日々のあわ
あかり 



 何が大切か。

先日書いた日記を読んでくださった方が、

「贅沢な時を過ごす友人の存在もまた、大切ですよね」
という言葉を届けてくれました。
まさにそうですね。時間と同じく人の存在も大切です。
共有できる人があってこそ、ですね。

また、
「機が熟すのを待つ」という言葉を届けてくれた方もいました。
そうそうそう。このことのなんて難しいこと。
それからしばらく、無理して時間を作るのではなく機が熟すのを待つ。ということについて考えながら、ふと気づいたのですが、
私にはその反面で、
「会えば解決するわけではなくとも、もし相手がそれを望むなら会いましょう。」
という気持ちがあるということです。
難しい。複雑だわ。とても。
詰まるところ、相手が何を望んでいるかをきちんと察して助けてあげられればそれが一番なのかな。ということです。

考えるきっかけをくれた方々、ありがとう。

2004年02月05日(木)



 贅沢な空き時間。

ずっと、
「そのうち時間をつくってゆっくり会いたいね。」と、
言い合っている友達がいる。
社交辞令ではなく、本当に心からそう思っている。
顔を合わすことはあれど、ゆっくり語り合う時間がない現実。
今週も結局時間がとれず、また今度・・・ということになって、何気なく彼女にメールをした。

「なかなか会えないね。お互い忙しいね」というようなことを書いて。

さっき彼女から返事が届いた。
「椿ちゃんのことこんなに好きなのに会えない。
好きな人と好きなときに会えないのは辛いね。時間の振り方って難しいね。」と。
はじめ冗談かな?と失礼にも思った。
だってちょっと照れてしまう。
が、違うんだ。ほんとうに彼女はS・O・Sを発信している気がしてしまった。

ゆとりがないと「忙殺」されてしまう。思考回路も麻痺してしまう。
そんなときは吐き出さないと自家中毒を起こす。

ここで恋愛真っ只中の恋人同士のように、無理や犠牲をはらって時間をつくり会うことだって可能だろう。
だけどそういうことではない気がする。
会えば解決することではなくて・・・。
なんていったらいいのかな。

たとえばこれが、
「なかなか会えないわねー。忙しくて嫌んなっちゃうねー」
「ほんとよぅ。来月には絶対会おうね〜!それまでお互い頑張ろう!」
というようなやりとりだったら別にこんなに考えなかっただろう。

早く「ふぅ」と落ち着いてお茶飲みながら語り合いたい。
そんな時間、無理して作るのではない自然な空き時間が待ち遠しい。
今はそれがたまらなく贅沢な時間のような気がする。

よし!
「ちかいうちにきっと手に入る、他愛もない空き時間。そんな贅沢な空き時間を共に過ごすために明日も頑張ろう。」
うん。そう返事をしておこう。

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『鬼はぁ〜そと〜。福はぁ〜うちぃ〜』

子供達の時間の流れはゆっくりで、
規則的で真っ当で。
それはとても安心するリズムで流れる。



 
赤い鼻がポイントらしい(笑)






2004年02月03日(火)
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