痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2002年01月15日(火)      まえ と あと

     まえ っていえば前方だと思うよね。方向的に自分の顔よりも先の方だ
    と思うよね。
     でも時間的には今よりもまえ、過去のことだと思うよね。

     あと っていうと後方、自分の背面の方だよね。でも時間的には今の次
    とかそのまた次だと思うよね。

     方向でも時間でもまえとあとの軸になるものがあってそれを基準にどっ
    ち向きかってことなのに、なんでまるっきり逆なのだ?

     スペイン語では atra's は方向では後ろ向きで、時間的にも過去、軸
    よりまえのことなのです。 adelante も方向も時間も先へ向かっている
    のです。

     ??? とっても整合性がある。日本語がたぶん変なんだろうと思う。
    こんなことを考えこんでしまい今日のスペイン語教室はなんだか先生の話
    もちゃんと聴いてなかった・・・2週間ぶりでまた2週間お休みなのに。
    
     一応自分なりの結論は、無意識の視点の違いからだと思います。スペイ
    ン語的には全体を遠くからみて、軸が動いていく向き(方向も時間も)
    でまえとうしろが決まる。時間は逆もどりしないので、当然未来が前。過
    ぎたことは後。
     で、日本語は方向は単純に軸の向きだと思うんだけど、時間の方は・・
     視点ではなくて始点があるんだと思う。日本語族ならだれでも無意識に
    了解している点。ものごとが始まった点。人間なら生まれたところから始
    まる。そこからみると、軸である人間は先へ動いていって、まあ後姿がだ
    んだん小さくなっていくでしょう。そこから見ると、軸のひとにとっては
    一番過去のできごとが一番手前のことでしょう。そんな視点でみると軸の
    人間にとっての主観も自分が始点だとすると一番先にくる電車がまえの電
    車でその次のはあとの電車になるでしょう。

     ??? でもそうすると あとが発生するにはまえにものごとがあると
    いう前提がないといけない。
     ということは言葉を発するひとのなかでは、軸が自分ではなくなってい
    るるはず。自分は始点にたって手前にあるものをまえ、その後にいるもの
    をあとと呼んでいる。軸はまえのものとあとものとの間にある。

     たんなる習慣とはいえなんてめんどくさいんでしょう。
     ??? 時間軸が絶対ではなくて、ものごとが発生した順番を始点から
    みて、あとのものはまえのものの背後にある、ってこと?始点さえも視点
    によって変わるってこと?

     ぐるぐるしてきたのでおしまい。しかも下町のひとは うら もうしろ
    とごっちゃにしてしゃべるのだ。うらのひと=うしろのひと。前が表だか
    らということなんだろうけど。
     あ、わたしはネイティブだから大丈夫。    


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