GIVE AND TAKE。 |
今日は完全オフ。
カイロは火曜日に行ったし、カウンセリングは予約を入れていない。
呼吸器科の診察は来週だし、心療内科は土曜日だし。
最近、会社か病院かっていう生活をしていたので、平日が1日ポコっと空くのは久しぶり。
何をして過ごそうかなぁ。
午前中はHPをいじって、昼から郵便局の用事。
そして通り道にある行きつけのパチンコ屋さんへ・・・。
今年初の来店。(笑)
途中まで負けていたのだが、私が密かにひいきにしている店員さんが、
すごくおいしい台を打たせてくれたので、トータル浮きで帰ってきた。
18時。
いつもだったらお弁当を買ったり、インスタントで食事を済ませてしまうところだが、
今日はなぜか料理に燃えていた。
健康的な食生活を送らなきゃっていう気持ちになっている。
ここ半年ほど、食事をだいぶおろそかにしていた。
続けていたのは健康茶を煮出す事と、発芽玄米を食べる事。
これでかろうじて健康を保っていたのかもしれない。
毎年高脂血症と言われていただんなさんが、今年は検査に引っかからなかったのが不思議。
毎日遅くまで仕事をして、食事も不規則。
私がもっと気を付けてあげないといけないのだが、そこまで手が回らなかった。
これからは出来るだけやってあげないとなぁ。
今日のメニューは、カレイの煮付けとほうれん草・アスパラガス添え、納豆・豆腐のお味噌汁。
納豆の中にはしらす干しとすりごまとちょびっとの砂糖(健康にすごくいいらしい)。
ご飯はもちろん発芽玄米。(白米1:2発芽玄米)
なんてヘルスィーな食事。
こんな食事を毎日続けていれば、健康になるしダイエットにもなるだろう。
さて、いつまで続く事やら・・・。(笑)
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母の考え方。
母は、私も小さい頃から可愛がってもらってる知り合いのおじさんに、
『私(うぃん)から』と言って、おじさんの好きなお菓子などをあげていた。
しかし、最近母と色々もめてきた中で、そういう事は止めて欲しいと言った。
私がやってもいない事で、人から感謝されたり、いい子だと思われたりするのはおかしい。
それは私の本当の姿ではない。
私はそんなにマメじゃないし、気がつくわけでもない。
そして去年の終り頃から、母は私の名を使ってのつけとどけは止めた。
先日母が、おじさんから預ったと言うお年玉をくれた。
『○○円入っているみたいよ。』
封を開けていないのに、金額まで知っている。
母は、お年玉が去年より少ない事と、おじさんが恒例の忘年会をやろうと言い出さない事から、
『最近おじさんはおかしい。』と言い出した。
『私があんた(うぃん)から止められて、お菓子をあげなくなった頃からおかしい。』と言う。
せっかくおじさんに気に入られるようにしてやってたのに、という口調。
でも、私はそれは違うと思っていた。
去年、おじさんはめずらしく私に電話をくれた。
そして、『最近お母さんとあまり会ってないんだってね。』と言った。
私は批難されるのかと思って、思わず嫌な気持ちがしたがそれは違っていた。
おじさんは言った。
『俺は、早くそうした方がいいと思ってたんだよ。
親は優しくすればするほど我ままになって、子どもに甘えるから。
○○ちゃん(私)も、身体大変なんだし、自分がまず元気にならなくちゃなぁ。
私はとても驚いた。
こんな事を言う人だとは思っていなかったから。
ACから回復するために、親を遠ざけようとしていた私。
世間的に見れば親不孝以外の何物でもない。
でもこうやって、家族とは別の人から言ってもらえるととても嬉しい。
おじさんも昔、奥さんの親に色々やってあげたが、
感謝されないどころかますます我ままに振り回された経験があるらしい。
こんな電話をくれるおじさんだから、今回忘年会に誘わなかったのも、
せっかく母と離れようとしている私の邪魔をしてはいけないとか、
親戚問題で母がバタバタしていたからとか、
そういう理由なのではないかと私は思っている。
おじさんとの電話の内容は母には言っていない。
言ったらとっても怒って、おじさんに文句を言い兼ねない。
だから、母が『おじさんの様子がおかしい』という言葉にも、
『そんな事ないと思うよ。』としか言えない。
母は、『親戚問題が起こる前からおかしかった。私は気が付いていた。』と言い張っている。
だんなさんとこの事について話していて、2人で気づいた事がある。
母は、
『物をあげたから、人がこちらを良く思ってくれる。』
『物をあげないと、人から悪く思われる・嫌われる。』
と思っている。
GIVE AND TAKE な考え方。
何もあげなくても、何もしなくても、相手からの愛情を得られるとは思っていない。
(特に他人に対して)
母の生い立ちにも関係していると思うのだが、母もACだから『そのままの自分』が
人から愛されるという事を体験できていないし、信じられもしないのだと思う。
母は私に誕生日プレゼントをくれる。
義母は私に誕生日プレゼントをくれた事はない。
でも、私は義母が好きである。
物をくれなくても、義母が私を想ってくれているのが分かるから。
物をくれるくれないは、人に対する愛情をはかる基準にはならないのだ。
私は母に、何をして欲しいとは思わない。
何もしてくれないから私は母を疎んじているのではない。
私に対して、干渉や依存をし過ぎるから嫌なのだ。
母が母の人生を勝手に楽しんでくれていれば、それで私も嬉しいのだ。
ほんじゃまか。
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2003年01月09日(木)
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