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真剣10代しゃべり場 - 2002年01月26日(土)

見ました。
で、
私の率直な意見。

所詮これは、単なる言葉遊び。
賛成意見・反対意見が大部分で重なっているのに、
表現を変えて己を正当化している。
少数意見を理解してほしい、
そう声高に吹き上げた意見の投下。
そもそも「正しい」と「理解」は違うレベルで話し合うこと。
多数決は正しいのか、という討論の筈が、
少数派は理解されないという意味合いの言葉を連ね、
その一方で、自分は多数派を理解しないと言い切る。
そこを突かれると、
立場は理解するが、その内容は理解しないといった意味合いにすり変わる。
こうして、結局どちらの意見も狭いふり幅の中で行ったり来たりする。
図らずも、一人の女子が言い切った。
「結局目立ちたいがために少数を主張しているのではないか?」
全く同感だ。

番組後半。
やがて討論は「正しい」ということはあるのか、という部分に触れる。
極論として「人を殺すことが果たして本当に正しくないのか」という言葉が出てくる。
正しくないに決まっている。
理由などない。
これでは納得されない。
では正しいのか、と問われれば、
正しい理由が見つからないから正しくない、と答える。
逆はないのか?
正しくない理由がみつからないから正しい。
これを受け容れられるのか?
討論の内容が次第に「正しい」というものから離れていったので、
結論は出ない。
だが、やはり正しいことはある。
ルールだの便宜だのということ以前に、
自然の摂理として正しいこと、やってはいけないことというものがあるのだ。
そこを見ずして、
自分が認められない、という思いに凝り固まり、
やがてとんでもない方法でそれを吐き出す。
己のゆがみを社会のせいにしつつ。

しかし…、
真剣10代しゃべり場。
言葉遊びだ、と断じたが、
それでも私はこの番組を肯定する。
おそらく、ここまで己を
外に向かって、
そして相手を眼前にして主張できる人間は、
少なくとも歪んだ己の考えに凝り固まることはあるまい。
この場で、あるいは視聴者として、
積極的に意見をぶつけ合い、叩かれあえばいい。
己の言葉の足りなさに気づくこともあろうし、
あるいは手ひどく傷つくこともあろう。
言葉遊びが、やがて本当の討論になればそれ以上のことはない。

相手の厳しい態度や、否定、反論を避けて通る
そんな風潮が強まっている気がする。
痛みを知らない人間が増えることほど、
恐ろしいことはない。


…なんて、たまにまじめなこと書くと、肩凝っちゃうよ…ホント


...




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