みゆきの日記
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私はいつものように、親しいママ友だち二人と、 子どもを遊ばせに近くのプレイジムに行っていて、 みんなでお茶を飲んでいるときに、突然出血したのを感じた。
あわててバスルームで確認してみる。 今までの、かすかに血が混じるような出血とは違って、 かなりの量の出血があった。
妊娠のことを、まだこの二人の友だちには言っていなかった。 もう一度病院に行って、心拍が確認できてから言おうと思って 楽しみにしていたところだったのだ。
ちょうどその時トモユキから電話がかかってきた。 今日は外で食事をするという電話だった。 私は出血のことを話した。
「マジ?すぐ病院行く?」
「でももう5時だから閉まってるし、、明日の朝にしようかな。 おなか痛くないし、多分大丈夫だと思う。」
私が電話で話している間、菜子を見ていてくれた友だちが、 私の顔色を見て、
「大丈夫?なにかトラブル?」
と聞いてくれたので、
「実はね、、、」
私は隠さず話した。 友だちは、すぐに病院に行こう、と言って日本語がわかる病院の緊急外来に 連れて行ってくれた。 そこで紹介された日本語の話せる産婦人科の女医さんの診察を受ける。
「袋と胎芽が見えますね。でもかなり出血が多いので切迫流産ですよ。 小さい子がいるから難しいだろうけど、安静にしてくださいね。 抱っこもなるべくしないでください。 一応、一週間後に赤ちゃんが育っているかどうか見ますが、 もし、出血が止まらなかったりもっと増えたりしたらすぐに来てください。 入院してもらって強制的に安静にしてもらうかも知れませんよ。」
綺麗なクリニックだった。 美人の女医さんはそう言って、私のお尻に黄体ホルモンの注射を打った。
「これはちょっと痛いですよ。」
その言葉のとおり、ちょっとまともに歩けないほど痛い注射だった。 薬も数種類出され、これで流産を防ぐのだという。 菜子がいるのに、入院なんて・・・。どうしよう。 とりあえず、週2回来てくれている通いのメイドにしばらく毎日来てもらうよう交渉しよう。 入院となったら友だちにも助けてもらうしかないかも。 でも、しばらく静かにしていればきっと大丈夫だろうと思った。
心配だったのは、もう7週に入っているはずなのに、赤ちゃんの袋の大きさが、 5週程度しかないと言われたことだった。 先週日本で受診したときも、6週に入っているはずなのに5週程度しかないと言われ、 そのときは排卵が遅れただけだろうと気にも留めていなかったのが、 それから一週間が経つのに、まだ5週程度ということは育っていないということなのではないかと思えた。 先生にその不安を口にすると、そういうこともあるかもしれません、 赤ちゃんが育っているかどうかは週単位で見ないとわからないから、 また来週確認してみましょう。 ただ、あなたの子宮の形は流産しやすいですよ、と言われた。
ふらふらになって家に戻った。 診察の間中、ずっといい子にしていた菜子が大きい声で泣き出した。 お腹もすいて、限界だったのだろう。 靴を脱ぐのも嫌がって暴れた。 先生は抱っこするなって言ったけど、こうなれば抱きあげるしかない。 こんなときに限ってトモユキはいない。
早く帰ってきてもらおうと、携帯に電話をしたら、 家の中で電話がなっていた。 こんなときに限って、携帯を忘れていったんだった・・・。 泣いて暴れる菜子を必死になだめて、なんとか靴を脱がせてオムツを替え、 夕食はご飯とお昼の残りのお味噌汁、アジの開きを焼いて食べさせて、 あとはずっと菜子の好きなビデオをつけてしのいだ。
あんなに痛い注射を打たれたにもかかわらず、出血はぜんぜん止まらなかった。 むしろ、どんどん量が増えていくように感じられた。 トイレで、便器に腰掛けてポタポタとかなり短い間隔で落ちる真っ赤な鮮血を見ていると、 意味もなく気が焦り、すべて拾い集めて体の中に戻してしまいたい衝動に駆られる。 なんでよ、なんでよ、やめてやめて、出て行かないで・・・。
切迫流産、という言葉が恐ろしい響きを持って私に迫ってきた。 ソファで横になっていると、菜子が寄ってきて、
「ママ、ねんね。」
と言った。 この子はなんて大きくなったんだろう、と思った。 菜子のときも、ちょうど同じ時期に切迫流産と診断されて安静にしていたときがあったのだ。 菜子はその後、ちゃんと育って生まれてきて、そしてこんなに大きくなった。 そのことを奇跡のように感じる。 この、お腹の子は、菜子のように大きくなれないのだろうか。 そう思うと涙があふれた。 菜子はよくわかっていない顔をして、私の顔に手を伸ばして涙に触った。
「ママ、今ちょっと悲しいの。いい子いい子して。」
私が頼むと、菜子は手を伸ばして私の頭をなで、「イッコイッコ」と言うと、 自分で「ゴーイ(すごーい)」と言って拍手をした。 私も「すごーい。ありがとう」と言って拍手をした。 また涙があふれた。
トモユキはなかなか帰ってこなかった。 私は心配で何度もトイレに行き、そのたびに出血が止まらないことを確認して心配で泣いた。 もうダメなのかもしれない。 心の中ではそう思っているのに、そう思って涙が止まらないのに、 気がつくと赤ちゃんの名前ばかり考えていたりして、 私はこの子を生みたい、と強く願っていた。
夜の9時か10時ごろだったと思う。 トイレにいたとき、体の中をするっと異物が通り抜ける感覚があって、 血液の塊が出たのかと思い、見ると、それは血液の塊ではなかった。 色がついていない。 便器を滑っていくところを急いで素手で拾い、よく見てみた。 10センチほどの長さの半透明の塊。 これはいったい何??
なつきやお母さんから何度も電話がかかってきた。 お母さんはすぐに行く、と言い、でも流産していたら来てもらわなくていいから、と私が言うと、 それでも行くわ、と言った。 菜子のときとはぜんぜん違うの。出血の量が違うし、お腹も痛いの。 生理のときみたいに。 私が不安だと言うと、なつきは、どうして不安なの?と言う。 それほど初期なら、自然淘汰みたいなもので、アメリカじゃ妊娠すらしてないみたいに 考えるのよ。 着床したけど育てなかった赤ちゃんだとしたら仕方がないし、 みゆちゃんは、もう一人生んでるし、不妊ってわけでもないんだから、 またできるわよ。
この言葉で気が楽になったと言うと嘘になるけれど、 こういう考え方もあるのだと思うと、少し気がまぎれた。 そのときの私は、ちょっとナーバスになりすぎていたと思う。 トモユキも帰ってこないし、体外に出て行く血液とともに、 お腹の赤ちゃんの居場所がどんどんなくなっていくという妄想で、 気が狂いそうになっていたのだ。
やっとトモユキが帰ってきたのは11時を少し回った頃だった。 ベッドに横になって泣いている私にものすごく驚いたようだった。 仕事関係の食事で、電話ができなくてごめん。 そんなに大変なことになっているとは思わなかった、と彼は言った。 明日は早番だから休めないけど、朝とりあえず会社に行って、 様子を見て帰ってくるよ、一緒に病院に行こう。 がんばってくれよー、とお腹に言った。 私もそんな気持ちだった。 なんとか、お願いだからがんばって・・・。
さっきの半透明の塊をトモユキに見せた。 トモユキはこれも病院にもって行こうと言って、透明の袋に入れた。
出血は一晩中続いた。 長くて不安なつらい夜だった。
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