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お月様再び。 - 2004年03月18日(木) 少し前に私が「お客様はお月様ですか?」と この日記に書いた、バイト先に来るつるっぱげの横暴なオヤジ。(2月2日参照) 最近、彼の様子がおかしい。 やけに愛想が良く礼儀正しいのだ。 だが、それはあの日、マウスを握りせわしなくクリック する彼の手を 「やめてください!そんなにクリックしたら、固まってしまいます!」 と、私が叩いたことが、きっかけに違いないと私は読んでいる。 パチン!という音と共に、自分のそれまでの 傍若無人ぶりに気がついたのだろうと。 今ではオヤジはパソコンをするというより、おしゃべりをしにくる、 といった方が良いくらい人懐っこくなってしまった。 今日も夕方、彼は人があまりいない時間を狙ってやってきた。 そしていつものように私と話をし始めたのだが、 ふいに「俺、この前、面接落ちちゃったぁ〜」と言い出した。 「面接落ちちゃったぁ〜」と言われても、 彼はもう67歳である。 この不景気の中、就職に挑戦したことも驚きなら、 その結果にリクルート中の大学生といった感じで 残念がっている様子にもまたビックリであった。 さすがに「まあ、その年じゃあ・・」とは言えない。 私が黙ってしまうと、オヤジはそれを察したかのように、 「君はこんなとこに勤めてるんだから、要領がいいんだろうな〜」 と笑うのだった。 自慢じゃないが、とんでもない。私はちっとも要領なんて良くない。 挫折挫折の繰り返しでようやく、この職場なのだ。 「まさか〜、私の人生なんて失敗の繰り返しですよ」 つい、そんな言葉が出た。それは本当の気持ちだった。 すると、 「どうしてだよ?旦那さんと出会えたことが一番の成功だろ?」と、オヤジ。 ちょっと面食らってしまった。 そんなふうに考えたことはなかったからだ。 確かに好きで結婚し、今こうして2人でいるが、 それが一番の成功だなんて実感したことはなかった。 旦那と一緒にいることは当たり前過ぎることだったのだ。 夫と出会えたことが、人生で一番の成功。 他に何を望むというのか・・・。 オヤジの言う通りかもしれない。 その時、私の心に一条の光が射したような気がした。 つるつるのオヤジの頭をマジマジと見つめながら、私は心の中でつぶやく。 長い間、暗闇で迷いもがいていた子羊の ような私を照らし、導いてくれたあなた。 やはり・・ お客様は・・・ お月様ですね・・と。 おしまい。 ... パンツのゆくえ - 2004年03月17日(水) 皆さんは切れたり、破れたりなどしたご主人のパンツを どうされているだろうか? 私は穴が開いたり、縫い目の部分が裂けてしまったり すれば捨ててしまう。 生地は綿である。 だから、洗濯して雑巾にでもすればいいのだが、 ちょっと前まで、あんなとこ?こんなとこ?を覆っていた もので、家のものを拭いたりする気にはなれない。 しかも、彼の下着は何故かすぐダメになる。 体から有害な酸でも出ているのかと思ってしまうほどだ。 今日も洗濯した彼のパンツをたたんでる最中、 お尻のところが破れているのを発見した。 先日、黒いパンツを捨てたばかり。 これで、2枚は新しいものを買わなければならない。 あ〜〜、、また、お金がかかるってわけだ。 いっそ・・・ はかなきゃいいのに。 おしまい。 ... 世界で一番好きな言葉 - 2004年03月16日(火) 私が世界で一番好きな言葉は 「満腹」である。 先週の木曜日。一年ぶりの友人Yと2年ぶりの友人Jと、 表参道で食事をした。 店は京懐石ふう中華の店だった。 懐石のスタイルにならい、和風のお皿に乗せられて 順々に出くる春の食材を使った中華料理は、私を本当に驚かせた。 上品な分だけ量が極端に少ないのだ。 例えば、「竹の子の炭火なんちゃら焼きです」と 仲居さんが持ってきた皿には、 「竹の子」というより「笹の子」といったような、細すぎる 年端もいかない小さい竹の子が、皮つきのまま真っ二つに割られて 乗っていた。 「柔らかい実だけお食べください」 仲居さんは柔らかな笑みを浮かべながら皿をテーブルの上に 置いてくれる。 だが、実際に食べられる実は小指の第二関節ぐらいしかなく、 もの足りない私は「皮は柔らかくないのか」と 実を食べ終わった後、一部、皮まで口にしてしまったぐらいで、 次の「春竹の子となんちゃらの炒め物」では 皿の上に薄く盛られたそれが、てっきり一人分だと 思っていたので「お取り分けしますね」という 仲居さんの声を聞いた途端、思わず口が半開きになり 涙が出そうになった。 で、これだけ悲しい思いをして、払った料金は5千円ちょっと。 場所は表参道だから仕方ないのかもしれないが、 私にしてみれば正気の沙汰とは思えない料理たちで、 釈然としない気持ちでいっぱいだった。 この世には「医食同源」という言葉がある。 それと同じで、料理というのは本来は「量味同源」なのでは、 ないだろうか。 「量も美味しさも食事を楽しいものにし、幸せを感じるためのもので その本質は同じだ」ということである。 量が少なければ食事本来の楽しさやそれによってもたらされる 幸せが半減してしまう。 おかげで、せっかく久しぶりにあった友人たちとの 時間に幸せを充分感じることが出来なかった。 何度でも言う。 私は「満腹」という言葉が世界で一番好きである。 おしまい。 ...
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