■ 腰痛日記 ■
ケイの10年にわたる痛みの治療体験を少しずつ書いていきます

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2002年08月22日(木) オモシロイ現象

今日はもう秋晴れって感じでしたね、風が冷たくなっています。

皆さんは、気候や季節による痛みの変化ってありますか?
私は寒くても、暑くても、雨が降っても、雪が降っても、ぜんぜん関係なかったです。
だから、寒さや雨に対する条件付けはなかったです。
この10年は痛みのない日はほとんどなかったのですが、痛む場所の移動や痛みの強さの変化も、いつも何の前触れもなく突然!ってことが多かったの。

ただ、オモシロイ現象が一つだけありました。
5年以上診て頂いていた先生と、治療中にいろいろ話しをしていたのですが、その先生が「○○さん、最近首が痛いって言わないね〜」と言った後や、私が「ここのところ足はあまり痛くないんですよ」と話した翌日、または翌々日に必ずその場所が痛くなるの(←。←)

とっても不思議でした。その先生も「○○さんにここが良くなったっていえないね」と笑ってました(−。−)
忘れていた痛みが、話しをキッカケにして潜在意識を刺激していたのでしょうか?

今はそんなことはないのだけれど・・・
(^0_0^)先生のところに用事があるなぁ・・・って思っていたら都合よく?痛くなることがあるような、ないような(^-^;






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2002年08月21日(水) 空を見ようよ

一昨日書いたコラムの続き・・・

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では「約束を破る」「嘘をつく」はどうでしょう。やはり、かなり不健康な心に思えます。

でも、嘘をつかない人がいるでしょうか。社会的に立派と言われる人々は、常に約束(この場合には社会の約束としての法律ですが)を破ったり、嘘をついたりしたのがばれて、失脚していきます。

いわゆる社会人で嘘をつかない人を私はみたことがありません。あえて言うなら、精神科の患者さんの中には「嘘をつかない人」がいます。「嘘をつけない人」というのが正しいのかも知れませんが、そんな人々の心はきらきらと輝いて見えます。

しかし、一般論で言えば、どうやら人間は嘘をつかずには生きていけない動物のようです。「私は嘘をつきません」と言い張る心より、「私は嘘をつくことがあります」と素直に認める心の方が、私には、とても健康に思えます。
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ここを読んで私は以前おおざるさん(HPリンク参照)に言われた言葉を思い出しました。
私はストレスリスト(TMSプログラムの一つ)を書いているとどうしても自分を責めてしまうのです。
そんな時「無理に書かなくていいですよ!」そして「自分を責めるなと言っても、そうしてしまうのなら、その責めてしまう自分を認めてあげてくださいね。」といわれました。
自分を責める、そんな自分を認めてあげる?最初はよく理解出来なかったのですが、無理に頑張らなくても良い、あるがままの自分でいれば良いんだって思えました。

弱い自分を認めるってことですよね。
簡単なようで、弱さを認めるってことは怖かったです。
これによく似たことが先日紹介した本にも書いてありました。

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「あんたかてアホやし、わてかてアホや」という考えを、私は勝手に「性アホ説」と呼んでいる。人はもともと悪人として生まれてついているという「性悪説」、人はもともと善人として生まれるいているという「性善説」ならぬ、人はもともとアホとして生まれるいているのだという「性アホ説」だ。
・・・・・・・・・・・・・・・

この意味では、「性アホ説」には人が強くなるための考えが含まれているように思う。「自分はどうせアホだからな」という考えは、自分の弱さを認めることに共通する。「自分をアホだ」と思っていれば、格好よくしようなどと思わなくなる。見栄を張ることがなくなるから、たとえば仕事ができないときには「できない」といえる。相手が何をいっているのか理解できないときも、無理せず「アホやからわからん」と相手にいえる。人から自分の欠点を指摘されたようなときも、「アホだからしかたないよ」といい意味であきらめられるし、素直に認めることができるのだ。

逆に、人に失敗に対して優しくなれる。たとえば、他人のメールを盗み見するような人がいる。よほど人の情報が気になるのだろう。こういう人に対して、「まあ人間はアホだからなあ。たまには悪いこともする」と思ってあげれば、許す気持ちもわいてくるというものだ。他人への寛容さの根本にも「性アホ説」は有効だ。

自分の弱さを認められる人も、同じような行動を取れるだろう。「自分は強いんだ」という肩肘を張るよりも何倍も楽な生き方だと思う。
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「性アホ説」気にいっちゃた(*^.^*)

あ、そうだ!
もう一つ大切にしている言葉があったんだ!






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今日の空はどんなだったっけ?おおざるさーーん、空みてる!



2002年08月20日(火) 繋がり

人と人の繋がりって不思議ですね。

家庭、学校、地域、職場、趣味、出会いの場所はいろいろあります。
「痛み」を通しての出会いは私にとっては特別だったような気がします。
「痛み」って個人的なものだから、なかなか人に理解してもらえないですよね。それはとても辛いことでした。
だから、同じ痛みを持つ人を見ると以前の自分に出会ったように感じてしまい、なにも出来ないことはわかっていても「なんとかしてあげたい、何かできないか?」とついおせっかいになってしまいます。

病院で同じ痛みを持つ者が、寝起きを共にしていると、家族のような感覚になるものです。
今までの痛みの歴史?を聞いたり手術に至るまでの経過を話したり、術後の回復を確かめたり・・・

でも、TMS理論を知ってからの出会いは、もっと深い繋がりがあるように思えます。
身体のことはもちろんですが、心についても真剣に話しあうことが出来るからかな?
また、ケイしゃんの日常の生活では出会うはずのない方といつの間にか繋がっていることに驚いています。

今日も新しい出会いがありました(*^.^*)






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2002年08月19日(月) 健康な心

某日某新聞のコラムから

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健康な心とはどんなものなのでしょう

例えば「悩んでいる心」
は不健康でしょうか

きっと違います

「悩む」のは
とても素晴らしいことです

悩みもなく
いつも明るく快活なのが
健康ではないと思います

人はみな悩みながら
成長していくのですから

「憎む」
「さげすむ」
「勘ぐる」
「おとしめる」
「ねたむ」

となるとちょっと不健康に思えます
しかし
これも十分に注意しなければなりません

例えば
「勘ぐる」
をわかりやすくするために
「信じる」と「疑う」
二つの心を考えます

「信じる」
のが健康的で
「疑う」
のは不健康でしょうか

いいえ、違います

妄信的に何かを信じてしまうのは
とても危険で
不健康な心です

一方「疑う」のは
「なぜ?」という疑問につながるのですが
これで人類は進歩してきました

科学の発展は
「疑う」の連続で成立しています

この「勘ぐる」と「疑う」
のわずかな差の中に、
うも不健康な心が
存在しているように思えるのです

おそらく両者の違いは
対象を「悪いものだろう」
と決めつける偏見や先入観が
あるかないかです

「勘ぐる」心には
理屈ではなく
一方的に相手が悪者だという
勝手な判断が隠れています

きっと
これこそが不健康な心の源なのだと思います

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うれしい
かなしい
たのしい
ねたましい
こんにゃろー
うらやましい
くるしい
つらい

人はいつでも
どんな小さなことに対しても
なにかを感じて生きています

その感情に
良いも悪いもないのですよね

でも
なにかの感情
(怒り・ねたみ など)
を悪いものだと思い込んでいると
無意識に
それを押さえ込もうとしたり

誰かにその感情を
気づかせないために
明るく振舞おうとして

それがストレスに
なってしまうのではないでしょうか?

もちろん
生活をする上で
自分の力では
どうにも出来ない現実的な問題
(仕事、家族、病気・・・)

がストレスになっていることも
多いと思います

が、それから生じる自分の感情に
善悪をつけないで
受け入れることができたら
毎日をもっとらく〜に過ごせるのに

と自分にも言い聞かす(^-^;

私は以前は痛みに対して
身体の構造
(脊椎、椎間板、神経)
を詳しく書いてある本ばかり
読んでいました

でも
それをある程度理解していたからこそ
そこに原因がないというTMS理論を
スンナリ理解できたのだと思います

今は
ココロ(心理・感情・精神)
にとても興味があり
本や新聞、小冊子などを見るときも
いつの間にかそっちの記事を
探してしまいます

あまり頭でっかちには
なりたくないのですが・・・(^-^)ゞ

いろいろな角度から
新しい情報を得ることで
長い間に染み付いた感情に対する
偏見や
自動思考の癖が取れていくのではないか
と思っています




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2002年08月18日(日) 普通の医師

昨日おばちゃん(母の叔母)の腰痛のことを書いたのですが、(^0_0^)先生から「老人の腰痛で気を付けなければいけないのは圧迫骨折です。ちょっとしたことでも起きることがあります。・・・中略・・・痛みが続くようなら再検査するべきでしょう。」とメールが来てました。
検査もなしの素人判断は危険ってことはよーーっくわかってますっ!
明日病院にも行くって言ってましたから、その後の様子はまたここでお知らせしますね。
でもね、必要のない検査をしたり、その結果だけを証拠に患者の不安をあおる医師が多いのも現実です。

今日、図書館に行って来たのですがオモシロイ本を見つけました。

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『プラス思考だけじゃダメなんだ!』  川村則行著

仕事の繁忙期になると必ず頭痛が起きたり、昨夜まで元気だった子供が学校へ行く寸前に「お腹が痛い」といいだすことがあるなど、私たちは経験のなかで「心とからだは関係がありそうだな」と何となくわかっている。

だが現代の医学の世界は、この「何となく」を許さない。科学的根拠のある、だれが解いても同じ答えが出るようなきちんとした数式が整えられなければ、たとえ私たちが「病は気から」の言葉を実感していても、それを事実として認められないのだ。だから普通の内科医や外科医は、心とからだはまったく別のもの、からだを治療するのに心は関係ないとして、極めて科学的な治療を行う。

これに対して私のような心療内科医は、心とからだは関係するものとして患者さんの治療に取り組む。科学的治療にとどまらず、異常の起きたからだの背後にある「心」も診ていくのだ。

これまで多くの患者さんと接してきて、またこれまでの研究の成果を通して私が感じるのは、やはり人の心とからだは密接に関係しているのだなということ、ひいては人の心もちようで、病気になるかならないかの選択をできるのだな、ということだ。

やや極論ではあるが、言葉をかえれば、人は自分が生き生きと元気に過ごしたいと思えばその通りに生きられるし、逆に病気になったり病気が悪化するのは、それなりの精神的なバックグラウンドがあるためだ。かりに病気にかかってしまったとしても、元気になりたいという意志があれば、必ず快方に向かうということだ。
*************************

ここに書いてある「何となく」を許さないのは現代医学に携わる医師だけではなく、私たち患者にもそういう傾向があるのではないかな?
ハッキリとした証拠を示してくれたり、それなり?の病名が付いていないと安心できないって気持ちは、私もありました。

(^0_0^)先生は、ご自分のことを「かわった整形外科医」とか「理屈っぽい医師」と形容することがあります。
ベラフォンテさんも「切ることを止めた外科医」ですから一般的には「かわった医師」に入るのでしょうね。

この2人の医師の姿が「素晴らしい医師」?・・・そいうじゃないか・・・「普通の医師」と言われる日が早く来てほしいですね(*^.^*)






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2002年08月17日(土) ギックリ腰

今日はお盆が過ぎてからのお墓参りに行ってきました。
ご先祖様、遅くなってごめんなさいm(_ _)m

今年は私が元気だと思って、主人があちらでビールを飲んでしまい、帰り道は3時間運転してきました。途中は眠くて仕方がなかったけど腰はもちろん大丈夫(*^.^*)

母方の親戚のお宅にも寄ったのですが、2.3日前から母の叔母が腰が痛くて足にも力が入らなくなったらしいです。
今年の2月に4年間寝たきりだった連れ合いを亡くし、葬儀を済ませた後にも同じようにギックリ腰のような状態になっています。
今回は遠く海外に暮す息子さんを病気で亡くしたばかりです。
症状が落ち着くまで母がしばらく付いていることになりそうです。

様子を聞いて主人が私に「もしかしてTMS?」と耳打ちしました。
良く解ってるわねぇ〜〜、日ごろの教育の成果かしら(^-^)ゞ

おばちゃんの息子さんにレントゲン技師がいて彼は「足の症状も腰から来ている。」と言ってたそうです。
私は「前のギックリの時もすぐに良くなったのだから、今度もすぐにまた元気なおばちゃんに戻れるよ!」としか言えませんでした。
月曜日に病院へ行くそうです。近ければ(^0_0^)先生の医院に連れて行くのだけど・・・車で3時間かかるからなぁ(−。−)

ゆっきーちゃん(TMSの掲示板の番台さん)も言ってたけど、身内に医療関係の人がいるとその人が良かれと思って言った言葉だから、余計に呪いになってしまうのですよね。
でも今日は私達のために台所に立って美味しいものを出してくれました。
だからきっと大丈夫!!!

今はおばちゃんの悲しみを時間が癒してくれると信じています。
おばちゃんの息子さんたちと共にケイしゃんの祖父はブラジルにいます。。。93歳!






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2002年08月16日(金) 儀式

昨日手術のことを書きましたが
続きをもう少し

手術をするために
検査はもちろんたくさんしますが
他にも腰に負担をかけない起き上がり方や
寝たままゴハンを食べる練習
なんてこともさせられました

そして手術当日
オペ室に入る前に
麻酔の効きを良くする注射?
をするのですが
私はそれでもう記憶がなくなっていました

ちゃんと同室の患者さんとも話しをしていたと
主人は言うのですが
ぜんぜん憶えていません

全身麻酔なので
手術中のことはもちろん憶えていませんが
「○○さん、終わりましたよ
痛くないですか?」

という声で目が覚めたとき
何故か私は
「痛いけど我慢する」
と答えてました

傷口(14cm)はもちろん痛かったし
麻酔の影響かノドが痛く
おまけに首も痛くて
あと寒くて寒くて
ガタガタ震えが止まらなくて最悪でした

でも
ヘルニアが神経を圧迫しているイメージは消え
気持ちの上では
「これで長い間我慢していた
痛みから解放されるんだ!」
と思えてとてもスッキリした気分でした

術後2日目までは痛かったなぁ

うめきながら寝返りをうっていました

そして術後1週間までは寝たきりです
大を看護婦さんにお世話してもらうのが
辛かったです

術後2週間後には
例のコルセットを付けて歩くことが出来ました

でも座位はトイレの時以外は禁止
立ったままゴハンを食べていました

術後の経過はとても順調でした

傷口も綺麗だったし
痛みも前より楽になったように感じてました

なにより
精神的にとても充実していました

これで良くなるって信じていたから

おおざるさんのお友達で
外科医のベラフォンテさんにお会いした時
私が手術したことを聞くと
こうおっしゃいました

「ケイしゃんも儀式をしたのぉ〜〜
アレはとっても効くでしょ!」

私の場合はホントに効きました(^-^)ゞ

でも
その効き目もだんだん
薄れていきました

だって
同じ手術をした人で
経過の悪い人がたくさんいた

再手術の人も何人もいた

私の痛みもある程度から
ほとんど改善が見られなかった
からです

そして術後2年の間に
手術前と同じ痛みを何回か経験しました

私は手術することで
少し楽になったことによって

TMSとも
落ち着いて向き合うことが出来たのだから
後悔はしていません
(たとえそれがプラシーボ効果だとしても)




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でも
「お金・時間・身体への負担」
を考えるとオススメできる
儀式ではないでしゅね(^-^;

あ、そうそう!
どうでもいいことですが
手術直前の病名は
「腰椎椎間板ヘルニア・腰部脊柱管狭窄症」
ってなってました

手術方法は「後方固定術」です・・・はい


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