ミドルエイジのビジネスマン
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青空の薄雲に同じ形のものは二つと無く、森の淡い緑の影にも同じものは二つとない。時折読書の眼を休めようと顔を上げれば、こんな景色が目に入り、デッキの上での読書がいかに楽しいものかと書こうと思ったが、実は何週間も続けて同じことを書いている。そういう意味では、最高に幸せな時間を享受しているのだと思う。
ここのところ休みの日と言えば、午前中に自転車に乗って、帰ってきたらお風呂に入り、風呂から上がればビールを片手に読書というのが幸せのパターンになっている。
2010年04月25日(日) |
旧友と昼食で思ったこと |
土曜日は晴れ時々曇り。本を持ってデッキに繰り出し、陽が射したり翳ったりするたびに空を見上げながら読書。前日、旧友がお土産にくれた「高級おかき」の詰め合わせを、言われたとおりビールのつまみにして、宮部みゆきの時代小説短編集「日暮し」を拡げた。
江戸庶民を主人公にした軽い小説を選ぶようになってきたのは、歳を重ねた証拠だろう。若い頃、オジサンが電車の中で文庫本の時代小説を読んでいるのを見ると、この人の向上意欲はもはや消えうせたのかと見下したものだが。陽の下に新しきことなし、老いた猫が日向ぼっこを好むように、東京の見知った地名が出てくると、ああ、あそこの道を岡っ引が走り廻ったり、あの橋を小僧がかじかむ手に息を吹きかけながら歩いたりしたのかと想像して楽しむ。自分もまた、未来の人々から、昔はみんな同じ色の同じ柄のスーツを着て、こんなオフィスでこんな風に働いていたのかとか、こんな気持ちで電車から風景を見ていたのかなどと小説の中の人物として想像されるのかもしれない。
郷里から出張で出てきたという旧友の話を聞くと、えらく優雅に暮らしている。同級生と旅行に行って奥松島の高級ホテルに泊まったとか、奥さんと鎌倉に行って来たとか。鎌倉と言えば、3月28日の日記にメモしていた日本テレビの「遠まわりの雨」を彼も見ただろうか。奇しくも同じようなコースを廻ったようなのだが。
腕に覚えのある金属絞込みという途方もない職人技で昔の恋人を助け、そうして再び燃え上がった恋心を、思い出の鎌倉で一日だけ自分達に許し、もう大人だからと、いつの間にか雨が雪に変わった江ノ電極楽寺という小さな駅のホームで、泣きながら別れる男と女。渡辺謙、カッコ良かったな。夏川結衣、魅力的だった。別れた後の二人には、再就職先の家電販売店での不得手な接客や、脳梗塞から退院してきた軽い後遺症の残る夫のために上っ張りを着てママチャリで買い物に行ったりするという日常が待っているのだ。
きっとこのドラマは、デジタル化して保存されるので、何十年、あるいは何百年か先に、電車の中で(そのころ、電車に乗って毎日何十キロも通うというライフスタイルがあるかどうか)、メガネを装着すると大画面が眼前に広がるというディスプレイで、ミドルエイジのビジネスマンが観て、涙を流すかもしれない。陽の下に新しきことなし、だ。
好きな本を何時まで読んでいても許される土曜の夜は楽しみだ。あれは、11時半くらいだったろうか。夜のしじまを破ってフクロウが鳴いた。高台にマンションができて、不夜城のようになってしまったので、フクロウも住めなくなったかと危惧していたが、なんとか生き延びているようだ。ホッホ〜と一度鳴いて、もう終わりなのかなと気を持たせてからホッホ、ホッホウと2回鳴く。ベッドの中で本を読んでいるとかすかに聞こえてくるが、窓を閉めているとかすかにしか聞こえないので、ウッドデッキに出て、大きな声で鳴いているのを確かめる。いつまでも生き延びてくれるといいが。
読んでいるのは、宮本輝の「骸骨ビルの庭」。大阪の戦災孤児をめぐる話だ。人の有りようを考えさせる良書だとは思うが、戦争に翻弄されて人生を変えられてしまい、「戦後」を生き抜いた人々が年老いて、この世からいなくなってしまうのだなあと予感させる物語でもある。
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