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#砂嵐が発生した
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一日終わって家に帰ってひと段落したところでPCを立ち上げる。会社で散々使っているのだから家でやらなくてもいいのに、と思いつつも、気になるサイトがどうであろうとか、情報に乗り遅れたくない気持ちで立ち上げるのである。ポチっと。
ポチっと。
何故か「不明なデバイス」がインストールされる。 何か新しいアプリケーションをインストールしただろうか。
まあいいか、それほど気に留めず、インターネット接続・・・っと。
画面が砂嵐になる。
最初は液晶の接触(?)が悪い(?)のかと思って、ディスプレイの角度をカクカク変えてみたのだが、どうも角度と砂嵐の発生に関連性がない。うーん、接触とかじゃないのか・・・。
とここまで考えてウィルスなんじゃないだろうかと思いいたる。 そう言えば起動時の謎のインストールは一体なんだったのか。不明なデバイスって、今思うと格段に怪しいではないか。それなら最初に気付けといわれるかもしれないが、世の中疑ってばかりいても仕方ないのである。たまには信じることも必要なのだ。信じた結果がこの体たらくなのだが。
しかし本当にウィルスなのだろうか。今まで感染したことがないので、まったくもって分からない。
仮にウィルスだとしても、一体どこで感染したのであろうか。メールはありえないはずだ。なぜなら、来るメールはすべてメルマガだからである。ちなみにここはさっと聞き流すところだ。
世の中、webサイトを開いただけで感染することもあるらしいが、そんなものは往々にして、怪しく、いかがわしい(そして楽しい)サイトを閲覧しているからに違いない。幸いにして私はそんなサイトとは縁がない。昨日巡回したサイトを思い出してみても、心当たりのあるサイトなど、ひとつもない。ないと思う。なかったことにしておく(ここも聞き流して欲しい)。
ディスプレイとこのまま見つめあっていても治りそうにないので、ウィルスバスターオンラインスキャンをかけてみる。相変わらず画面は砂嵐で、文字の識別すら難しい。たかがプログラムのくせに人間さまの邪魔をするとは!必ず正体を突き止めてやる。
と思っていると、砂嵐がぱったりと止んでしまった。
治った。
はずがないと思う。ウィルスの自然完治なんて聞いたことがないのだが、しかし症状は再発しない。考えられるのは
1.本当に治った
2.このあともっとひどくなる
のいずれかであろう(希望は当然1である)。 出来ればこのまま何事もなかったように過ぎてくれればいいのだが、もしかしたら本当に何か起きるかもしれない。知らぬ間に他人にスパムメールを送りつける心配はしなくていいのが、せめてもの救いだ。理由は聞かないで欲しい。
とりあえず、このままスキャンをしながら様子を見てみようと思うが、結構不安なのである。大丈夫なのだろうか?
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#CDその他を大量に買ってきた
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今更ながら、CDを大量に購入してしまった。いや、したのである。
随分久し振りにCD屋に行ってきた。 以前電話で色々注文しておきながら、なかなかいく機会に恵まれず1ヶ月ほど放置した後、ようやく先般取りに行ってきたのだが、行けば行ったで他のCDも欲しくなるのが人間。欲しくならない奴は人間じゃない、とまでは言わないまでも、やっぱり人間じゃないと思う。 と言うわけで棚を漁ったところ、案の定欲しいCDが出てくるのである。
数枚抱え、以前注文した物もあわせて確認しようと、店長に「この前何頼んでおきましたっけ?」と聞いたところ、ざっと10枚程度差し出された。どうしてもっと計画的に頼めないのか、などと思いつつも清算してしまうところアホなのかもしれない。ざっと4万近くであったが、前回貯めたポイントカードを使えば3万ちょいぐらいに収まることが判明した。じゃああと2〜3枚アルバム買えるな、と真剣に思うところ、やっぱりアホなのだろう。今月はどうやっていくのか。それはあとで考えるとする。
買ったものリストと感想を述べてみる。 何よりも藍く。/the youth →青い。というか若い。初めて聞いたのだがちょっと合わなかった
スウィートソウルep/キリンジ →久し振りにキリンジを聞いた。久し振りなのでなんとも言えないが、結構気に入っているので今後も買ってみようか。
climax/GREAT3 →以前買ったWHEN YOU WERE A BEAUTYを最近聞き始め、その影響で購入。一定のレベルを保ちつつその上で実験をやっているような印象。#2 DUMMY OSCARに惚れた。
HIGH NUMBERS/東京スカパラダイスオーケストラ →GREAT3同様、前作STOMPIN' ON DOWN BEAT ALLEYをやはり最近聞き始め、その流れで購入。今が一番テンションが高いんじゃないだろうか。引き込まれる。
其処カラ何ガ見エルカ/eastern youth →久し振りのアルバムなんだろうか。前作が結構聞きやすく気に入っていたのだが、今回は少しとっ散らかっているような?聞き込みが足りないからか。
16/50/スーパーカー →未聴。今度聞きます。
KAJA KAJA GOO/POLYSICS →聞き込んではいないものの、音圧が以前より上がったような。少なくともうるさいことは間違いない。
THE COLD ONE/DMBQ →相変わらずぐわーんとかごわーんとかうねった音が多い。音大きくして聞くと家族からも怪しまれそうだ。#4 MILK&SUGAR ぐらい飛んでしまってると聞いてる方は気分が良いが聞かされるほうは嫌だと思う。
FLAME VEIN/BUMP OF CHICHKEN →未開封のまま人に貸してしまった。よって未聴であり感想も何もないが、今のバンプはちょっと好きになれんのである。
気が付くとCCCDに手を出してしまっているところは、眼を瞑って欲しい。 しかし本当に買う瞬間には迷い、かつ萎えるものである、CCCDは。
最近はDVDにも手を出している。 NUMBER GIRL/NUMBER GIRL(リンク先は向井秀徳情報) →NUMBER GIRL総集編とも言うべきDVD映像集。これまでのPVからバンドの足跡、ライブを収録。2枚組で4,800円は安過ぎだろう。と言いつつ今更手に入れたのだが、やはりクリップは良い。ひさ子さんが街中バットぶん回しながら歩いていてかわいいのである。
DVDVPVDVLIVE/POLYSICS →こちらはPV+ライブ。ドモアリガトミスターロボットなど傍若無人だが大好きだ。
GO!GO!大映像祭/GO!GO!7188 →PV集。初めて7188を動く映像で見たのだが、初期のジェットにんぢんと最近のうましかものなどと見比べると、ユウ(Vo.Gu)の変遷がわかって面白い。何が変遷しているかはコメントしないが、かわいくなったと思った。浮舟の映像は綺麗だ。
ミッシェルガンエレファント、テンション下がってきていないだろうか。SABRINA HEAVENを聞いたときに思ったのだが、前作からの変化がほとんど感じられなかった。新曲GIRL FRIENDがリリースされるが、確かに今までになかった曲だがそれほど惹かれたわけでもない。SABRINA NO HEAVENではどうなるか。最近良く聞くのは、HIGH TIME、CHICHKEN ZOMBIESなど。これからの変化に期待する。
POLYSICSのハヤシくんもインタビューで述べていたが、どうも最近の健全な体育会系的なパンクは肌に合わない。喉越しが良すぎて忘れてしまいそうだ。言うなればJ-パンク。(まんまで申し訳ない)
惑星が気になる。公式サイトでBIRDなどを試聴したが、ものすごく格好良いんじゃないだろうか。久し振りにドキドキしたので、6月18日リリースのアルバムを予約、既出のアルバムSHI-RO-I-TO-RIとKU-RO-I-HO-SHIを注文してしまった。どことなくブランキーを感じたのは思い過ごしだろうか。
ブランキーと言えば中村達也率いるLOSALIOSのライブDVDも注文してしまった。そのうち音楽のエンゲル係数が高くなって貧困死するんじゃないかと思う。
何の、今の音楽業界、これぐらい金を落としていく人が居ないと成り立たんのである。いいカモだ。
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#言葉の重要性
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人間にとって、言葉は重要なコミュニケーションツールの一つである。仕事が絡めば尚更だ。場合によっては、言った言わないの泥仕合になることも少なくない。 今回は、そんな言葉の行き違いから発生した様々な誤解を、実例を交えて紹介したいと思う。このサイトを御覧になられている諸氏も、是非今後に役立てていただきたい。
ケース1
(前提:田村が上司M田氏にコーヒー代100円を貸して)
M「はい、田村さん1,000円」
私「え?いや、1,000円じゃ多すぎですよ、100円だし」
M「いや、あの、全部差し上げるとは申していないんですけど。お釣りいただけますでしょうか?」
いかがであろうか。 このように言葉が足りないばかりに、意思疎通に支障をきたしている(どちらがより言葉が足りないかは、あえて言及しない)。更に悪いことに、このケースの場合、私の財布の中身にその時小銭がまったくなく(お札など言うまでも無い)、お釣りという観点がすっぽりと欠落していたことも、コミュニケーション不能に陥らせるひとつの重要な要因となっていたのである。
ケース2
M「ボールペンを消すやつ持ってないですか」
私「ええ?・・・うーん、ちょっと持ってないですねぇ・・・修正ペンじゃ駄目でしょうか?」
M「あ、それそれ、修正ペンでいいんですけど・・・」
私「あ、ボールペンのインクを文字通り消すやつかと思ったんですけど・・・」
M「そこまで大掛かりなものは要らないのですが」
この前段階で、「消しゴムで消すことの出来るボールペンで書類を書いているやつがいる」という話題が前提となっている。よくよく考えれば分かるのであるが、よくよく考えないと分からない。やはり言葉は重要だ。
ケース3
(内線電話での会話で)
『あのー、Mさんはいらっしゃいますか?』
「申し訳ございません、Mは本日は退社してしまったのですが・・・」
『え!?退社ですか!??何日付けで退社されたんですか!!?』
思わず「18時30分付けで退社しました」と言ってやろうかと思った(思っても言わないのが大人である)。
いずれのケースも日常でよく見られる些細な言葉のやり取りであるが、たったこれだけでも様々な誤解が生じている。いかに必要充分な言葉を相手に発し、状況をちゃんと説明することが重要であるか、きっとお解りいただけたに違いない。 誤解されてはいけないが、別に毎日こんなやり取りを繰り返しているわけではないことを念のため言っておく(そこまで暇ではないのだ)。
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#出産祝いに出掛ける
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久し振りの更新である。毎度のことなので、これ以上言い訳はしない(更新しない理由は山ほどあるのだが、今ここでそれを語るにはスペースが足りないので次の機会にしたいと思う)。
大学時代の先輩A野氏の生まれたばかりの子供、ももちゃん(仮名 生後10日目)を見に行ってきた。
ももちゃん(仮名)はベビーベッドでご就寝中だったのであまり相手をしてもらえなかったが、寝顔を見るとやはりかわいい。手も顔も、すべてが小さい。頬を突っついてみると、これをたまご肌と言うのだろうか、ものすごく柔らかい(桃井か○りは嘘っぱちであろう)。 「やっぱりかわいいですね」と何気なく言ったところ、
旦那「いやあ、産まれた時はブサイクだったんだよね、顔。どうしようかと思った」
と返されてしまった(返事に窮した)。
生まれた直後と今では随分と顔が違うらしい。実際写真を見せてもらったが、成る程顔のつくりがまったく違った。
そこでももちゃん(仮名)の顔を改めて眺めてみると、まだまだ成長(形成?)の過程であろうかと思われるところがいくつも見られた。母親の胎内から外に出ることで一気に形成が進むのだろうか。もしかしたら急激な環境変化に対する適応の一環なのかもしれない。次に会いに来た時には別人になっているに違いない。
旦那「最初顔見たときは、なんじゃこりゃ?と思っちゃったよ。写真見るとそう思うでしょ?」
なんと答えろと言うのか。取り敢えずあははと笑っておいた。
奥さん「ほんと、毎日顔のつくりが違うのよね。すごく変わる」
旦那「そうなんだよね、2〜3日前の顔のがかわいかった」
奥さん「あ、そうかも」
リアクションに困る会話だ(嫌がらせだろうか?)。
しかし最も面白かったのは、旦那の親ばかぶりであった。
私「女の子じゃかわいいでしょう、いいなあ」
旦那「男は絶対に近づけさせない」
私「い、いやいや、まあ友達ぐらいなら・・・」
旦那「ダメ。男はパパだけで充分だもんねー(言いながらご息女を抱き上げる)」
親はやはりどこもこんなもんなのだろうか。 どこまで本気でどこまで冗談なのか分からないところが微笑ましくも恐ろしいところである。
などと、ゴールデンウィーク最終日を出産・育児の四方山話を聞きながらのんびりと過ごしていたのであるが、A野氏のご両親、じいじとばあばの襲来でその空気は破られた。
ば「ほーらももちゃん(仮名)、笑って笑ってー」
じ「おーもも(仮名)!眠いのかーほら!」
ば「あらー泣いちゃったー!ごめんねぇー起こしちゃって!」
ば「(写真を撮ろうとして)あら!フラッシュたいちゃった!ごめんねぇー!」
・・・じいじとばあばもやはり、どこもこんなもんなのだろうか。 後先考えないかわいがり(?)であったが、かわいがられる方とあとであやす方は大変であろう。
しかしこれが子育てというものなのか。いつしか私もこういう体験をするのであろうか。ああ、うちは父母どころか祖父母もいる、一体どうなってしまうのか。あまり考えたくない。 などと思い悩んでいると、
ば「あら、ちょっとこの服じゃ暑いかねえー」
奥さん「あ、そうかも、今日は気温も高いし・・・」
ば「ジャ○コ行って新しい服を買ってこようか。これからちょっと行ってくるね」
と言ってじいじとばあばは去ってしまった。
家族の団欒に水をさすのも申し訳ない、連れと相談し、我々はここらで退散することにした(逃げるわけではない)。
子育てにあたり、これから色々と大変なことがあるだろうが、しかしきっと彼らなら乗り切ってくれるに違いない。それでも、あの小さな命が健やかに育つために、何か私も手伝えることはないだろうか?帰りの車の中で、必死に考えた。
私「毎週行ってしょーもない言葉ひとつ覚えさせて帰ってくるっていうのはどうでしょう?」
連れ「10倍返しされそうだから、やめた方がいいですよ」
ごもっともである。
赤ちゃんのかわいさ、夫妻(特に旦那)の親ばかぶり、じいじ・ばあばのパワーを見せつけられたゴールデンウィーク最終日であった。
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#CCCDについて
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前回同様、随分久方ぶりの更新となってしまった。それでも以前のように、半年放置した後にリニューアル、などと暴挙に及んでいないだけマシだと思って欲しい。思ってくれないだろうか。お願い、思って。
本日の話題は、CCCDについてである。 結論としては、「CCCDは購入しない」。
以下、理由である。
インターネット上の各関連サイトにおいては散々話題に上っており、今更改めてCCCDのなんたるやをここで語る必要も無いと思うので、詳細についてはリンクを貼ることで逃げておきたい。
JAYFREAK ONLINE-CCCD FAQ
C堂7 CCCD特集
文才が無いので、思っていることをブロックごとに分けて記述する。
<CCCD導入の説得力の無さ> 発端はエイベックスであり(日本初CCCDは、BoA「Every heart ミンナノキモチ」(2002年3月13日))、その後各レコード会社とも追随、CD店のCCCD率は更なる高まりを見せている。
導入の理由は、「PC普及に伴い違法な音楽ファイルの交換・共有、CD-Rへの複製によってCDの売上に大きな影響を及ぼしている」ということである。
確かに原因の一つとして考えられるが、果たしてそれがすべてであろうか。 「違法コピーによるファイル交換」を音楽CDの売上低下の直接的な原因と出来ない理由について、
・ファイル交換を主として音楽を聴いている層の比率はどの程度か →音楽を聴く層における比率はそれほどまでに高いのか? ・気に入った音楽であれば対価を出して購入する層が居るのではないか →「所有したい」というニーズを引き出す作品が現在どれだけあるのか? ・趣味嗜好の多様化の影響はどの程度か →皆が同じ音楽を聞くことのほうが異常では無いのか?
など、素人考えでもいくつか挙げることが可能だ。
弁護士である小倉秀夫氏のweb日記で、更に詳細な考察が述べられている。
小倉弁護士の説と、「違法な音楽ファイルの存在が近年の音楽CD売上の低下に直結している」という説では、果たしてどちらが納得できるであろうか。私は、後者を理由とするにはあまりに乱暴過ぎると思う。 レコード会社は、消費者側の不正コピーに責任転嫁する前に、自社製品のクオリティについて検証を行ったのであろうか。
<メリットの無いCCCD導入> CCCDの導入について、アーティスト、メーカー、消費者が得をすることなど、何一つ無い(あるのならばご教授願いたい)。
CCCDはコピーを完全にコントロールできるわけではなく、著作権保護の機能として不完全であること。音楽媒体としても不完全であり、環境によっては再生不可能であること。にもかかわらず導入を推進させることにより、レコード会社がアーティスト・消費者をどれだけ軽視していたかを表出させたこと。
一体どこに得があったのだろうか。 あるいは私たちの手の届かないどこかに、何らかの利益が転がっているのかもしれない。邪推かもしれないが、そう推測されても仕方の無い状況を作り出しては居ないだろうか。
<アーティストの選択権、アーティストと消費者の無用な摩擦> 今回の件について、アーティスト側の反応も様々である。作品がCCCDとしてリリースされることを避けるために反対の声をあげるアーティストも居るが、実際そういった姿勢を取ることが出来るのは、レコード会社の売上に大きく関与している一部のアーティストのみであろう。名も知れていないアーティストが同様に反対の声をあげられるかといえば、不可能であろう。 結果、多くのアーティストが選択権を持てないまま、不本意ながらCCCDでのリリースを余儀なくされているのではないか。
また、CCCDで作品をリリースしたことに対し、アーティストのオフィシャルサイト等へ批判の声を寄せるケースが散見されるが、本来意見を伝えるべき相手はレコード会社であり、アーティストではない。CCCDは、アーティストの音楽に対する姿勢を浮き彫りにさせるフィルターには成り得ない。
CCCDの導入によって、アーティストと消費者の関係に無用な摩擦を生み出していないだろうか。CCCD導入以前であれば、まったく発生する余地の無い摩擦である。両者の間に、つまらない不信感を漂わせる結果となっていやしないだろうか。
<敢えてCCCDを買うか?音楽購入の機会損失> これだけの問題があるCCCDを、敢えて購入する気になるだろうか。 先日CD店へ行った際、以前より気になっていたbloodthirsty butchersの新作「荒野ニオケルbloodthirsty butchers」にCCCDのステッカーが貼ってあった時には、さすがにがっくり来た。散々迷った挙句、CCCDの気持ち悪さが手伝い、購入を断念したが、同様の理由で見送りとなった作品がいくつかある。 その中には、これまで聞いたことが無かったが、ちょっと気になったので買ってみようと考えていたものも含まれる。CCCDは、そういった衝動買いのきっかけすら奪ってしまう。
エイベックスのwebサイトのコンテンツである「ABOUT CCCD」におけるFAQの設問2「なぜコピーコントロールCDを出すのですか?」では、下記の通り述べられている。
これらの行為(違法な音楽ファイルの交換・共有、CD-Rへの複製、ファイル交換)は、作詞・作曲家、実演家(アーティスト)、レコード製作者等音楽産業に関わるすべての人達の生活を脅かすことになります。その結果、新しい楽曲も、新しいアーティストも、この世に生まれなくなってしまうことになりかねないのです。
自ら「新しい楽曲も、新しいアーティストも、この世に生まれなくなってしまう」きっかけを作り出しているとしたら、随分と皮肉なものである。
<CCCD導入についての体制作り・啓蒙の不足> CD店の店長に、CCCDについて聞いたところ、販売する側としても複雑であるとの回答であった。CCCDについての消費者の認識はやはり高くなく、そもそもCCCDがどういったものであるか知らない人がほとんどらしい。 CCCDの啓蒙を促すパンフレットも見せていただいた。記憶違いだったか、「以前からパンフレット置いてありましたっけ?」と尋ねたところ、最近になってようやくレコード会社より配布されるようになったとのことである(CCCD自体の販売は昨年初頭より行っているにもかかわらず)。更に、パンフレットは現在手元あるのみで、在庫は無いとのこと。
「パンフレットが無くてもお客さんへの説明は出来る、けど、もうちょっとどうにかしてほしいというのが本音」
苦しい立場を吐露されていた。何かあったときに真っ先に苦情が来るのはここであろう。消費者への説明は十分であったか?販売を行うにあたって、環境の整備状況は妥当であったか?疑問の残るところである。
以上つらつらと思ったことを書き連ねてきたが、結局我々に出来ることは、CCCDがなんたるかをより多くの人に知ってもらうために情報を発信することと、CCCDを買わないことぐらいである。単純且つ気が遠くなりそうな活動であるが、やらないよりは増しなので、今回記述することにした。
今後、CCCDの占める割合は更に増加するであろう。好きなアーティストがCCCD化されることも数多くあるだろうし、実際にいくつかCCCD化されている。 すべてのCDがCCCD化された場合にどうするか。懐古主義に走るかもしれないし、断念してCCCD購入に踏み切るかもしれない。もしかしたら新しい音楽媒体が出現し、そちらに乗り換えているかもしれない。
現時点ではなんとも言えないが、それでも「知らないよりは知っていたほうが増し」であるし、「何もしないより何か発した方が増し」であることには変わりない。今回の日記で、CCCDについて興味を持ってくれた方が居たら、幸いである。
前日本レコード協会の会長が、「不況の時代、人々は癒しを求めている。本来ならば、癒しや励ましを与える音楽需要が高まってもいいようなものだ。しかし、期待に反して音楽CDの販売額はマイナスを更新し続けている。元凶は、間違いなく家庭用パソコンによる不正コピーが横行しているからだ」という素晴らしい発言をしてみたり、日本レコード協会新会長にエイベックス会長兼社長が就任してみたりと、なかなか笑えそうで笑えない、しかし笑うしかない現状であるが、自らの首を締めるような行為に加担したいとは思わない。
追記: ・企業の都合で新たなサービスを行うことなどいくらでもあるであろう。要は落としどころの問題であり、どれだけ納得できる理由と、納得できる環境を整えることが出来るかであると思うがいかがだろうか。
・今回の件は、「不正コピーが不可能になるため反対」ではなく、「不正コピーを防止するにあたって、CCCDという不完全な技術を採用したことと、それを発端とした現在の状況がおかしい」という立場である。
・導入にあたって、十分な説明がなされていないこともおかしな話であるが、恐らく私たちが知らない間に「いつのまにかすりかわっているもの」なんていくらでもあるのではないだろうか。 興味を持たないこと、興味を持てないこと、興味を持っても動かないこと、自戒をこめて、抵抗する活動に繋がらない消費者側にも問題があるのではないか。
・音楽が生活の一部となっている人は、一体どれだけ居るのか。
・自由−それとも著作権?
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