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2001年05月25日(金) 横浜の「衝撃」

緑色をした水面の一部がオレンジ色に染まっている。
思わず立ち止まる。

あまりに強烈に。
あまりに輝いて。

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鮮烈な光を長く見続けていたからか、視線をそらした後、
しばらく目の前が真っ白になった。
昼間のうだるような日差しも和らいで、
穏やかな海風が疲れた体に心地よい。

大桟橋からみなとみらい方面へ歩く。
ふと見上げれば大きな観覧車。強大なビルの群れ。
まるで蒲鉾のようなインターコンチもここでは違和感なく
溶け込んでいるから不思議だ。

汽車道を歩く。
隣の遊園地からは歓声が聞こえてくる。
海辺には寝転んで休む人々。
ふと場違いなほど大きな汽笛が響く。
船の軌跡が静かな水面を切り裂いてゆく。

140年前の横浜は開港直後。
外国人用の居留地が設定され、そこは1つの外国だった。
当時は小さな漁村に過ぎなかった横浜の人々にとって
その「衝撃」はいかほどのものであっただろう?

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金曜の午後、卒論のテーマを求めて横浜開港資料館へ。
ゼミの先生が職員の人を紹介してくれたので、
史料の探した方等を丁寧に一通り教えていただいた。

「あなたのところで経済史というと川勝平太とか?」
「実は僕は川勝先生の下で勉強したくて今の学部に入ったんです」
「あ〜、そうなんだ。平太も時々来るんだよ、ここ」

経済史に惹かれたのは高校3年の時だった。
進学先の学部を決めかねていた僕は、ある本に掲載されていた
1つの論文に引き込まれた。

「なんで欧州でも日本でも中国でも封建制があるんだろう?」
こんな疑問を抱きつつも目前のテストのために世界史の
教科書の暗記に励んでいた僕にとって、それはあまりに斬新な
論文だった。

日本は明治以前にも相当程度の経済成長を遂げていたこと。
その背景には欧州の産業革命に匹敵する生産性の向上が
あったこと。生産性の向上は東南アジア諸国との貿易に対する
反応であったこと。

教科書で単発的に覚えてきた歴史現象が体系立てて説明される
そのダイナミックな仮説の虜となった。
まるで熱病のような恋に落ちる少女のように。

僕を虜にした先生は僕の入学と入れ替わる形で大学を
辞めてしまった。ショックではあったけれど、講演会は実現
できたし、本や論文で先生に触れることもできる。
その上、新たに入ってきた今のゼミの先生に会えたのだから
寧ろ良かったのかもしれない。

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卒論のテーマはなかなか絞りきれていないが幕末開港期以降の
横浜の居留地を扱おうかと思っている。開港以来欧米との
窓口であった横浜の歴史を通して「西洋の衝撃」なるものの
実体を考察してみたいと思う。




おじゅん |MAILHomePage

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