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もう3時半だ。早く風呂に入って寝なくては。 昨日も寝たのは朝6時過ぎ。先週の日記を読んだ人々から 「なにやってんの?」と半ばあきれた口調で問い掛けられる。 「いや、ボーっと」
講義に出て、ゼミがあり、小説を読む。 大学で時間が空けば部室に行ったり、喫茶店に入ってまずい コーヒーが冷めてさらに一層まずくなるまで粘ってボーっとする。 来年からの就職先もとりあえず決まった。 そんな単調な日々を送る中でふつふつと湧き上がる疑問、 「結局何のために生きてるの?何するの?」
今まで僕はこの古くて新しい青臭い問いと向き合うことを 避けてきたし、ましてや知り合いもよく見ているこの日記で あえてその問いに対する答えを記してみようとも思わない。 今の僕にはとても考えられないし、60年後の僕もおそらくは 答えるのに逡巡してしまうだろう。
だから今の状況はすべて受け入れて、その状況下でベストだと 思うことをどれだけやるか、そう思って過ごしている。 選択の理由付けなんて得てして後知恵になってしまいがちだし、 終えてみなければわからないことなんだろう。
********************************************************** なかなか物事がうまくいかない時に「待つこと」「耐えること」 ができるようになってきたように思う。そんな自分は少しは 大人になったのかなとも思う。
「何もしない」という行為は相当な苦痛を強いるものだ。 けれどその行為を主体的に選択してみると、案外いい結果が 待っていたりする。ただそうすることで、かつてと比べて積極性や 攻撃性を失ってしまったのかなあとも思う。
目の前の事に必死になり、ただひたすらに1つのことに 追われることがある。人間の行動は価値ある(と判断された) 結果を追求するためになされる。ところが、盲目的に物事を 追いつづけていると、その行動の結果のもたらす影響に対して、 深い想像を巡らす事が出来なくなってしまう。そのような時、 「何故そうするの?」と自らに問いを発することが苦痛で 避けてしまいがちだ。
かなり抽象的な内容になってしまったが、特に何かあったとか そういうわけじゃない。書くネタがないんだ。勘繰らないで。
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