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■ 本を読む。
最近、本をよく読みます。 自分でも少し感心するくらいによく読みます。 (まあ、活字中毒者からすれば、たいしたものではないけれど) 例えば、最寄駅の近くにある本屋は平日は11時までやっているわけですが、 そこにぶらりと立ち寄り、新書のところに佇むことが多くなりました。 めぼしをつけたものは、何度も何度も、手にとり、中身を拝見、 読むかどうかを考えあぐねます。
最近、この考えあぐねるという行動について、考えてみました。 本なんて、少し高いけれど、買おうと思えば買える金額。 これをなぜ、私は何度も何度も品定めするのだろうと考えました。
するとわかってきたことがひとつ。 その日は私、「センセイの鞄」なる黄色いカバーのついた本を読んでいました。 文字量も少なく、わりと読みやすい文章でトントントンと進んでいくわけです。 しかし、全部を読むとなると5時間くらいはかかります。 コレです。 コレなんです。 本を読むと必然、時間を本に食われるわけです。(もしかして、食べていただいている、もしくは、私が食べさせて頂いているのかもしれないけれど)
私は、食べられる時間を保有する者として、食べてもらう者を選んでいるのです。 (ネズミだって、もし自分を食べてもらえる相手を選ぶとしたら、鼠取りよりはカラスを、カラスよりは猫を、猫よりはライオンを選ぶはず) でも、そんな弱肉強食を説明する際のピラミッドを自分で組み立てる作業はきっと何の役にもたたないことでしょう。
2002年03月06日(水)
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