2003年07月30日(水) |
SSS#54「瀬戸口×速水」 |
【フルール】
人を、好きになると。 脆くなるとも強くなるとも言う。 僕は、果たしてどうなったのだろう。 強くなったのか。 それとも…。
「厚志?」
突然、柔らかく頬をつつかれた。
「デート中だっていうのに、上の空?つまらない?」 「そんなんじゃないよ。ごめん」
もの静かなティールームの隅で、速水は小さく首をすくめた。 紅茶の好きな速水に、中国茶にも美味しいのがあるとここへ連れて来てくれたのは彼だった。 速水の手の中で、熱かったはずの茉莉花茶は、とっくに湯気をあげることを放棄している。
「疲れてる?」 「ううん。ゆうべはちゃんと寝られたから」
君が居なかったからね。という言葉は口にせず、速水は薄い唇を閉じて微笑んだ。 それを聞いた瀬戸口は、掌に紙のように薄いティーカップを包み込み、口もとに微笑を刻む。
「じゃあ、俺に見惚れてたんだな」
いつものふざけた口調ながら、目は心配気にこちらを覗き込んでくる。 気遣われるのが嬉しくて、速水は花咲くように笑った。 それが癖の、小首を傾げるようにして心底幸せそうな顔をしてみせると、瀬戸口は片手で顔を覆うような仕草をする。
「?」 「参った。可愛い」
どうやら本気で照れている様子の瀬戸口に、つられてこちらまで照れくさくなってしまう。 頬の熱さを誤魔化すように呷った茉莉花茶は程よく冷めていて、ふくよかな芳香が喉を潤してくれた。 ふいに、尋ねてみたくなった。 彼は、自分と出会って強くなったのか。それとも脆くなったのか。 そして…千年以上も前に、少女と出会ったときはどうであったのか。 それは、答えを聞くのがとても怖い質問だった。
「瀬戸口さん。 …瀬戸口さんは…」 「ん?」
淡い紫の優しいまなざしがこちらを見る。
「瀬戸口さん、今…幸せ?」
質問は、形を変えて口をついた。 でも、その質問の答えすら、聞くだけの勇気が速水には無かった。 カタンッ。 音高く弾かれたカップに、店員が振り返る。 そして、目をみはった。 明るい金茶色の髪の美少年は、片手で倒れかけたカップを掴まえたまま、目を見開いて固まっている。 恋人からの問いに当然の答えを返そうとして半ば開いた口は、柔らかなものにふさがれ、発言権を奪われていた。
恋をすると、強くなれるのか。 それとも…。 触れ合う唇は、仄かに花の香りがする。
(強くなれたかどうかは判らないけれど、少なくとも僕は 好きな人にふいうちが出来るぐらいには図太くなった…と思う)
それもまた、速水がこの恋において得た小さな強さのひとつである。
Fin
――――――――――――――――――――――――――――――― この日のSSSがお気に召しましたら 「日記ランキング結果」
ちょっと可愛い感じのお話が読みたくなり、チャレンジ。 これを自給自足というのでしょうか。 でも「可愛い」とはちょっと違うような気が…;
もう2次試験の製図の授業は始まっています。 すごーくいっぱい宿題が出ていますが、全然手をつけてません! 先週の土日、疲労回復ーとか言って延々寝こけていたのが敗因です。 私の辞書に「勤勉」という言葉はありません。(←堂々と言うことじゃない) 遊びの準備なら全然苦にならないのに、おかしいなあ…(笑)
更新しました。 SS部屋にシリアス一本。 それから、トンとんさまからのありがたい暑中お見舞いSSです。 ラブラブv
何とも、最近明るいSSがなかなか書けません。 面白い話が書きにくいです。 でも、リクエストは殆ど明るいお話だし。消化出来なくて参ってます; こう…ポーンと明るいSSの神様が来る事もあるんでしょうけれどね。
色々、寂しい事が多いのです。 閉鎖されちゃうガンパレサイトさんとか。 こう、祭の後みたいな寂しさがあります。楽しかっただけに余計にね。 私はまだ書きたいお話がいっぱいあるので、暫く辞める予定はないのですけれど。 単に諦めが悪いだけなのかもしれません(苦笑)
それから。 なにやら気付いたら80000hit超えてました(笑) ありがとうございますv皆さん。 もうすぐサイトも2周年になります。 2年で80000hitというのが多いのか少ないのか判断つきませんが、自分で踏んだ分をさっぴいても、かなりの回数来て下さっている方がいるということで、ありがたいことです。
80000hitを不幸にも踏まれた方はご一報下さい。 御礼というか記念の何かを差し上げますので(何かって何だ。たぶんSSでしょう) 前の前のキリ番すら消化できていないのに何を申すかと言われるでしょうが(笑) 言うだけタダですから…(←酷い管理人だな…)
この日の日記がお気に召しましたら
あ。それから。↑この投票ボタンの意味が判らないと以前ご指摘を受けたことがあります。今更ですが、これからはランキングのリンクを張っておく事にします。 日記レンタルサイト「エンピツ」内での、神矢の日記の順位がこれで決まるんです。
「日記ランキング結果」
2003年07月23日(水) |
SSS#53「瀬戸口×速水。明るい雰囲気」 |
今年はあまり夏の予定もない私。 現在確定している行事は、夏コミだけという寂しさです(笑) しかし我が家の人々は旅行が好きなので、多分強制的に一泊旅行ぐらいは連れ出される事になるんじゃないでしょうか…。 それはそうと、やっと夏の打ち上げのご案内をアップしました。 皆さんお気軽に問い合わせしてみて下さい。
それと、暫く更新していないので、ここでSSSでも。
***
【愛のあいさつ】
朝、目が覚めて一番に見たい景色? 日向の匂いのする布団にくるまって、目の前に最愛の人の穏やかな寝顔が見られたら最高だね。
…叶わないと思っていたから、そんな夢を軽く語れた。
瀬戸口は、布団の中で微動だにしなかった。 目の前に、眠っている人。 昨夜自分がどうやって家に帰り着いて、どうやってベッドに入ったのか思い出せない。 ふわりと揺れる柔らかな前髪が、また、茫然自失する男の鼻先をくすぐった。 白い滑らかな頬が、日の光を弾いている。 長いまつげがその頬に更に長く影を落とし…。 うっすらと開いたつやつやの薄桃色の唇からは、規則正しい寝息が零れていた。
「…速水?」
殆ど無声音で囁く声は、動揺のあまり、わずかに裏返っている。 同じベッドの中。同じ布団の中。 とすれば、この布団の心地よい温もりは、速水の体温でもある。 瀬戸口の体温が一気に上がる。 だが次の瞬間にある可能性に思い当たり、ざっと血が下がった。 とりあえず、最重要事項を確認する。 両手で恐る恐る自分の身体を触ってみた。そして…瀬戸口は青くなった。 手で確認してみる限り瀬戸口が身に付けているものは、「下着」…以上。 服を着ていない。パジャマも着ていない。 殆ど裸の状態である。 震える手で布団の端を掴む。 そっと持ち上げてみた。 速水の丸みを帯びた滑らかな肩が、朝の光の中で白く光を反射する。 瀬戸口は呼吸を止めたままで、先程と丁度反対の仕草で布団を元に戻した。 取り合えず、寝転んだ姿勢のまま、固まる。 もしも男女が朝目が覚めて同じ布団に殆ど裸で眠っていたら、ある可能性について疑わなくてはならないであろう。 しかし、この場合は男同士、しかも親友同士である。 特に疑わなくてはならないような事実は、ないはずであった。 そのはず…なのだが。 瀬戸口が瞬間的に思い巡らせた可能性とは、やはりそっちの方であった。 半分以上は、疑いではなく、願望である。 速水がこうして裸で隣に眠っている以上、昨夜何らかの事件が起こったものと思われる。 しかし、瀬戸口を親友以上とは決して見なしていない普段の速水の態度を思う限り、速水が自ら望んでこのような事態を招いたものとは思われない。 つまり…。
「合意じゃ…ない?」
自分が酔っ払うか何かして、大事な可愛い可愛い可愛い(以下延々)速水をベッドに引っ張り込んだ挙句、無理矢理不逞な真似をしたのではないだろうか。 目を覚ました速水に、
「瀬戸口さん、酷い…。僕、嫌だっていったのに。無理矢理こんな酷い事するなんて最低だ! もう顔も見たくない。大っ嫌い!!」
なんて言われるのでは…。 上質紙よりも蒼白になって、瀬戸口はただただ速水の寝顔を見つめていた。 乱れて額に落ちかかる艶やかな黒い髪。 いつもは碧空を湛え、人を魅了せずには居られない大きな瞳は閉ざされ、薄い目蓋を長い睫毛が飾っている。 小さな鼻と小さな口。 さくらんぼのように艶やかで美味しそうな唇。 きっとさぞや甘い事だろう。 速水の手が、ぎゅっと枕の端を掴んだ。 ………可愛い………。 先程までの錯乱状態を綺麗に忘れ、瀬戸口はだらしなく笑み崩れる。 速水の目が、ぱちりと開いた。 物凄い勢いで後ずさりベッドの足元の方にぴたりと正座した瀬戸口を、速水は不思議そうに見ている。 眠そうに目をしぱしぱさせ、多目的結晶を見遣る。
「瀬戸口さん…まだ5時だよ…。もう起きるの?」 「い、いや…」 「じゃ、座ってないで寝たら?」 「…ああ」
カクカクと頷きつつも一向に動こうとしない瀬戸口に、速水は白い繊手を伸ばす。 瀬戸口の手首を掴んで、ひっぱる。 体力Sのほっそりした手に引かれ、瀬戸口はばたりと布団に倒れ付した。 枕に突っ伏した顔をそっと上げる。 目の前に、やはり可愛い速水の寝顔。 但し、先程よりずっと至近距離に。 すうすうと再び世にも平和な寝息を立て始めた速水を前にして、瀬戸口は息を殺してじっとしていた。
(怒って…なかったよな…?)
ドキドキどころかバクバクいっている心臓を抑えつつ、自問自答する。
(怒ってなかったってことは…合意の上…?)
もしかして、瀬戸口が気付かなかっただけで速水も瀬戸口の事を好きだったのだろうか。 それで、昨夜が記念すべき…初めての………。
「なんで覚えてないんだ!!俺は!!!」 「うるさい!」
がばりと身を起こして絶叫した瀬戸口の顔面を、ぼすっと枕が直撃した。
「もう!もうちょっと寝かせてよ!!」 「…すみません」
速水の怒った声に、身を縮めて謝罪する。 そして言われた通りに、ごそごそと布団に入った。 速水の隣。 すると、なんと速水が瀬戸口の胸元に擦り寄ってくるではないか。 硬直する瀬戸口の鎖骨の辺りに、速水の暖かい吐息が触れる。 思わず手を伸ばし、速水の華奢な身体を抱き寄せた。 速水は…逃げない。 もぞもぞと動いて、瀬戸口の腕のなかで落ち着く場所を探している。 やがて位置が決まったらしく、瀬戸口にぴったりと寄り添って大人しくなった。
「………」
完全に目が冴えてしまった瀬戸口は、薄闇の中で紫色の瞳をぱっちりと開いている。 やけにリアルな夢なんじゃないだろうか。 試しに自分の頬をぎゅーっと抓ってみる。 痛い。 ということは、この腕の中の柔らかい感触も現実の物だということだ。 何がどうなったのかさっぱり判らないが、たぶん、きっと…。
「速水が…俺の、恋人……?」
口に出した途端に感動が押し寄せた。 速水が瀬戸口の恋人になったということは、これからは…! Hし放題のキスし放題。速水の手作り弁当でいちゃいちゃおかず交換する事も出来るし、仲良く手をつないで帰宅する事も出来る。 クリスマスやら自分の誕生日やらには、速水にふりふり裸エプロンで、「お帰りなさい!ダーリンv」と迎えて貰う事だって出来てしまうのだ! 瀬戸口が現実そっちのけで妄想を爆発させていると、速水が腕のなかでぱちっと目を開けた。 瀬戸口を見上げる。 なんともだらしない顔をした瀬戸口に一瞬呆れた様子だったが、すぐに申し訳無さそうな顔になった。
「どうした?バンビちゃん」
背後にバラの花でも舞いそうな蕩けるような笑顔で覗き込んでくる瀬戸口に、速水が眉根を寄せる。
「あのね…ごめんね。瀬戸口さん」 「?…ごめんって?」 「…ごめんなさい」 「いや…何が?」 「だから…」
口篭もった速水の声は、固い板同士を打ち合わせたような、爆音にも似た音に遮られた。 ふたりの視線は、自然音源の方へと吸い寄せられる。 そこには、半分壊れたドアの隙間から入ってくる、大きな撮影用の機材を抱えた奥様戦隊の姿があった…。
「ごめん。瀬戸口さん…」 「うん、いや、こんなオチじゃないかって気はしてたから…」
ははは…と気の尽きた笑いを漏らす瀬戸口。 「ドッキリ」と大きく書かれた派手な原色の看板を持ち、ジャージの上にハッピを羽織った若宮の姿がますます気力を奪う。
「あのさ」 「何?」 「もしかして、速水も…共犯?」 「…うん」
速水は申し訳なさそうに首を竦め、大きな目を上目遣いにして瀬戸口を見遣った。 ちなみにいまだ彼は瀬戸口の腕の中にいる。 そんな彼らに、善行が大胆にもマイクを向けた。
「瀬戸口君!今のご感想は!?」
そう言って笑う善行の口で、真っ白な歯が光る。 瀬戸口は無言でにっこりと笑った。 目が笑っていなくて、とても…とても。 怖かった。 予想外の反応に怖くなった奥様戦隊隊長は、笑顔を引き攣らせ一歩あとずさる。 速水も抱き締められたまま硬直している。 瀬戸口はますます爽やかに微笑んで、片手を伸ばしてマイクごと善行の手を掴み引き寄せた。
「感想…が欲しいわけね」 「あ、いえ、あの、良かったら、でいいんですけれど!」
完全に腰が引けている善行に、言ってやるさと瀬戸口は肉食獣じみた笑顔を向ける。
「感想は…『いただきます』、だよ!」 「は…」
善行が目を剥く間もあらばこそ、瀬戸口は目にも止まらぬ早さで速水を自分の体の下へと引きずり込み、すっぽりと布団を被ってしまった。 なにやら速水の悲鳴が聞こえる。 恐らくベッドの中は奥様戦隊にとっては絶好のシャッターチャンスが目白押しだっただろうが、善行は辺りに漂う「邪魔したら殺す」オーラに気圧され、撤退を決断するしかなかった。 速水隊員は見捨てるしかない。 善行は、徐々に艶を帯びてくる、速水の助けを求める声に背中を押されながら、こけつまろびつ瀬戸口の部屋を後にしたのだった。
後日、口を訊いてくれなくなった速水に平身低頭で詫びる瀬戸口の姿が見られたとか見られなかったとか…。
Fin
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う〜ん、いまいちオチてない…かな…?(微苦笑)
このSSSがお気に召しましたら
2003年07月22日(火) |
気付けば20000HIT |
こんばんはー。すっかり日記さぼってます神矢です。 今更ですか。 そうですね(苦笑)
タイトルにもあります通り、この日記のカウントも20000HITを越えました。 嘘ではありません。 枠外右下の方にカウンターがありますでしょう。 そろそろ20000になるから、踏んだ人は教えて下さいって書いておこう〜♪とか思っていたら、うかうかしてる間に越えてしまいましたよ。 さすがボンクラ神矢。 ま、いいんです。 こんな不定期かつだらだらした日記を、それでも読んでくださっている方がいらっしゃるという事ですからね。 あ。今からでも、20000HIT踏んだーとか、ニアピンだったーとか言う人はお知らせください。漏れなく「神矢に命令」券プレゼント中(←いらない…)
皆さん本当に、ありがとうございました。これからも宜しくお願いしますv
さて、今の私は強烈に眠気に教われています。 今夜こそ夏コミオフ会の告知を出すぞ…と思いつつ今にも沈没しそうな勢い。 連休は色々ドタバタしていて、少しも身体も頭も休めませんでした。 ダメだ、何も考えられません。 それにしても、眠い時って何であんな驚異的な判読不能文字を書けるのでしょうか。後から読もうとすると、自分で書いたくせにさっぱり読めないんですよね。 オフ会の案内。あ、明日こそは…ガフッ;
この日の日記がお気に召しましたら
じ、時間なくて…; とりあえずご報告だけしておきます。 後で書き直します、この日記(汗)
瀬戸口抱き締め隊に、トンとん様が投稿してくださったSSをアップしました。 作業が遅くなって大変申し訳ありません。 熱い夏の夜を乗り切るに相応しい、とびきりダークで素敵なお話です。 みなさまぜひお立ち寄りください!
少々、バテテしまったようです。 飲みすぎでなく(笑) お仕事とか、精神的に。 ここで一週間ばかり、がばーっと休んで旅行とか行けたらよいのですけれどね。
ぐったりして帰ってきたら、抱き締め隊メンバーのトンとん様が投稿にSSを送って下さっていました。 とってもダークで素敵な内容なのですが、なんだかとっても、ほにゃんとした気分になりました。 どこかで纏めて睡眠取らなければ疲れはどうにもならないのですけれど、心が軽くなった気がします。下向きだった気分が上向きになったといいますか。 現金ですね、私も(微笑)
励ましに↓
2003年07月16日(水) |
SSS#52「瀬戸口×速水 切なく」 |
【向日葵の理由】
「速水。もう別れよう」
酷く驚いたときだけではなく、そんな風に言われた時も息が止まるんだということを、初めて知った。
図書館という所は、静かに見えて実は喧騒に満ちている。 誰かの咳払いや本の頁を繰る音、衣擦れの音、小さな囁きの会話、そんな音が絶えずしている。 速水も今はその音源のひとつだ。 目の前には、真新しいレポート用紙と、棚から借りて来た数学の問題集。先ほどから同じところばかり計算してしまって、ちっとも進まない。 速水は同じ数字を五回書いてしまったところで、シャープペンシルを放り出した。 全くどうにもならない。 小さく伸びをして、周囲を見渡す。 専門書の数多く置いてあるこのフロアの閲覧用デスクは、ほぼ満席だった。 どこの学校でも、このころが試験の期間らしい。 ただ、速水の向かいに座る見知らぬ学生は、席に座って参考書を開くなり寝っ放しでぴくりとも動かない。 速水は小さく溜息をついて、もう一度レポートに目を落とした。 勉強しなくてはいけないのに、全く違うことばかりが頭をよぎる。
『な…んで…っ。 僕、何か怒らせるようなことした?』 『別に。ただ、もう飽きたんだ』 『ごめん…なさいっ』 『何謝ってるんだ』 『ごめんなさい!僕、何でも瀬戸口さんの言うようにするからっ。 嫌いにならないで!』 『もういいよ。 もう好きじゃなくなったから、そんなこともういい』 『瀬戸口さん!』 『じゃあな、速水。 今まで楽しかったよ』 『待って! そんな…やだよ!!』 『…聞き分けろよ。 もう好きじゃないんだって。だから終わり。 悪いな』
思い返すほどに、鮮明になる言葉。 速水はその場で声をあげて泣きたかったけれど、涙が出て来なかった。 だから、その時の胸が裂けてしまいそうな思いは、今も苦しい塊のまま、速水の胸に詰まっている。 速水は数学の勉強を諦めて、椅子を引いて立ち上がった。 絨毯が引いてあるので、椅子の音や足音は殆どしない。 勉強道具をそのままに、速水はぶらぶらと書架の間を歩き始めた。 瀬戸口と付き合っていた頃には、授業をさぼりがちの彼を無理やり引っ張ってきて、ここでよく一緒に宿題をした。 折角勉強するために連れて来たのに、瀬戸口は居眠りばかりしていた。 目を覚ましている時は、速水の顔ばかり見ていた。 郷土の歴史の棚の辺りはあまり人が来なくて、書架の影でキスをしたこともあった。 頬に触れた瀬戸口の手の暖かかったこと。 好きだよと囁いてくれたその声の調子も、まなざしも。
「…う」
胸が詰まって、息が苦しくなった。でもやっぱり、涙は出なかった。 棚に捕まって、何かを堪える。苦しい事や痛いことは我慢できる。だってそれは我慢していればいつか終るってわかっているから。 けれど、この苦しみは。 どうしたら、終るんだろう。 いつになったら、終われるんだろう。
顔を上げた速水の目の前の棚で、一冊の本が不思議と目を引いた。 『ギリシャ神話と植物』という、綺麗な装丁の本だった。 それを棚から引き出して、それを抱えたまま棚を背にして座り込む。 表紙にちりばめられた、綺麗な花の絵。 速水はその中の向日葵を、指先でそっと撫でた。 瀬戸口がいつだったか、速水を向日葵のようだと言ってくれたことがあった。 明るくて綺麗な笑顔で、見てるみんなを元気にしてくれると。
ぱらり、ぱらりと頁を捲って、向日葵のところを探す。 そして…読まなければ良かったと後悔した。
『水の精クリティエは、太陽の神アポロンに愛されたが、やがて飽きられ捨てられてしまう。 しかし彼女は諦めることが出来ず、9日間何も食べず何も飲まず冷たい地面に座ったままで、愛する人を見上げつづけた。 やがて彼女はその場で根を生やし向日葵と姿を変えて、今も太陽の軌跡を見つめつづけるのである』
文字が、にじんだ。 あの頃の瀬戸口は、まだ速水を好きだったと思うから、きっと彼はこの神話を知らずにそんなことを言ったのだろう。 けれど…。
「ほんとに…僕に似ているね…」
呟いた自分の声が震えているのを、速水は自覚した。 嗚咽が漏れそうになって、片手で口を押さえる。 ぽつ、ぽつ、と、頁の向日葵の写真が濡れた。 自分が綺麗な人間じゃないことを知っていた速水は、綺麗なものに似ていると言ってくれた瀬戸口の言葉が嬉しくて、好きだといってくれたことが嬉しくて。 雛が初めて見たものを親と思うように、何の疑いもなくただ無心に彼を愛した。 そして、「もういらない」と言われた後も、ずっと彼の姿を追ってしまう。 もう二度と、振り返ってもらえることなんてないのに。
本を抱き締め、声を殺して唇を噛む。 やっと泣く事が出来たというのに、痛みは少しも軽くなりはしなかった。
***
「じゃあ、ここで」 「うん」 「…良い夢を」
赤い髪をした背の高い男は、自分に絡めた少女の細い腕を取って、優しくそれを外した。 彼女は一瞬切なく男を見上げ、黙って微笑んで背を向ける。 少女の後ろ姿が完全に消えてから、男はゆっくりと通りを曲がった。 曲がった先には、闇夜に溶け込むように黒い乗用車が彼を待っていた。 男が滑るように乗り込むと同時に、ゆったりと走り出す。 後部座席に座った彼は、鮮やかな夕暮色の髪をかきあげ深く息を吐いた。 運転手は毎回変わるルートを、ただ黙々と車を走らせる。 車窓に目を向けていた男の視界を、黄色い花が流れていった。
「…向日葵、か…」 「何か言いましたか?」 「いや」
青年は言葉少なに否定して、ふたたび窓を見遣った。 坂上が、サングラスの下から彼を見た。
「そういえば、『芝村』は小鳥の処分を今のところ見送ることにしたようです。 …貴方と関わりが浅くなったので」 「…そうか」
やはり一言だけで了承して、彼は一度だけ、運転手の顔をバックミラー越しに見る。 静かな声で、問うた。
「おっさん。 あの子は……生きて幸せになるべきだ。 …そうだろ?」 「そうですね。…幸せになれると、いいですね」
青年は一度だけ、闇夜を照らすように鮮やかに咲き誇る向日葵を心に描く。 そして顎を上げて真っ直ぐに前を向き、凛とひたむきに輝く瞳で目の前の暗闇を見据えていた。
Fin ―――――――――――――――――――――――――――――――
この日のSSSがお気に召しましたら
…瀬戸口が常に無くカッコ良さげなのは何故でしょう。 あまり出番も無いのに。 それとも出番が短い方が崩れる間がなくていいのでしょうか。 瀬戸口ファンとしては葛藤。
さて、このところ3日と空けずに飲み会が続いております。 また以前の残業残業飲み会残業残業飲み会という黄金コンボ(?)が復活してきていささか困惑気味。 というか、歓送迎会が多いんですね。 女の子がいっぱい辞めちゃってとても寂しいです。 折角飲み友達が出来たのに。 しょぼん; やはりこの会社の人使いが荒すぎるのだ。
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