こぎとえるごすむ
思う事・日常の出来事をウダウダと書きます。
「テメエふざけんな!」と思っても暖かい目で見て下さいね。

苦情は受け付けません。イヤだから。

2010年10月15日(金) 怯えと情けなさと混乱と後悔と

木曜の夕方から金曜日の記録。
木曜日は、死ぬほど長く感じたが、金曜土曜はあっと言う間だった。
 
木曜日は、3時頃に帰宅した。
全く寝れなかった。
 
そもそも目を閉じるのすら嫌だった。
背後の気配や家鳴りにおびえた。
 
一人で居ると怖くて家中の電気を付けていた。
 
俺は、あいつが俺を恨んでいると思ったんだ。
本当に情けない。
 
でも、あいつは、それも笑って許してくれるだろう。
それも、バカにしたような笑い方で「バカじゃないの?」って。
 
でも、あの時は、本当にどうにかなりそうだった。
早く夜が明けることを祈り続けた。
 
夜が明けたが、頭がおかしくなりそうだった。
上司に、事の次第をそれなりに報告したメールを送り、
木曜日は休む事にする。

何とか持ち堪えたかったが、本当にどうにもならなかった。
平日なので友達にも電話できない。
 
でも、誰かに話したかった。
 
無用な心配を掛ける事に、一瞬躊躇したが、何よりも支えが無いと今にもおかしくなりそうだった。
 
情けないけど、
一人で抱えるには重過ぎた。
 
本当に情けないと思うけど、俺は母親に電話した。
母親には、彼女の事を話していたから。
 
電話したが、出なかった。
そこから電話が来る昼前までは、本当に怯えていた。
 
電話で話をした。
もちろん、俺は母親が俺を肯定して励ましてくれる事が分っていた。
それが欲しかったし、実際そうだった。
 
情けない。
 
お日様と母親との電話が、少し俺に安心を与えてくれれた。
 
「こんな状況でも眠くなるんだな。」
 
ベッドに横になるが、寝れなかった。
ずーっと考え事と泣く事を繰り返していた。
 
携帯に残っている数百通のメールを読み返していた。
 
すると、15時前に見知らぬ番号から電話が掛かってくる。
 
警察からだった。
 
検死の結果と事情聴取の日程調整だった。
「明日はどうですか?」と言われたが、
「今日、これからではダメですか?」と逆にお願いした。
 
昨日帰ってきてからそのままだったので、
シャワーを浴びて身支度をした。
 
頭を洗うときに目を閉じる事にも怯えた。
情けない。
 
16時少し前に警察署に着いた。 
警察署を出たのは、18時半だった。
 
聴取では出会ってからの事から、最近の事までずべて話した。
全部話す事で、俺が落ち着く事が出来た。
携帯の内容をコピーする為に刑事が部屋を出ると、俺一人になった。
 
一人になると俺は泣き出したりしていた。
 
今になると分るのだが、彼女の家族に関しての俺の情報は、ことごとく間違っていた。
同棲までにしてたのに、相手の家族の連絡先すら知らない。
その割りに、実家の店の名前を知っている。
 
最後に会ったのは俺で、発見も俺。
疑われてもしょうがない。
 
この時は、それすら気がつかなかった。
 
俺は、彼女が実家と上手く行っていないと聞いていた。
だから、実家と連絡が取れないんじゃないかと勝手な心配をしていた。
いざとなったら、俺が葬式をあげるとか失礼千万な事を考えていた。
 
葬儀葬祭の日程を知らないか尋ねたが、
警察からは話せないと言われた。
 
親族に連絡取りたいと食い下がったら、警察が電話で確認して先方が了解したら連絡先を教えると言った。
 
お兄さんの名前と連絡先をもらった。
 
警察署を出て、車の中から電話をした。
出なかった。
 
事情聴取の間に母から電話があった。
半ば予感はしていたが、電話をすると車の中だった。
 
一応、来なくていいと言ったが、その実、来て欲しかった。
情けない。
 
ひどく疲れていた。
でも、眠たくは無い。
でも寝なきゃダメだと体が悲鳴を上げていた。
頭痛がひどかった。
 
家までの帰り道、何度も涙が出た。
死因は、おれが想像していたものとは違った。
 
事情聴取した「係長」(たぶん)と呼ばれる人は、優しく言葉を選んでくれていた。
昨晩も現場に来ていた「班長」と呼ばれる見るからにベテランたたき上げの人は、ぶっきらぼうに事実を淡々と話した。
あの場でも、耳を疑うような事を言っていた。
 
でも、今は、俺が受け止める勇気が無かった事実を教えてくれたのだから感謝している。
 
しかし、どちらも亡くなった時間を教えてくれなかった。 
俺のアリバイの裏が取れるまで、教えられないのだろう。
 
ほぼ30分おきに電話したが、お兄さんには繋がらなかった。
繋がったら、何を話せばよいかを必死に考えていた。
 
夜の10時にもなると、さすがに電話できなかった。
 
東名の集中工事のせいで、両親が到着したのは深夜12時過ぎてからだった。
当初、床で寝ると言っていたが、さすがに両親を床で寝かせて自分はベッドで寝るなんて出来ない。
3人で泊まれる部屋を予約した。
 
あいつの物がたくさんある家に居る事が辛かった。
 
両親とファミレスで食事をした。
正直、食事する気分ではなかった。
 
食事はとったと嘘をついて、でもスープとドリンクバーを頼んだ。
頼んでから気が着いたが、ひどく喉が渇いていた。
 
ファミレスで、あのときからちょうど24時間経過したことに気がついた。
こんなに長い1日は初めてかもしれない。
 
ホテルに着くと、酒を飲んだ。
飲む気にはなれなかったが、酒の力を借りて寝たほうが良いと言われて飲んだ。
話をして落ち着くと安心して寝ることが出来た。
 
翌朝、仕事に行くつもりだったが、到底無理だった。
 
朝から何回か定期的に電話するが繋がらなかった。
調べてみると、昨日聞いた電話番号は、店の電話番号だった。
自宅と店で番号が違うのではないかと思い、104で確認してみたが同じ住所に別の番号は無い様だった。
 
口では、「直接店に行って見る」と言ってはいたが、踏ん切りがつかなかった。
娘と同棲までしても挨拶に来ない。
そんな奴が第一発見者で、気分が良いわけが無い。
何を言われてもしょうがない立場。
 
少し挫け掛けていた。
 
ちょうど社長と話した。
行くべきが行かざるべきか聞いてみた。
 
「それは行くべきだろう」
 
その通りだった。
調べた住所をナビに入れて向かった。
 
途中までは、何度も何度もあいつを送っていった道なので、いろいろ思い出していた。
俺のポータブルナビは、そんなに高性能ではないので、いつも目的地付近までしか案内してくれなかった。
 
でも、今回は、ココ入って大丈夫か?と思うほどの道も案内した。
やっぱ、あいつが呼んでるに違いないと思わずに居られなかった。
 
車を止めると、怪訝そうにこちらを見ながら女性が出てきた。
義理のお姉さんだった。

事の次第を説明したら俺が誰だかわかってくれた。 
家に入ると、お母さんとお父さんがいた。
 
俺は、そこで混乱した。
お母さんは、介護が必要と聞いていたが、全然違っていた。
 
まず簡単に自己紹介をすると、あいつに会うことが許された。
 
自分では、そんなに長い時間だとは思わなかったが、
どうも俺は20〜30分泣きながら話をしていたらしい。
 
その後、改めてお父さんとお母さんに挨拶をした。
 
正直、門前払いも下手したら物でも投げつけられて罵られてもしょうがないと思っていた。
本当に、俺は失礼千万なやつだ。
 
お父さんが、娘から俺の事をどういう風に話していたか知らされた。
 
娘と俺が幸せになることを夢見てた事。
俺ならば、娘を変えることが出来ると期待していた事。
 
あいつが、俺と一緒になりたがっていたこと。
でも、自分がふさわしくないと悩んでいた事。
 
そして、あいつが、本当に俺の事を愛していた事。
 
俺は、あいつの事が全然わかってなかった。
俺に勇気がなったこと、あいつの気持ちを分ってやれなかった事を心から後悔した。
 
俺は、泣きながら土下座して謝る事しか出来なかった。
 
その後も、色々な話をした。
俺は、あいつが何でそんな嘘をつく必要があったのか分らなかったが、
お互いに聞いてることには大きな違いがあった。
 
お母さんは元気だし、お父さんと上手く行ってないと言っていたのに、全然、そんな事なかったこと。
俺の家を出て行った理由とか色々あった。
 
でも、全部、気にする事は無いとあいつに言った。
みんな言い人じゃないか、もっと早く紹介しろよ!と文句言ってやった。

でも、もっと早く、今日みたいに強引にでも来ていれば、
あいつに余計な心配させずに済んだのかもしれない。
 
ホント、後悔とはよく言ったもんで、後になって悔いることが多い。
 
お父さんとお母さんは、俺も一緒に納棺することを許してくれた。
明日焼き場に同席するのも許してくれた。
 
でも、お兄さんは目も合わせてくれなかった。

だいぶ落ち着いてきた。
悲しい事に変わりは無いけど、落ち着いてきた。
 
その夜、寝る前に、あいつに手紙を書いた。
あいつは、よく手紙をくれた。
 
メールもしてるのに、手紙をよく書いてくれた。
俺は、自分の文字が嫌いなので手紙は嫌いだった。
なので、あいつは、俺が手紙を書かない事に不満をもらしていた。
 
もし、お父さんお母さんが許してくれたら、あいつに手紙を渡したいと思う。
 
その晩は、昨日に増してぐっすり寝ることが出来た。


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