日々のあわ
あかり 



 男の子達のお気に入り。

今、我が家のテレビの周りには、リアルでかなり大きいワニ(某バナナワニ園で購入)、首や目玉の動きが巧妙な恐竜が2体、小さいゴジラと大きなゴジラが陣取っている。
(以前トイレにワニを置いておいたら、本気で驚いた知人がいたのでやめた。)
今年、恐竜はそうとうブームだった。代々木のジュラシックパークツアーにも行ったしね。
お菓子のオマケについている恐竜シリーズを使って箱庭まで作った。ちゃんと池や砂山も作って。これはちょっと自信作でしたね。(いや、私が自信もってもしょうがないけど)

長男Rは昨日で6歳になった。
お誕生日のプレゼントはビックサイズのゴジラ
うん。かっこいい!
おもちゃ売り場の怪獣フィギュアがずらっと並ぶその前で、JGまで便乗して喜んでいる。
一番便乗したのは次男Kだ。あったりまえのように、「うーんと、僕はねぇ・・・」とおもちゃ売り場でおもちゃを選ぶ。
あくまでも今日の主役は兄だぞ。と説明してから、Kにも好きなものを選ばせた。
そしてヤツが選んだものは・・・・

モスラの・・・幼虫。(大泣)

もうね、この上なく気持ち悪いです。
(私、爬虫類は結構好きだけど、虫もほとんど大丈夫だけど、幼虫系がひどく苦手です。もこもこしてやわらかそうな感じが・・・うぇぇ)

適度にでかくて、満遍なく茶色くて、嫌な感じに太っている幼虫・・・のフィギュア。

「ねぇ、いいの?これで。こっちの方がかっこよくない?」
(さりげなくキングギドラを差し出す母)
「ううん。これがいいのーッ」
「そ、そうかぁ・・・・いいけどさ、一緒に寝たりはしないでね。」
(精一杯の譲歩)
「わかったよ。お風呂はいいでしょ?」
「え・・・・う、うん。まあね。」

帰宅後、ゴジラとモスラ(の幼虫)で非常に楽しそうに遊んでいる息子達を眺め、男の子二人を産んだんだなぁと変なところで実感する。
去年は「僕、お花屋さんになりたーい。だっておはな綺麗なんだもん」などと言っていた長男Rは今目の前で怪獣遊びに夢中になるあまり思わず涎までたらしてしまって照れている(笑)。
不思議だな。男の子は所謂「男の子の遊び」に夢中になる。何の作用でこうなるんだろう。ホルモン?DNA?

その後当然のようにお風呂でも遊ぶ。モスラ(の幼虫)、湯船に浮かんでいるとちょっと滑稽で、一瞬でも可愛いかも。と思ってしまった。
錯覚ですから、もうほんとに。


そして台所にいる私の耳に、お風呂場から父子3人の会話が聞こえた。

K 「ねーパパ!モスラかわいいよねー」
JG 「うん。かわいいよ。Kにぴったりだよ。」(←何がっ?)
R 「あのさ、デパートで売ってるとき、このモスラのところに『オス』って書いてあったよ。『メス』も居るんじゃない?」
JG 「あぁ、いるかもね。うん。」
K 「えっ?もういっこいるの?ほんと?」(←声がクレッシェンドぎみにすごく明るくなってる)

「・・・・・・・・・・・・・・。」

2003年12月16日(火)



 自分の感受性くらい

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」

と、いきなり頭殴られて叱られたような気持ちになった、
茨木のり子さんの詩を読んだのはまだ10代の頃だったとおもう。以来ずっと心のどこかに留めている。
友人Tが貸してくれた詩集だった。

混沌としていて独りよがりで気持ちが剥き出しで力が入っていて苦しかった二十歳まえ。

その頃、将来の夫となるなんて夢にも思っていなかったJGが私に言った。

「感受性が強いのは素晴らしいことだと思うよ。でも、それで自分がだめになっちゃうっていうのは違うな。いろんなものを受けて傷がついてもちゃんと立っていられるくらい強い人が持つ感受性の豊かさが素晴らしいと思うよ。」
というようなことを。

自家中毒をおこさない感受性。これは友人Tが最近言っていた言葉。
そうね。
受けてもきちんと立っていられるよう、寧ろ、のほほーんと脱力していられるよう、
固まるな、固まるなと呪文のように唱える。

「認識と体験を超えて純真であってはじめて純真なのだし、
世俗に傷つけられてなお美しいのが、ほんとうに美しいこと。」そうでした、そうでした。岡部伊都子さんもそうおっしゃっていた。


とあることがきっかけで、自分の中の、しばらく開けていなかった引き出しを開けてみた。
捨てたわけではない、ただ仕舞っておいただけ。あまりに懐かしく、そして実は今の私にとても必要かもしれないものたち。
ひとつずつゆっくりと再び手にとってみている毎日。どうしてこんなにわくわくするんだろう。


2003年12月13日(土)
comments
初日 最新 目次 MAIL