゃん、赤ちゃんは?

「生きてるの?赤ちゃん」
銀吟はビックリして
「生きてるよ、ちゃんと生まれたよ」と答えた。

局所麻酔だと思っていたのに、私は何も覚えていない。
産声も聞かなかった。
気付いたら病室だった。
生まれた赤ちゃんは、2562グラム。
2500超だけど、危険な状況だったということで
保育器に入れられたと銀吟から聞いた。
初めて抱っこしたとも。

私は術後で動くことが出来ず、赤ちゃんも保育器の中。
結局、誕生当日に私が娘に会うことは出来なかった…。


2年前を思い出すと
Rinが無事生まれてきてくれたことに
ただただ、ありがたい思いでいっぱいになります。

6月3日に新生児室のガラス越しで
初めてRinに会った時、涙がぽろぽろこぼれました。
そしてたくさんいる赤ちゃんの中で
なぜかRinだけに
光が射しているような気さえしたのでした。

それは2年経た今も変わらず
きっとどの親御さんも思うように、たくさんの子供達の中にいても
Rinだけが光の中にいるように思えます。

いつまでも元気で笑っていてくれますように。
誕生日に感謝!


2002年06月01日(土)



 誕生前夜

本日の担当:ユキリン

2年前の本日、5月31日のお話。

その日は朝、目覚めた時から何か違う・・・と思ったら
おしるしが来てた。
単に出血のことなんだけど
これから陣痛が来ますよって合図らしい。

少々ビビリながらも元々検診の日なので、
予約時間の11時過ぎに銀吟と病院に向かったのだった。

ところが問題勃発。
お腹にベルトのようなモノを巻いて、
お腹の張り具合と赤ちゃんの心拍を調べる検査があるのだが。
ちょろっとモニターを見に来た看護婦さん、
青くなってバタバタと走って消えた。

ちょっと、何?なんなの?
と思ったら先生から「赤ちゃんの心拍が大変弱い」と告げられ、こちらも真っ青。
しかし「午前と午後でも違ったりするし(←おいおい)、
機械の問題かもしれないから、うーん、お昼食べてもう一度来て」
なぞと言われる。

しょうがないので銀吟とレストランへ。
銀吟はこの頃、営業マンだったので外回りと称して
私と一緒に行動できたのだ。
この時の私達の頭には帝王切開の「て」の字も浮かんでなかった。

しかし、のんきな私達にひたひたと忍び寄る影。
お昼を食べて、もう一度産院に行く。
銀吟は私を送り届けて、さすがに会社へ行くことに。
そこで再度、診察を待っていたところ…。むむっ。
これって…。これってもしや、破水!?
そう、待合室で破水してしまったのだった。

すぐさま車椅子で2階の陣痛室に運ばれる。
「痛み無いし、歩きますぅ。恥ずかしいので」と言ったら却下された。
…結構まずい状況のようだった。

「なんか破水しちゃったみたいでー、これから出産みたいなんだけど
陣痛なんて無いんだよねー」なぞとまるで他人事状態で
銀吟にTELしたのが午後5時。

やっとチクチクとした痛みが始まったのが7時過ぎ。
一応夕食も出されたけど、なんとな〜く野生のカン?で手をつけずにいた。
なんと言っても、
破水してるわけで元々弱っていたベビーちゃんの状況がまずそう…。
のんきに飯なんか食えるか、って気がしたし、
「もしや手術では?」と思い始めていたから。

銀吟も到着した午後8時。
陣痛は5分おきくらいになっていた。
(結局、夕食は銀吟が食べた。ちとうらやましかった)
それでも子宮口の開きは2センチくらいで、まだまだしょっぱな。

「状況としては、できるだけ普通分娩にたどりつけるよう頑張る。
 しかし赤ちゃんが少しでも危険になったら帝王切開」との通達が。

どっちでも無事生まれてくれ〜ぃ。
しかし痛ぇー!!とジタバタする私に第1の試練。
夜11時頃。
またしてもバタバタと看護婦さんたちがやってくる。
私のお腹につながれたベルトのデータは
ナースステーションに送られているのだが…。
「赤ちゃんの心拍がガクーンと弱った。持たないかもしれないから
緊急帝王切開です」

!!!!
すぐさま準備され、手術室まで運び込まれた私。
…しかし、
ベビーちゃん(現Rin)はナゼか持ちなおし
「あらっ、心拍通常になったわ」と驚く看護婦さん。

この時は、どうにか手術を免れたのだが…。(明日につづく)


今夜チャット開催予定です。
通りすがりのお方も、もしよろしかったらお立ちより下さいませ。
皆様とお話できるのを楽しみにしております。 
                      小悪魔研究所一同


2002年05月31日(金)
初日 最新 目次


My追加