ネタに困った日は、ドコかに「お題」が出てると助かります。 つーわけで、さっそくネタをイタダキます。
さて、その「お題」です。
「お題」は”オトナ”についてです。
「オトナ」もちろん「大人」のコトです。 「大人」ってコトバは非常にズルイコトバだと思うのですヨ。
”大人ってナンでショ?” 誰もが一度は思う事ではナイでしょうか。 これほど知られていて、実は分からないコトバはナイと思います。
「大人って何?」と聞くと「アホかオマエは、大人ってのはな・・・」と 話は始まって行くのですが、突き詰めると困ってしまいます。 皆、当たり前に思っているコトなのに、いざ姿を見極めようとすると、 その姿はボヤケテしまいます。
「そんなコト考えるコトがコドモだ」
と言うヒトも居ます。 そうかもしれませんネェ。 こんなコトは思春期のコドモが考えるコトかもしれません。
でも、そうでしょうか?
ホントのコドモは、そもそも考えませんよ「大人って何?」なんて。 気が付くと「大人」を意識しているモノです。 少なくとも、ワタシは意識してましたよ。 そうですねぇ・・・小学校5年位でしょうか? 「早く大人になりたい」とか「大人に見られたい」と思ったのは。
早いのか遅いのかは分かりません。 だって、こんなハナシを当時はしませんでしたし。 そんなコト、言うヤツがコドモだと思ってましたし。
ありゃりゃ。 そう思うってコトは、やっぱコドモなのか?
ハテハテ? すでにハナシがグルグル回ってきましたねぇ。
こんな風に、ズルイ奴なんですよ「オトナ」ってコトバは。 定義されていないのに、何かしらモノゴトを判断するモノサシにしたりする。
あるデキゴトに対して「アイツは(あの言動は、考えは)オトナだなぁ」なんてカンジで。
そもそも、オトナもコドモも定義できて居ないのにね。
冷静に、どちらかと斜に構えたクールな立ち居振る舞いが、 オトナと考えた頃もありました。 コドモの様にハシャグには、オトナではナイ。とね。
でも、それも違うデショ。 今は、コドモの様にハシャグ事ができるのも「オトナだなぁ」と思う。
じゃあ、「場をわきまえるコトがデキル」ってのがオトナかも?
こりゃ、近いかも知れないなぁ。
コドモの様に騒いでイイの時は、騒ぐ。 冷静にならなければイケナイ時には、冷静に。
おおっ、コレはワタシの思う所のオトナに近いなぁ。
でも、オトナなのにコドモじゃないとイケナイ時もあるなんて、 不思議だナァ。
ハテハテ?
”オトナ”と同じくらい”コドモ”ってのもアヤシイコトバだって気がしてきた。 そもそも、どちらも分っている様で分からないコトバなんですね。
なんともズルイなぁ。 そんなコトバで色々言われて来たと思うと、ますますズルイ。
分からないクセに「大人なんだから」とか 「コドモのくせに」なんて言うんだもんなぁ。
どうも、「オトナ」も「コドモ」も完全には区別できないモノの様です。 「オトナ」の中にも「コドモ」はあり、必要な様です。
逆はドウでしょう?
「コドモ」の中に「オトナ」はアルでしょうか?
”ある”って言えばアルし。”ない”って言えばナイですよねぇ。
「オトナ」と「コドモ」には関連性はあるものの、 完全に反するモノでは無いのではないか?
こんなコトを考えました。
ソコで、こんなハナシを思い出しました。
オトナって言うモンは、コドモがオトナになる訳では無く コドモがたくさん集まって出来たモノが、「オトナ」になるのだ。
こんなハナシ。
ナルホドね。 ”コドモ”って言うのを、 ”自分なりに「コドモだなぁ」「コドモだったなぁ」と思った経験”と 考えれば分かりやすいカモしれません。
そもそも我々はコドモなんです。 何かのキッカケで、突然オトナになる訳ではありません。 もちろん、歳をとればオトナになるワケでもありません。 コドモをくり返して、その行動に思う所があって、 その経験を重ねて行ったトキにオトナになる。
ただし、「オトナ」って定義は存在しないので、 いつ「オトナ」になるかなんて分からない。
なぜなら、我々は、そもそもコドモだから。
そうか、だからいつまでも我々は 「なんで、こんなコドモみたいなコトを」と悩み、悔やむんだろうなぁ。
そして、それがオトナなのでしょう。 「コドモ」を行い、蓄積する事が「オトナ」
なんてズルイコトバなんでしょう。
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