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緑色をした水面の一部がオレンジ色に染まっている。 思わず立ち止まる。
あまりに強烈に。 あまりに輝いて。
**************************************************** 鮮烈な光を長く見続けていたからか、視線をそらした後、 しばらく目の前が真っ白になった。 昼間のうだるような日差しも和らいで、 穏やかな海風が疲れた体に心地よい。
大桟橋からみなとみらい方面へ歩く。 ふと見上げれば大きな観覧車。強大なビルの群れ。 まるで蒲鉾のようなインターコンチもここでは違和感なく 溶け込んでいるから不思議だ。
汽車道を歩く。 隣の遊園地からは歓声が聞こえてくる。 海辺には寝転んで休む人々。 ふと場違いなほど大きな汽笛が響く。 船の軌跡が静かな水面を切り裂いてゆく。
140年前の横浜は開港直後。 外国人用の居留地が設定され、そこは1つの外国だった。 当時は小さな漁村に過ぎなかった横浜の人々にとって その「衝撃」はいかほどのものであっただろう?
******************************************************* 金曜の午後、卒論のテーマを求めて横浜開港資料館へ。 ゼミの先生が職員の人を紹介してくれたので、 史料の探した方等を丁寧に一通り教えていただいた。
「あなたのところで経済史というと川勝平太とか?」 「実は僕は川勝先生の下で勉強したくて今の学部に入ったんです」 「あ〜、そうなんだ。平太も時々来るんだよ、ここ」
経済史に惹かれたのは高校3年の時だった。 進学先の学部を決めかねていた僕は、ある本に掲載されていた 1つの論文に引き込まれた。
「なんで欧州でも日本でも中国でも封建制があるんだろう?」 こんな疑問を抱きつつも目前のテストのために世界史の 教科書の暗記に励んでいた僕にとって、それはあまりに斬新な 論文だった。
日本は明治以前にも相当程度の経済成長を遂げていたこと。 その背景には欧州の産業革命に匹敵する生産性の向上が あったこと。生産性の向上は東南アジア諸国との貿易に対する 反応であったこと。
教科書で単発的に覚えてきた歴史現象が体系立てて説明される そのダイナミックな仮説の虜となった。 まるで熱病のような恋に落ちる少女のように。
僕を虜にした先生は僕の入学と入れ替わる形で大学を 辞めてしまった。ショックではあったけれど、講演会は実現 できたし、本や論文で先生に触れることもできる。 その上、新たに入ってきた今のゼミの先生に会えたのだから 寧ろ良かったのかもしれない。
******************************************************* 卒論のテーマはなかなか絞りきれていないが幕末開港期以降の 横浜の居留地を扱おうかと思っている。開港以来欧米との 窓口であった横浜の歴史を通して「西洋の衝撃」なるものの 実体を考察してみたいと思う。
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