みゆきの日記
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この本を読んでしまうまで、私は自分が煙草をやめることについて 完全には納得していなかったと思う。 とりあえずやめてみるけれど、またすいたくなったらすってしまうだろう、という風に 思っていたように思う。
しかし読了した今、私は自分が煙草をやめる理由を完全に納得した。 やめる理由など本当は必要ではなかったのだと、 もともと煙草をすう理由などなかったのだと、心のそこから信じることができたのだ。
トモユキは、結婚当初からやがて母親となる(だろう)私が喫煙することに、 断乎として異議を唱えていて、 私にはそれが彼の勝手な、自分のことを棚にあげた理屈に思えて反発していた。 妊娠中、何の問題もなく煙草から離れていた私が、出産後に再開してしまったのも、 その反発が原因だったのかもしれない。
母親が煙草を吸うのは絶対によくない。 父親がすうことの何十倍も悪い。
トモユキはそう言い続けていて、そう言いつつ自分もやめたがってはいるのだけれど、 自分のことよりも、私の喫煙をやめさせるほうが重要だと思っていたふしがある。
私はそんな勝手な話はない、自分もやめるというならまだわかるけれど、 私の前でも菜子の前でもヘビースモーカーぶりを悪びれもせず発揮しておいて、 私にだけ禁煙を強要するなんて、横暴だとずっと思っていたからやめなかった。
出産後、再開してしばらくはトモユキにはそのことを話せなくて 隠れてすっていた時期もある。 どうしてこんな中学生みたいなことをしなければならないのだろう、と ますます彼にも自分にも腹が立ち、自己嫌悪に陥ったものだ。
今、私は誰にも強要されずに、自分自身のために、そして菜子のために、 煙草を永遠に手放した。 菜子が将来、この毒物のわなに嵌る機会(あるいは原因)のひとつを完全に排除したのだと思うと とても誇らしくすがすがしい気持ちだ。 気持ちが高揚して何でもできるような気分。
これが、『禁煙セラピー』の効用なんだわ。 自分が洗脳されきったことを感じるけれど、決していやな感じではない。 煙草に洗脳されていたことのほうがずっと悪いことは疑いの余地がないし、 私には失うものは何もないと心から信じられる。
今日は旧正月の一日目なので、街はとても静かだ。 トモユキは仕事なので、菜子と二人で散歩に出かけた。 お店がほとんど閉まっていて、人通りも車もうんと少ない。 閑散とした街を散歩するのも新鮮で楽しかった。
菜子の寝床を私たちのベッドの横に移してみたんだけど、 昨日の夜、菜子はよく眠れたみたいだ。 夜中に目を覚ましても、私たちの姿が横にあるので安心するのかもしれない。 一度菜子が泣いたので、下をのぞきこんでみると、 あろうことか、トモユキがベッドから転がり落ちて菜子の体を押しつぶしているではありませんか。 あわててトモユキのしたから菜子を引っ張り出し、 おっぱいを飲ませて落ち着かせてから、ベッドの上で私と一緒に寝かせた。 トモユキの隣では危なくて眠っていられない。 ところが、また目を覚ますと、今度はトモユキはベッドの上に戻ってきており、 菜子はちゃんと下におさまって眠っている。 いったいどうやって入れ替わったのか見当もつかないわ。
朝トモユキにきいたらなんにも覚えていないという。 こうやって家族3人でころころ転がりながら眠るのも楽しいものだ。 とはいえ、今日からトモユキはベッドの逆側で眠ってもらわないと、 無意識で菜子の上に落ちられるのでは、私も安心して眠っていられないもの。
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