AS ‖BAGDAD Cafe‖ 暇喫茶的育児休暇

INDEXPASTWILLCLOSE

日々つれづれ、育児休暇中の日記です。(2002/8-2003/3)
その後ぐら小学4年生、ぐり小学2年生になり
中学受験を視野に入れた勉強の記録

2002年11月04日(月) こたつの団欒

寒い・・・段階を踏んで寒くなるとここまで思わないのだろうけど急に冷え込むと本当に寒く感じる。おととい昨日と外出続きでお疲れ気味のぐりぐら、私とダンナ。今日は休養日に設定。というか本格的に冬支度をしないと・・・

ということで今日は私はダンナとぐらの毛布を買いに行く。ぐりが生まれたので必然的にぐらはベビー布団に寝られない。というか大きくなったしあの寝相ではベビー布団なんかとてもとても間に合わない。ぐりもはじめはぐらの時から借りているベビーベッドのレンタルを延長していたのだけれど、夜の授乳がどうも不便なので私のベッドで一緒に寝るようになった。レンタルベッドも返却。ベビー布団も結局しまうことになる。長い間ごくろうさまでした。ダンナはその間しまってあったこたつを出して、こたつ布団を風にあてる。こたつがリビングに入ると狭い。なので私は本当を言うと別に出さなくてもいいかなとも思っている。掃除もなんだか大変だしね。でもダンナの希望もあるし私が反対する理由というのもそう強いものでもなくて、結局でんと鎮座ましますことに。

出すとぐらが上にのって知ってる歌を歌いまくってオンステージ状態。上にのぼったり降りたり「ぐら、じょうずでしょ」と得意そう。そういえばぐらは最近喋る言葉に語尾がつくようになってきた。今までなら「ぐら、じょうず」「このみかん、食べる」と語尾が定型どおりだったのだけど・・・ついでに口調とか口癖とかが私そっくりに。「○○・・・・ってやつ」とぐらがなんでもかんでもにつける語尾は私がぐらに「それって○×ってやつだよね」と確認する口癖そのまま。自分の子どもの言葉を聞いて自分の口癖を直そうと思うことが多い今日この頃。
ぐりは抱っこ癖がばっちりついて下に降ろすと泣くのではなく唸って抗議。下の子って転がしていてもすぐ寝るとか聞くんだけど、どうやら手のかかるお姫さまのようだ。ついでに夜遊びも定例化。夜2時ぐらいに目をぱっちりあけて明るいところへ連れて行けと催促。それを私が無視するとぱちぱち私の顔面を叩いてくる。ああ〜もう少しやさしくしてくれ〜!

出してきたこたつの周りに家族が集まっているのをみて、インテリア的にはそぐわないけどやっぱりいいなあと思いました。真中にみかん皿置こうっと。

2002年11月03日(日) 強行軍

さて、今日は私の実家へ。前々からこの日にぐりの犬帯をもらったお寺へお礼のお参りをすると決めていたので。帯解寺という奈良ではかなり有名なお寺でもちろんぐらのときもここにお参りした。個人的にはさほど信心ぶかい訳でもなく、お経をあげているお坊さんもなんだか丸刈りの高校生みたいなヤツが読み上げる名前の字を間違って読んだりしてありがたさとかも半減・・・いや消滅みたいな感じなのだけど、私はここの古びた雰囲気が好きで、まあ実家に近いことだしまめに行ってはお金を納めているのです。

奈良にはまた京都とちがったいい感じに古びた神社仏閣や古墳が多くて、別に趣味でもないのだれど実家にいるときにはよくふらりと散歩にいったものだ。私の実家もまわりにうじゃうじゃあるけれど、高校はまさにそういう重要文化財に埋もれているような位置にあったのでこう、よそ行きで訪れるのではなく生活の一部だった。お水取りで有名な二月堂の境内にビールを飲んでへろへろになり友達と深夜行って夜風にあたって話し込んだり・・・懐かしい思い出です(笑)

ぐらも「かみさまのおうち〜」とお坊さんが読経している間けっこうちんまりとおとなしく座っていた。坊さんの振る鈴に合わせて私の母の鈴のついているキーホルダーを振っていたのには笑ってしまった。彼なりの信心なのだろうか・・・
問題はぐり、生活のリズムが昨日から崩れてしまっているので不機嫌なことこの上なく、読経中銅鑼の音がするたびに「ふえーん」と泣き声を上げていた。まあ、しょうがないといえばしょうがないか。ここは初参りに来る人もたくさんいて、新生児も久々に見た。寒い中白いおくるみに包まれてすやすや寝ている子が多くて抱く母と一緒になにかしら神聖な雰囲気がある。

お参りして喫茶店でコーヒーを飲み、家にもどってすき焼をご馳走になった。言葉がどんどん進んでかわいらしい生意気をいうぐらがますますかわいいおばあちゃんとおじいちゃんだったけど、夜になると疲れ気味でした。ごくろうさまでした。
しかし私もダンナも2日続いた強行軍でした。ああ疲れた。明日は寒いしゆっくりするぞ〜

2002年11月02日(土) 子どもに教わる

ダンナの実家へ顔出し。ずっとうちに買って置いておいたデジカメを届けに行く。せっかくだから喜んでもらえるようにと最近パソコンをいろいろ勉強しているお義母さんのためにダンナと相談してセレクトしたぐりの内祝いだ。実家でお義母さんのおいしい家庭料理を堪能して(揚げだし豆腐、鳥つくねとナスの煮物、里芋の炊き込み御飯、鯛の焼魚・・・あといろいろ)ぐりを家で見ていてくれるというお義母さんの言葉に甘えて、ぐらとダンナと私の3人で近くの馬事公苑へ。歩いてすぐ行ける距離にあるかなり大きい本格的なものだ。ちょうど障害物の大会が行われていたので寒かったがのんびりぐらとダンナと眺めつつ散歩する。馬ってつくづく美しい生き物だと思う。乗馬服に身を固めた女の人って凛として美しく見えるものだけど乗っている生き物が牛ならここまで美しいとは思わないだろう。

この時にやっと気づいたことがある。この半年ほどぐら一人と夫婦という行動パターンが無かったから分からなかったこと、それはもうぐら一人だとぜんぜん手がかからないという事だ。大人と同じぐらいの速さで歩き、遅れた時は走って追いついてくる。言葉もしっかりしていてやりとりもスムーズ。ぐりぐらをセットで「お世話が大変だ〜」と毎日のように日記にも書いていたが、ぐりはともかくまだぐらも手が懸かるから大変だと思っていたのだけどそれは違っていた。これはかなり私にとっては驚きの発見(大げさか・・・)だった。ぐらもうすぐ2歳半、まだ子どもがぐらだけだったら「ここで子育て第一段階クリア、さて、次の子がもういてもいい頃かな」ときっと思っていただろう成長ぶりでした。でも二人だとお母さんの争奪戦とかいろいろな要因が関わってきてやっぱり大変なんだなあ・・・うーん。

ダンナ実家に帰ってきてデジカメの操作をダンナがお義母さんに教えている光景を眺めながら、いつの日か私も社会の新しい情報についていけなくなる日が来た時、ぐりぐらがこういう風に教えてくれるのだろうかとふと思ってしまった。前に何か雑誌で「子どもを育てにくい社会でそれでも子どもが欲しい理由」というアンケートの答えの中に「将来自分がその時の最新の情報を入手するのに子どもを通じてなら最もスムーズに入手できると思うので、そのための先行投資」という答えを見つけ、そのあまりのラディカルさにかえって頭を離れなかったのだけどそれをふと思い出させるような情景の昼下がりでした。

2002年11月01日(金) お受験

今日は朝から雨、軟弱だと思いつつぐら保育園お休み。ぐらは私に朝から絵本を読んでくれた。私の本棚の文庫本の中から自分が理解可能な本を引っ張り出して(今日は岩合光昭の猫の写真集「海ちゃん」<新潮文庫>)もちろん字は読めないから適当に「にゃんにゃんはぶどうであそんでいます」とか言っている。口調が一応「○○しました」とか馬鹿に丁寧なのが面白いから「おかあさんに絵本よんで〜」と最近私が催促するようになりました。

前の日記に書いていたお受験、けっこう教育熱心なお母さんの間では過熱しているみたいだ。大学時代の友達と電話で話していたときもそういう話題が出た。しかし話を聞けば聞くほどすごい。何件も塾を掛け持ちしてもちろん親は付き添う。お金と子供と親の時間とを注ぎこんで受験に備え準備する。親が働いていて保育園に通わせているとかなり不利とも言われているらしい。その友達のところの息子さんは今5歳、周りがけっこう盛り上がってきたのでいくら親が「公立でいい」と思っていてもついつい引きずられそうになっていくと言っていた。その友達はかなり冷静なタイプなのに・・・である。

実は私は小学校ではなく中学校なのだけど「お受験」経験者である。といっても今から20数年前、塾なんてクラスに一人行ってるか行ってないかという状況、先生に「受けてみるか〜」と言われて受けたというなんとも気楽な時代だった。結果的に運良く受かり(試験もあるが抽選というものがある)中学高校と6年一貫教育で過ごしたわけだが・・・今振り返るといいところもあれば悪いところもあったような気がする。いいところはまずのんびりして雰囲気が良いところ。そりゃ6年一貫だから受験受験で追いまくられない。先生もかなり個性的で魅力的な先生が多かった。ただ、なんとなく生徒は一部の個性派を除いたらけっこうみんなこじんまりとまとまったタイプが多かった気がする。その学校には小学校もあるのだが、同じ環境でのんびりと小中高と過ごせばその環境しか知らないことになるからかもしれない。
まあ、それを「教育環境がいい」とする人もいるだろうから、これは親の考え方に拠るだろうなあ。

ということで私は小学校からのお受験には「否定派」なのでした。もう少し大きくなってから、適性な時期で十分だろう。と思っているんだけど甘いかな?

私の仕事がらみの知り合いで、娘を某国立大学系付属小学校に進学させた人がいる。「すごいね〜お受験だね〜」と話していると、彼にはちょっと違う思惑があった。彼は転勤族、近いうちに地元に戻らなくてはならず子どもも転校することになる。すると国立大学系の付属だと、その転勤先にある国立大学系付属に編入できるらしいですね。知らなかったよ。そのときに「方言」などでいじめが多い(らしい)公立より、のんびりした付属のほうが子どもの負担にならないと判断したらしい。なるほどね〜。

2002年10月31日(木) いつもと違う

今日はダンナが風邪っぴきのため会社休み・・・まあこんな優雅な休みがとれるのも私が育児休暇中ということで。ほんとならぐらを保育園に送って欲しいところだけれども、最近保育園までの道のりってのはぐらにとっては「お散歩」の遊びみたいになっているので、これを端折るとぐらのことだからきっと泣くか愚図るかするだろう。なのでぐりをダンナに預けて2人でいつものごとく園に向かう。

といっても私はぐりを前抱っこせずにいけるので身軽なことこの上ない。ぐらと遊ぶのも走ったりして遊べる。しかしぐらは何となくいつもと同じ進行だがいつもと違う雰囲気にちょっと猜疑心を持った顔。でも私がおんぶしたり、だっこしたりいつも出来ない大サービスをするとかなり喜んで味をしめたらしく「だっこーだっこー」とかなり甘えん坊モードに。結構な道のりを13Kgだっこしたり、おんぶしたり私にとってはトレーニングロードといった感じでした。でもやっぱり普段はそういうことを一切言わないのでお兄ちゃんとして我慢しているんだなあとあらためて思った。もっと甘えさせてあげないとなあ。

お別れの時はちょっと元気なかったな。いつもと違うのがやっぱり分かるんだね。

今日で10月も最後、私の育児休暇もあと6ヶ月、約1年の育児休暇、前半はHPを立ち上げるということで(不完全ではあるけれど)目的達成。そういえばぐらの育児休暇中は車の免許をとりました。6ヶ月になればOKというそこに付属されてる保育室にぐらを預けて。まだお座りもできないぐら、私と離れるともちろん号泣。毎日寒い中教習所にぐらを抱っこ紐にいれて通っていたなあ・・・免許取れる頃には泣かずにお座りして遊べるようになっていた。
今考えるとあの時とっといてよかったかな。あの時だって大変だなあと思っていたけれど今0歳と2歳の子を連れて行くことを考えたら想像もつかないもんな。
さて、後半の私の限られた主婦期間、いったい何をしようか・・・。

| llcafell | MAILVILLA