2001年08月04日(土) |
相対的なキョリが分からないとヒトは不安になる |
ケホ、ケホ。 咳が止まりません。 コマったモンだ。
それはさておき、相対的観念と絶対的観念のハナシ。 およよ、今週は疲れてるのでコムズカシイハナシが多いゾ。 ヘリクツとも言うらしいけど・・・
ウチのHPの掲示板に”イルカには怒りの感情が発見されてない”とある。 そこから考えたんですヨ。 私は基本的に、自分が体験するか、納得できる話、説、考えを読まないと その考えを自分の考えとはしません。 うわー、典型的な偏屈野郎ダナ。オレって。
で、イルカの話です。 前にも、その話は聞いた事があるのですが、大きなギモンが有るのです。
”怒り”って感情は絶対的なモノなのか?と言う事。 どーいうコトかと言うと、人間の感情なんて定義し難い物を、他の生き物に当てはめて”アリ””ナシ”を考えて良いのだろうか? イルカの実験した人の考える”怒り”の感情は絶対的なモノなのか。 もしかしたら、そのヒトと私の考えるものは相対的に違うかもしれない。
イルカは、もしかしたら、人間にはあてはまらない、全く別の感情を持っているかもしれない。 ”そんなもの持っていない”と言える人はイナイでしょう。
イルカだけじゃナイですよ、他の動物、草や花にも人間には全然考えも及ばない感情があるかも知れない。
そもそも、感情なんて概念すらあてはまらないのかも知れない。
それなのに、何でも人間に当てはめて他の者を知ろうとする。 ん?”知ろうとする”? それは、ホントのホントの姿を知る事なのだろうか?
なんて言っても、人間は自分の立っているコノ場所すら判別できない。 そう、宇宙のドコに我々はいるのか分からないんですヨ。 宇宙どころか、未だ人間の成り立ちまでもが分からない。
それに、ヒトはヒトの感情も理解できていないのだ。
ヒトとヒトは分かり合うコトは出来ても、他のヒトを完全に知るコトはできない。
ヒト同士のコトすら分からないのに、イルカのコトがナゼ分かる? イルカはヒト程複雑な精神構造を持っていないカラ、分かるのか?
それは違うデショ。 何で、複雑じゃ無いってワカルの。
さてさて、困ったゾ。 絶対的な何かを定義しないと、話が何も定まらない。
そうです、絶対的な物なんてナイって気が付くと、途方に暮れるのです。 何も考える事が出来ないのです。
自分とのキョリが分からないとヒトは不安になるんです。
だから相対的な観念の出番です。 何か基準になる物を設定する。 それから相対的にドウなのかを考え、判断して行くのです。
物事は全て相対的なモノなんです。
それを忘れてはイケマセン。
世の中の決めゴト、法則、全て相対的なモノなんです。 それをあたかも絶対的なモノだと思い込んで生活してるんですナ。
問題はナイのですが、忘れてはイケマセン。 そこに隠されている相対的な定義を。
基準が、ワタシとアナタで違えば、同じモノでも違うものとなる。
世の中は全て相対的な判断で成り立っている。
・・・と、私は相対的に定義してモノゴトを考えてるんですナ。
そう、この考えも私の相対的な判断に基づくモノ。 アナタの判断とは相対的に異なるカモしれません。
何が何だかワカラナイかもしれませんネ。 考えれば考えるホド、答えは出ない。
答えがでなきゃイケナイって誰が決めたの? 相対的なキョリが分からないとヒトは不安になるんですもんねぇ。
でも、まぁ、それも、ヨシ。
答えの出ないコトなので、ココで答えが出る訳もナシ。 無限ループの様な感覚、思考の森に迷い混む様な感覚。 ちゃんと、出て来れるヒトだけ迷い混む様に!
ナカナカ楽しかったりするモンですヨ。
ちょっと、アッチ方面にイっちゃてるカナ?(笑)
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