最初の記憶は、 透明なガラスケースの中でした ここはどこだろう、と 手を動かしたように思いました
私は未熟児で生まれて 保育器というのに入っていたそうなのですが それが透明なガラスケースなのかどうかは まだはっきりしません
2番目の記憶は、ちいさなベッドの中 まわりには誰か人がいて、わたしを見て笑ったり していました 目を上げると上には、黄色や赤のがらがらがあって くるくるまわったりしてしました
3番目の記憶は、保育園のおやつのじかん おやつを食べている時に、せんせいが「これもあげるよー」と 言っていたので、もらいたくていちもくさんに、はいはいして 行きました するとみんながわらっていて、どうしてだろうとふりかえると わたしが置いてきた、わたしの分のおやつを、 他の男の子が食べていました
わたしは、1歳から2歳まで保育園にいっていたと 成長してから、母にききました お寺の保育園に行っていました
次の記憶は、4歳のとき 親戚の家に家族と行っているときに 急におなかが痛くなりました ものすごくいたくて、一人で 部屋を出ていきました 親たちには言いませんでした
小さい頃の私は、痛いと死ぬように 感じていました 「神様、まだ死にたくありません」 とお願いしたように思います そのくらいの痛みでした 「せっかく生まれてきたから まだ死にたくありません どうしたらいいですか」 と心に思ったように覚えています そのときに、何かを心に 感じました 光をともすような、何か、 遠い世界からの何かの想いを。 私が生きていくことの意味。 それが確かにあると感じました
わたしはあの時に約束したと思います まだ生きたいから、約束を。 ずっと、それを果たしたくている そんな気がします。
時にどうしようもなく、切なくて どうしたらいいのかわからない位 この世の現実は私に問います そんなときは、そのやくそくを 思い出します
幸せにいきるということ 幸せをともすということ…
小さいころは、 虫や、宇宙や恐竜が好きな、 変わった女の子でした。
太古の地球や、知らない星に 思いをはせては、胸をおどらせました。
まわりの女の子たちが、 リカちゃん人形で遊んでいるのを見て、 愕然としました。 (どうしてこんなに趣味が違うのか…)
虫をつかまえては家族にひめいをあげられ、 もうこういうことは内緒にした方が いいのかなと思いました。
だから今でも、気の合う友達は 男の子の方が多いのかもしれません。
いまは、(今までもずっと) ”人間”で”女性”という身で どうしたらつつがなく存在できるのか 日々考えながらいきています。
よるのそらに 「おーい」と 言ったら 何か答えが 返ってきた気がした
雲がきれぎれにかかる よるのそらに 「ありがとう」と 言ったら 音楽のようなものが 返ってきた気がした
宇宙とつながるっていうのは こんな ともだちみたいな 気持ちなのかもしれない
2001.8.19.(昔、書いた詩)
右手の刃物
何もつくらないでいて 宙をみつめていて それでも何かが生まれるのは どんなとき?
言葉の力が 剣よりも強いって 昔、先生から聴いたことがあった だから信じていた
くしゃくしゃに丸まったノートの 走り書きが雨ににじんで 消えてゆくのを見ていたら そんなことは嘘だと思った
日付が変わっても ペンを走らせているうちに 朝日の色が変わっていくのを見て もう一度それが本当だと思った
雨なんてやまなくてもいい ちっぽけな言葉洗い流してもいい 剣よりも鋭いものが今 私の部屋で淡く光を放ち始めているから
見上げれば、 月が、星が、 わたしを見つめていました。
やさしく、そこに またたいていました。
なぜか、涙があふれてきました。
悲しいならば、いいんだよ。 腹がたつなら、いいんだよ。 思いきり、泣きなさい。 それも、あなたなのだから。
― 忘れたはずだったのに、 忘れてなかったんだ。
月は虹のようにかがやいて 思いきり、私をてらしてくれました
畑の石に腰かけて、 やさしい光を受けながら、 月を見上げて、泣きました
ありがとう、と言いながら、 月に寄り添い、泣きました
−人間の、脳と神経組織と、 木の根っこや葉脈組織は 大変似通っているという話を聴いた。
もし、人間が木から進化したものだったら 根っこが足になって、枝が頭の神経になって 土から足をひっぱりだして、 とことこ歩いていくんだろうな。
私たち、もしかして、歩けるようになった 木なのかもしれない。
あっちこちの木が、ひょこっと気がついて 根っこをひっぱりだして、とことこ 歩きだすかもしれない。
雨にぬれて 日をあびて ベランダの花が 少しづつ開いてくのが こんなにもいとおしい
朝の空気にくるまった ちっぽけな私
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