2000年10月13日(金) |
走り続ける事について |
走り屋日記(そうだったの?)にしては、走り屋らしきハナシがないので 今日は、頑張って書いてみる。
走りつづけている人には青臭く。 走り始めた人には理解の出来ないハナシかもしれません。 まあ、ちょっと聞いてくださいな。
クルマ好きには、大きく2系統あると思う。(あくまでも、私見) *クルマ(自体)が好きな人。 *クルマに乗るのが好きな人 私は、後者です。イジルのも嫌いじゃないが、乗るのが好きです。 自分でイジッていく事の喜びよりも、速く走る事への技術的到達感に喜びを感じる。
要は、「速いですね」って誉めて欲しかったのだろう。 誰かに認めて欲しかったのだと思う。
クルマで走り始めて、6年半。まだまだヒヨッコです。 でも、6年も続けていることって、他に無いのではないかな?
初めは、とにかく車に乗ることが楽しかった。 クルマに乗っている。ただそれだけで嬉しかった。
峠を走るようになった。 走るたびに、速くなる自分が嬉しかった。(ただ、道を覚えただけですが…)
見知らぬ人と共走出来ることがうれしかった。 お互いに呼吸が合う人と走る楽しさ覚えた。(単にレベルが同じ位ってことか?)
そのうち、環境が変わる。(自分が変わったとも言うが…) どうしても付いていけない人や逆に相手にならない人が出始めた。 悔しくて、走り込んだ。出来る範囲でクルマも弄っていった。
途中、ドリフトもどきにハマッてみたりした。 (上手くならなかったから“もどき”ね)
クルマもどんどんステップアップ(?)した。
走るステージも峠から変わった。 某所は、クルマの力と無謀さの勝負です。 (私の、低レベルのハナシ。高レベルの人はホントに凄いデス。この辺りのハナシは別の機会に…)
ふと、気が付くと走る自分が全然楽しくない。 振り返ると、何も残っていない。 でも、ここで走るのを止めたら今までは何だったんだ! 恐くなった。とても、とても。 足元が「すーっ」と暗闇に変わっていくかの様な感覚。 何としても“何か”形を残さないといけないと思い始めた。 その義務感って言うか、使命感で走っていた。
・FDなんて「クルマが違うから」と言いわけしにくいクルマに乗ってしまった。 ・FDに乗る以上、そう言う走りをしなければ意味はない。 ・小さいながら、走りつづけてきたプライドができた。 ・あとから来た奴に負けられない。
いつも、ハンドル握ると色んな物に急き立てられていた。 すると、次第に走ることへの情熱が無くなっていった。
そうすると、皆が一度は考える事が頭をもたげてくる。 「そんなことして、どうなるの?」 昔なら、走ることの楽しさを情熱的に語り掛け、納得させようとした。
でも、そんな気は起きなかった。 そりゃ、そうだ。俺自身が心に、その疑問を抱いていたから…
今でも、生活のかなりの部分をクルマに費やしている。 何かを得る為には、もっと!もっと!もーーーーっと!頑張らねば! と、自分を叱咤激励し奮い立たせようとした。 何を得る為に、どう頑張るのか分からぬまま…
様々なプレッシャーから、ノイローゼになっている人に、一番言ってはいけない言葉は 「頑張れ!」なのだそうだ。 「頑張れ!」と言われと、「そうか、自分は頑張りが足りないからイケナイのだ」と、 どんどん自分を責めて、さらにそれが大きなプレッシャーになる。
まさに、それ。 もう、おかしくなりそうだった。 いつも考えは、堂々巡り。
幸い(?)クルマが壊れたので、“修理代が無い“との理由で2ヶ月ほど乗らなかった。 冬眠と称して、クルマから逃げた。 自分で勝手に作り上げた“走り屋像”から逃げた。
結果的には、それが良い結果を生む。 今までの、クローズな環境から新しい環境を手に入れることができた。 ほんとに、某集団の皆さんには感謝してるのですよ。 (感謝の気持ちは、毒ガスとアフターファイヤーに変えて・・・)
“何か”形を残さないといけない!との気持ちは消えました。 いまだ、リハビリ中なれど、徐々に情熱が復活しつつあります。
みなさんは、ハンドル握っただけでワクワクしますか? コックピットにいるだけで、ドキドキしますか?
こんな気持ちから、出た言葉です。
************************************* もしかしたら、この人速いのかも?って思ったアナタ! 騙されましたね、ワタシは峠の”話し屋”ですよん。( ̄ー ̄)
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