最近の傾向として、 「感謝されるシゴト」を希望するヒトが多いらしい。 具体的には、看護とかの奉仕精神性の高いシゴト。 (看護が”奉仕”だと言ってるワケではありません。悪しからず。) または、いわゆるボランティアを希望するヒトも多いらしい。
金額的な充足感よりも、ココロの充足感を求める傾向。 論者は、安易に「感謝されたい」との動機でボランティアや 看護などの仕事に付くのは好ましく無い。と、言ってた。
期待が裏切られた時、自分で考えてる程”感謝”されなかったトキ。 一気に逆恨みにも似た行動が起こる。
それが、最近の施設での虐待や看護現場での事件の 発端になってるのではないか。 と、言うのだ。 さらに、子供の虐待もこれになぞらえる。
安易な「感謝されたい」衝動は、思考がお子様ランチで 最近の大人は、精神的に幼稚になって来ている。だそうだ・・・
ちょっと待てよ。オッサン。(言ってる人がオッサンだった)
確かにオレも、そういう仕事に変わりたいなぁと思うコトはある。
誰にも感謝されず。 誰にも喜ばれず。 誰にも誉められず。 誰にも認められず。
営業ってそんなシゴト。
オモシロクないんダヨね。
苦労して、苦労して、数万円の売上にしかならない。 と、思うと。 ファックスが流れて来て、数千万の注文。
何かイヤになる。 ドコに力入れればいいのか分からなくなる。
苦労して、努力した物件ほどカネにならない。 カネにならない仕事は、誰も喜ばない。 会社も認めない。
オレが、責められる。
ナゼ?
利潤を求める会社の要求。 お客の要求。
もちろん理解できる。
でも、オレは今まで一度たりとも 「営業って面白い」と思ったコトはない。 お客に、最良のソリューションを供給できても、どこか卑屈になる。
そんな時に「誰かに誉めてほしい、感謝される仕事がしたい」と思うのは、 そんなにオコサマなのか? 「誉められたい」とか「感謝されたい」って欲求は、皆アルもんでしょ。
そのキモチが分からず、”思考が幼稚”と言う アンタの思考の方が、よっぽどオコサマなのでは?
ワケ知り顔で、ウンヌン話すヤツに非常に腹が立った。
ところで、話はぜんぜん変わりますが、 すき屋の牛丼が280円になりました。
嬉しい限り。 特に具の質が下がった様な感じはしません。
「嬉しいなぁ」と、思う反面。 「じゃあ、今までの金額は何?」とも思う。
最近、「ホントに?」と思う価格が多い。
適正な価格って何? ドコかで泣いてる業者がいるんじゃないの?
最近の過度な価格競走、価格破壊はイイ事じゃ無いと思う。 (消費者の立場でだけ見れば、イイことですが)
企業努力や技術革命によりコストが下がるのはイイと思うケド 単純に値切って、値切ってで安くできても意味ないと思う。
最終的には、全てが減衰に向かって行きますよ。
分かるカナ?某N社さん。 商品の売上良く無いのに、コストカットで利益出ても あんまり意味無いとおもうけれどなぁ。
呪文の様に「安くしろ」と言うのヤメないかね。
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