断薬。 |
会社に行って来た。
なぜだか・・・ほんとうになぜだか分からないのだが、最近の私には会社に行く時の不安が無い。
厳密に言うと『不安が無い』のではなく『不安があっても気にならない』という感じ。
不安が起きたり、具合が悪くなったりするのはもちろん嫌だが、具合が悪くなっても何とかなるし、
なったからといってその先の自分の行動が制約される事は無い。
また必ず調子が良くなって、動けるようになる日が来る。
長い長いPDとの生活の中で、こんな風に思える日が来るとは思わなかった。
まだPDが治ったわけではない。
不快な症状も不安感もまだまだいっぱいある。
小さな階段かもしれない、でも、その1段をやっと上がれたような気がするのだ。
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『ちょっとの変化じゃないですよ。』と主治医は言った。
『そう思えるようになってきたのは、大きな変化だと思いますよ。』
先生にそう言ってもらえるのはとっても嬉しい。
2001年の6月に、大きな発作を起こして自分の運転する車で夜間診療に飛び込んだ。
発症は1984年。
大きな発作を繰り返していたが、救急車を呼んだり病院へ行く事は無かった。
それから17年、もうPDとの付き合い方がある程度分かってきていたと思っていたので、
この出来事はとても辛かったし、また初めて病院へ行ってしまった事で、
私の中で保っていた『大丈夫、自分で何とかできる。』という想いが、崩れてしまった。
そして心療内科を探して通い始めた一件目が今の主治医だった。
パニック障害を得意として、600人以上の患者さんを受け持っている人だったが、
全然偉そうな感じが無くて、病院以外で会ったら普通のサラリーマンに見えるような感じの先生。
温和で、落ち着いた話し方、患者に圧迫感を与えないように少し視線をずらして話す。
長年1人でPDと戦って来た事で症状をこじらせたり
不安感を余計に刻み込んだりしてしまったのでしょうかと私が言うと、
『でも、自分なりに付き合い方を学んで来たのは、必ず財産になりますよ。
よく頑張ってきましたね。』と言ってくれた。
医師のこんな一言で、どれだけ患者が嬉しい気持ちを持つか、
当の医師本人は分かっていないかもしれない。
それから抗不安薬を飲み始めたが今まで薬を飲まないでなんとかやってこれたので、
薬の効果は良く分からなかった。
でも飲んでいるという安心感と、いつもは無理してしまいがちな所を
セーブするようになったので、それは良かったと思う。
薬を飲み始めて半年後、私はもう早速減薬をしたいと主治医に申し出た。
やはり長い間のみ続けるのは抵抗があったし、
頓服も一度も飲んでいないくらいの状態だったから。
(実は飲まずに我慢してしまうこともあったのだが)
それに、子供を産むことになったらという懸念もあった。
(実際に子どもを作るかどうかは決めていなかったが)
主治医の意見は、『減薬はゆっくり過ぎるくらいゆっくりと』。
今1回1錠日3回飲んでいる薬の内、まずはどれかを1/4錠にすることにしたが、
これでもまだ早いと言う。
ほんの一かけずつでもいいくらいだと。
そんなにちょっとでも変化って分かるものですか?と聞くと、
『そうなんですよ。』とおっしゃる。
まずは1日3回のうち1回の薬を1/4錠に。
それを何週間か続けて、調子が良いようだったら今度はもう1回を1/4錠に。
それも、朝昼夜の内自分の大丈夫そうな時を減らしていく。
私の場合は、昼は家にいても会社に行っていても気が紛れていることが多いが、
特に会社の行きと帰りが心配なので、昼から減らしていくことにした。
そうやって徐々に減らしていく中でも薬が原因かははっきり分からないが
調子の悪い時があって減薬足踏み状態になったり、去年の秋には、
また大きな発作を起こして病院へ駆け込んだりして、後戻りすることもあった。
とうとう完全に薬を止めようと思った月には、母との事で大きなストレスがかかり、
ストップしてしまったこともあった。
無理して止めてはいけない、また大きな症状がぶり返してくるかもしれないから。
減薬、断薬は精神と身体が自然に受け入れる状態で進めるのが一番大切だと思う。
そして減薬を始めてから1年後の去年、2002年12月1日。
とうとう完全に薬の服用を止めることになった。
まったくと言っていいほど、無理はなかった。
精神的にも肉体的にも安定していた。
1度断薬に失敗した時は、風邪や生理やストレスも重なり非常に調子の悪い日が続いたが、
今回はそういった事は何も無かった。
今まで私の心の中に、いつも重くのしかかっていた母に対しての気持ちが、
少し整理出来始めていたのも良かったようだ。
とても忙しかった年末、年始の仕事始め、遊びすぎた時期・・・。
その時その時で、体調が悪くなったり精神的に不安定になったりしたが、
休息を取る事でなんとか乗り切れている。
PDという病気は、はっきり『治った』というのは難しい。
私もまだ不安発作を起こす事もあるし、遠くへ行けるようになったわけでもないし、
長距離の乗り物に乗れるようになったわけでもない。
ただ、自分のテリトリーの中では割と安定して暮らしていられるというだけである。
でも、母の主治医が、
『乗り物が怖かったら、乗らなければいい。旅行が出来なかったら、しなければいい。
苦手だからやらないっていう事があってもいいでしょ?
朝ちゃんと起きて顔が洗える。近くのスーパーなら買い物に行ける。
それだけで十分だと思っていいんじゃない?いきなり旅行なんて高望みしないで。』
と明るくおっしゃってたのを思い出した。
無理して出来ない事をする事はないんだ。
出来る事を幸せにやっていければいいのかもしれない。
そんなココロの余裕が、今の安定した状態を生み出しているのかもしれない。
日々、普通に、落ち着いて暮らせるのが一番の幸せなのだ。(^^)
ほんじゃまか。
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2003年01月14日(火)
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