なので神さまのことを考えてみました。 わたくしは神さまを信じていますし、 まったくもってありがたいものだ と常に感謝の念を抱いております。 だってこの世界で ニンゲンはニンゲンを増やすことと、 今ある種の遺伝子とかを弄くってちょっと色や形や大きさを変えることはできるけれど、 まったく新しい動物も植物も作り出すことはできないし、 水も空気も土も星も、加工することはできても新たに一から作ることはできないもんね。 ニンゲンがわたしらニンゲンっていう生き物でどうも今この世界で一番賢いみたい、 と思ったときには世界はもうそこにあったわけだからして こんなに完璧に用意して下さってほんとうにありがとうございます とニンゲンである自分のためにも思うし、 ニンゲンのあまり居ない 森の奥や高い山の上やそれこそ深海の生き物や植物の映像をみたり、そういうところのふちの辺りから目でみたりすると、 世界は別にニンゲンに為にあるわけではないことを思い、 でも大きな顔して住んでられてよかったなあ と世界の懐の深さに感謝したりもするのです。
よく人間が世界を 人間が地球を 滅ぼす ダメにする という論調を目にしますが、わたくしはそれは 反省しているようでいて結構思い上がっているなあ といつも思うのです。 人間が滅ぼしてしまうとしたらそれは人間。 ダメにしてしまうのは今までニンゲンが甘受していた環境じゃないのかな。 もちろんその中にはニンゲン以外の生き物が含まれるけど、 ニンゲンの関与なしに世界から消えた生き物もいるよね。
ニンゲンが世界をどうしたいのか、今ある自然を大切にしたいのも 生活のためにあるだけの自然燃料を掘りつくすかもしれないのも やっぱ原子力ってなるかもしれないのも まずありえないけど江戸時代的生活にもどれなニンゲンが多数派になるかもしれないのも どれもニンゲンの思惑 都合であって、 選択しだいでニンゲンの種の繁栄が長く続くかもしれないし勝手に滅びるかもしれないけど、 それでも世界も宇宙もニンゲンには分からない力で変化したり大きくなったり消滅したり新たに生まれたりするわけでしょう。
そんなニンゲンを生み出したことも含めてニンゲンの思惑の届かない でもこの世界をあらしめている力を分かりやすくわたくしは神さまと呼んでいるのです。 そして神さまはあらゆるものを提示してくれるけれど決してニンゲンの思惑から生まれる疑問には答えてくれない。 作ってやったんだから自分で考えろってことかな。
で、わたくしが敬う神さまはニンゲンにあーだらこーだら言ったりしないので、ニンゲンの思惑から生まれたようにわたくしには思えるクリスマスの主役のお方は全く感謝の念をささげる対象外なのですが、 方向性は違えど、ニンゲンが神さま的なものを思うことは悪くはないと思うのです。 思うのはね。 だからクリスマスもオッケーよ。 ニンゲンとして謙虚になったりただ楽しんだり とにかく神さま的には関係ないからね、好きにすればいいと思うの。
おまけで、ニンゲンが死んでも灰になって土になってほかの生き物に食べられて、形をかえて世界の一部にもどることを考えると、 仏陀さんの言った輪廻も世の理のわかりやすい例えとして、 数千年前にさすがだ と尊敬せざるをえない。 悟りを得たのもニンゲンの思惑から解き放たれた境地に至ったのかな、 しかも自分だけでなく広く他のニンゲンも解放しようとはたらいているし、 長生きしてるし、 仏陀さんは尊敬できる人間だ。
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