AS ‖BAGDAD Cafe‖ 暇喫茶的育児休暇

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日々つれづれ、育児休暇中の日記です。(2002/8-2003/3)
その後ぐら小学4年生、ぐり小学2年生になり
中学受験を視野に入れた勉強の記録

2002年10月10日(木) 自分のしるし

秋の朝はほんとに静かです。空気も澄んでいることと何か関係あるのかなと思うけれど・・・・物のシルエットがあまりにもくっきりしていて不思議な感じ。
いつも朝に一つづつ木からとっているどんぐり、私の手の届くところにあるのが残り少なくなってきた。で、今日は他の色づいてきた赤い小さな実をとってぐらに渡すとぐら曰く「○○ちゃんのさくらんぼ〜」○○にはちゃんとクラスメートの苗字名前のフルネームが入る。他にも朝ご飯に果物をだした時も「○●ちゃんのぶどう〜ぱくっ!」「●●ちゃんのみかん〜おとうさんちょうだい!」と必ず果物の名前の前にクラスメートの名前をつけている。

ぐらのクラスでは、果物の名前がそれぞれの子供のマークとして割り当てられていて、これがその子の椅子から引き出しからいろんなところについている。きっとお片づけしやすいとか、自分のものという意識を強くするとかの目的があるんだろうけどけっこういいアイデアだと思う。関連づけすると20人ぐらいいる友達の名前も覚えられちゃうんだね。ちなみにぐらはバナナ。だからバナナを食べる時は「ぐらのバナナ〜」だ。これは0歳児から変わらないのでけっこう愛着が小さいなりに湧いてくるんだろう。でも1歳児クラスになりどんどん人数が増えてくると、まだ古参組のぐらとかは分かりやすい果物でいいんだけど1歳児クラスから入園してきた子には「キウイ」とか「洋なし」とかちょっとマークとしては分かりにくいマークが割り当てられてしまっている。これから進級してもっと人数増えたらどうなるんだろうと楽しみな私。

話変わってノーベル化学賞の田中さん、すごいですね〜何がすごいって民間企業の一サラリーマンだということ。それでも才能と努力と人と違う発想がうまく結晶して素晴らしい発明をしたらそれに対して最高の栄誉が与えられたという形だと思う。ただ彼は彼の勤める企業からはそれほど評価されていなかったみたいですね。肩書きが上の同期がたくさんいるといると新聞に書いていた(こんなことを書く新聞もちょっとデリカシーがないなあとは思うけど)
でも、企業の上司が評価するのは仕事の質以外に人間関係であるとか、交渉能力であるとかが加味された上司の相対評価。これはこれで大切だと思う。でも素晴らしい発明をしたという絶対評価は自分の中の揺らぐことのない自信、本当の自分のしるしになるんだろう。これにはかなわない。

この人の仕事に比べたら自分の仕事なんて虚業の最たるものだけれども、でもスケールは違ってても(違いすぎ?)人からの評価でなくて、自分が自分に自信を持てる仕事をしたいとふと思った朝でした。

2002年10月09日(水) BCG

今日の朝は吐く息が白く見えた。あっという間に涼しくなりますね。いつも保育園の送りから帰ってきたらアイスのカフェオレを飲むのだけれど、今日は暖かいのにしました。

昨日はぐりが夜に愚図る。ツ反の影響か、ちょっと風邪気味で鼻水がでているので気持悪いからか、寒いから一枚ブランケットをかけたのが重くて不満だったのか・・・・普通の赤ちゃんみたいに泣くんじゃくてまるで「ぶつぶつ文句をいう」といった言葉がぴったりの愚図り方。日頃よく寝る赤ちゃんなのでたまにこういうことがあるとかなりヤワな私にはきつい。朦朧としつつ「どーしたの?」とあやしていると大きな目をぱっちりあけてにっこりしたのは覚えている。もしかしたら昼夜逆転の前触れ?

昨日発見したこと、あまりすぐには笑わないぐりが声を出してきゃっきゃっ喜ぶ遊び。なんとゆすり上げてすこし放り上げキャッチすると面白いぐらい笑う。でもこれってあまりしてはいけない筈。スリル好きなのか?ぐり。

ぐりも4ヵ月半、ますます赤ん坊らしくなってきた。首がかなりしっかり据わるようになってきたのでそろそろお出かけモードな気分の私。気候もいいし。といっても週末の家族のお出かけじゃなくて平日昼間のぐりと2人での三宮でのブラブラ+友達とお昼という「自分のためのお出かけ」なんだけどね。
ぐらの時もよく冬になるまでは外出していたなあ。子供が生まれる前によく行ったイタリアンとか、カフェとかにぐらと入っていた。なんてったってその頃6−7ヶ月、おすわりはできるけど悪さはしない、あまり愚図らない、離乳食もスープとパンで十分対応できるってこの頃が今思えば一番お出かけしやすかった。身軽に抱っこ紐でさっと動けるしね。

カフェとかに入ってぐらをお座りさせてコーヒーを飲んでると店中の視線が集中する。あちこちからひそひそ「かわいい〜〜」という若い女の子の声。何気に嬉しいバカ親の私。でもこれってものすごーく美人のガールフレンドを連れた男の子が感じるものに共通するものってあるんだろうな(笑)

今日はとりあえずBCGを受けに行く予定です。


2002年10月08日(火) 雨降りに想う

なんだかちょっとイワクありげな題名だけど育児ネタです。悪しからずご了承を(笑)
今日は天気予報で「午前中は降っていますが午後から快方へむかうでしょう・・」と言っていたので相変わらず希望的観測しかしない私は「今日のお迎えは涼しい雨上がりでいいかも」と思っていたけど一日中しとしと降っていた。11月上旬並の気温らしい。肌寒い。夕方4時半だがかなり暗く、私は保育園への道をぐりに一枚余計に着せて抱っこ紐に入れ傘をさして急いで歩いていた。

ふとよぎった記憶。それは私の小さい頃の記憶だ。小さいといっても暗い道を歩いているんだから小学生の頃だろう。習い事の帰りだったか、今日と同じように雨に降り込められてあたりは暗くて・・・でも私は歩いている。もうすぐ家だ。暖かい灯りがついていておかあさんが料理している水蒸気で部屋が温かく曇っている家。帰ったらコタツに座って夕方の天気予報を見てお茶を飲もう。それだけでなんだかとても楽しかった。帰ってきて開口一番「家っていいね〜」と母に言った、と思う。あともう一つ、寝るときに太陽の匂いのする布団にくるまって「おかあさんおやすみ〜」と言ってすぐに眠りに落ちる気持のいい記憶。

今思えば私は小さい頃から「家庭」に執着していたのだろう。今の自分を「家庭的」だとはあまり思えないのだけど、根っこの部分で自分の理想とする「家庭」の断片的なイメージをずっと長い間大切に持っていたのだろう。

私の子供達はどんなイメージを持つのだろうか。いつかきっと聞いてみようと思う。

2002年10月07日(月) ツ反、その他

今日はぐりのツベルクリン反応。前にも言ったがかなりタイトな予防接種予定を組んでいるのではずせない。ポリオの予定と睨み合わせるとツ反を受けたあとDPTの最終を入れられる日は11月のはじめ一週間しかない。健康状態は上々なのでさっさと受けに行く。なにをそこまでしてしゃかりきになって予防接種を受けているかと言うとぐらの時に痛い思いをしているからです。のんびり構えていると冬になって風邪をひく→予防接種を受けられない→ずるずると延期→復帰までに間に合わず、無防備のまま保育園に放り出すということになる。こっちのほうが親としてかなり心臓に悪い。今年は多分ぐらが保育園にいってるので病原菌が家に入り込む機会も多そうだし、インフルエンザも受けておきたいし・・・・・

行くとまた4ヶ月ぐらいの赤ちゃんがたくさんいて楽しい。前の列にならんだおかあさんの肩から顔を出している赤ちゃんをあやすとにこにこして喜ぶ。そういえばぐりはあまりよくは笑わないなあ・・・機嫌はいつもいいけど。これもぐりの個性なんだろうなあ。あっという間に順番、うでを出されてほよよよ〜とぐりがしている間にもう針が刺さっていた。「うぎゃ」の一言でおしまいですぐに泣き止む。

普段よりぐりは心なしか興奮していた。やっぱり注射したからかな。といっても泣くんじゃなくて一人で遊びまくる。ぐらの時は組み立ててもあまり見向きもされなかったベビー用のジム(寝ていて上のつるしてあるおもちゃで遊べるもの)を触ってひっぱったり、鈴を鳴らしたり、足で蹴ったり。親は楽チンだ〜しかし、いつもは目の覚めない夜の11時ごろに目覚めていきなり目をぱっちりあけてこのジムで1時間も機嫌よく遊ぶのは如何なものか・・・・

前から頼んでいたDVDが届いた。もうDVDでも擦り切れるんじゃないかと思うほどぐらが(もちろん親も)見た「トトロ」「千と千尋」、さすがにぐらも飽きたらしく「もういやだ〜」というところへ「ラピュタ」「もののけ姫」を追加。親もほっとしている。宮崎アニメはちょっとファンタジーの内容自体を理解させるのは難しいんだけど画面があまりぶれないので小さい子供が見るにはいいかも。ディズニー系もいいけど、めまぐるしく画面が変わるのが目が疲れそうでちょっと気になるので。ぐらはもちろん大喜び。もう「トトロ」とかは見ているとストーリーの中に入り込んでしまっている。主人公の女の子が手を叩くところでは自分も手をたたき、走り回るところでは自分も走り回っている。その子がきゅうりを丸かじりする場面を見ると自分も嫌いだったきゅうりを食べるようになり・・・・こういうものの影響力ってほんと大きいんだなあ・・・と思う。別に教育ママになるつもりはさらさらないけど気をつけないといけないよなあ。

2002年10月06日(日) 今私がいるところ

今週に私の誕生日かきた。ということでお休みの日にあわせてダンナがケーキを購入してくれる。毎年同じ店の同じケーキ、私の大好物なのだけれども、ホール買いってなかなか普段自分のためにって事は少ないから結構嬉しいです。
昔は誕生日には「○○が欲しい」とお互い自己申告制でプレゼントを贈りあっていたのだったよなあ。ぐらが生まれた年はやった記憶がある。確か出産よくがんばりましたねという意味あいもあってそろいの指輪とネックレスをもらった、いやもとい買わせたのだった(笑)でもぐら1歳、ぐりお腹の中の時はつわりと仕事の疲れで買いにいこうという気力もなく、そしてぐら2歳、ぐり4ヶ月だと日々のお世話に追われてこれまた余裕なく、あれれ、明日私の誕生日じゃないか!!という感じだった。みなさんもそうじゃないですか?それでもちゃんと自分の誕生日をイベントとして認知してそれなりのことをやっている人は世の中にはいるんだろう、きっと。

個人的なことをいってしまうと、年をとっていくのはそんなに苦痛にならないタイプだ。まあ、若いときにその若さの恩恵みたいなものをあまり受けた記憶がないからかも。(といっても今考えるとまさにそれは若さの特権なり恩恵と思い当たることは多々あるのだけど、渦中にいる時は気がつかなかった)若く見られるより、年相応で魅力があると言われたほうが嬉しい。さて、自分の思惑どおり年をとっていけるのだろうか。楽しみでもあり、怖くもある。

とりあえず今は必死に子供を育てるんでいいんだろうなあ。自分が生きてきて今が一番自分のなかの動物的な「本能」に近づいている時だと思う。その状態を受け入れることはなにかこう、自分がいままで生きてきて身につけてきたつまんない虚栄をいったん剥がしてしまえる気がするなあ。

ま、つべこべ書きましたが、日々をいとおしんで過ごして行こうと思います。

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