風呂釜交換。 |
昨日私が会社に行っている間に、1日スロットを楽しんだだんなさん。
今日は私の休みに付き合うことになっている。
最近調子が悪かった風呂釜の調子を業者さんに見てもらってから、ホームセンターへ出かけることになっている。
私は人と関わるのが基本的に苦手。
風呂釜の修理を頼む事になった時、いつもなら自分でなんとか不動産屋さんとか業者さんに連絡を取るのだが、
今回はなんかどうしても嫌で、だんなさんに1任してやってもらうことにした。
今日の業者さんの訪問も、だんなさんに出てもらって私は出て行かなかった。
風呂釜は古くなっているので修理は無理で、新しい物と交換になるらしい。
風呂釜掃除も大変だったので、とても嬉しかった。(^^)
この事をだんなさんに頼んだ事で、実はちょっと自分を責めていた。
私って、こんな事も出来ないでだんなさんに頼んじゃうなんてダメなんじゃないか。
嫌でも、頑張ってやらなくてはいけなかったんじゃないか。
でも、そんな時に友だちからこんなメールをもらった。
『珍獣委任発想よかったね。(珍獣とはだんなさんのこと)
困難だと感じる事はしなくていいのだ!
安心してやれるぞと自分が自覚して選択したことの中で生じてくる困難さに取り組む事で、成長のためには十分だからです。』
私はてっきり友だちから、『そのくらいの事は自分でやらなくちゃだめだよ〜。』と言われると思っていた。
それは、友だちがそう言って来るのではという予想だけのものであって、
実際は私自身がそれをダメだと思っているから、自分を許せないから人からもダメ出しを受けると思い込んでいたんだ。
すごく気持ちが楽になったよと返信すると、
『ほんとそうらしいですよ。
そして今回はそれが大変じゃない珍獣も、別の分野では今は人に頼みたいということがきっとある。
「今度は出来るようにならなきゃいけない」為じゃなく、「何が怖かったのかなー」といたわる感じで、
自分を知るためにゆーっくり観察してその内なんかが出てくるっていうのが楽しい人生だと思う。
昔は2人でキリキリして自分を責めてたもんね。
人生って厳しいって潜在意識に刷り込むことは避けてるの。
珍獣にいっぱい感謝して。』
私は誰かにこういう風にいって欲しかったんだなぁと思った。
確かに学生の頃は、この友だちと共に随分自分達を苦しめる生き方をして来たと思う。
出来ないことを頑張ってやって、辛い思いをして、自分を責めて。
こんな事も出来ない、あんな事も出来ない、私って何一つまともに出来ないんだ。
生きていくのって辛いんだ、大変なんだ。私は力不足なんだ。そう思っていた。
そして、母からもそう言われてきた。
私から見ればちゃんと出来ている人たちを見て、羨んでいた。
でも、きっと大丈夫そうに見える人にも大変な事はあるのだし、
自分の出来る範囲でやれる事をやって、気持ちが充実していればそれで十分満たされるのだ。
意識していなかったけど、私の生き方には無理があったということ。
それが身体や心に現れていたのかもしれない。
ほんじゃまか。
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2002年12月04日(水)
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