2003年04月11日(金) |
『花と…鬼と人と 6』(オガヒカ小ネタ) |
旅館を出た頃よりは、いくぶんか明るくなったとはいえ、夜明け前。 まだ、辺りはうす暗い。 …それに、夜明けが近づくに従って、肌に感じる空気はつめたく冷えていった。
「…なんか、さっきより寒いよ。明るくなってきてんのに」 「夜明け前が、いちばん冷えるモンなんだよ。寝ぼすけのお前は知らないだろうがな」 ヒカルは旅館の女将からもらったカイロを取り出し、それを両手で挟んで手を温めていると、緒方が横からそのカイロを取り上げた。 「あ、ずるい。俺がもらったのに」 「お前は手袋してるだろうが。俺は素手だ」 「緒方さんも手袋してくれば良かっただろー」 「手袋は嫌いだ」 「なんだよそれ〜」 カイロを取り返そうと緒方の腕を捕まえたところで、緒方が足を止めた。
「……?」 「ついたぞ」 状況が分かっていないヒカルに、緒方は目の前の、小高い小さな丘のようになっている所を目線で促した。 「…あれが、『お前に見せたかったモノ』だ」
「……う………わ…………」
――それは、まるでその丘の支配者のようにそびえ立つ、巨大な樹。 根本の幹は、大人が何人かで手をつながなければ囲めないほど太く、そこから、太い枝が竜のように、自然でしかありえないようなカーブを描いて伸びている。
そして。 白く光るように咲いた、花、花、花。 日の光がなくとも、その巨木の生命力で内側から光っているような、そんな花。
古来より、人が愛で、親しみ、恐れ、畏こんできた。 春を象徴する花。その名は…………
「………さくら……………?」
ヒカルは、恐る恐るその名を口にした。
「ああ。普通の桜より白いが、それもこの桜の特徴でな。『薄墨桜』という」 「うすずみ……?」 こんなに白く、光るように咲いているのに。 「……そのうちに分かる」
応えながらも、緒方の視線もあの大きな桜から離れない。 この桜を目の前にした時はいつもそうだ。 義父が守った花だからか。 祖母が愛した花だからか。 ――様々な思いがある筈なのに、 この花は、その思いをすべて吸い取るようにして、咲く。 その花しか、見えなくなる。 思いも、憎しみも、苦しみも、すべて。
強引に意識から消し去って、ひとは、ただ桜を眺めるのみ。
「…大した巨木だろう?樹齢、1500年くらいらしい」
1500年、という言葉に、ヒカルはぴくり、と反応した。 千年。 気の遠くなるような、長い、長い時間。 あのひとと同じ時を生きてきたのか。この、目の前の花は。
ヒカルは、思わず一歩踏み出した。 天を覆うかのようにひろがる枝。そこに咲く、白くはかないようで、しかし静かなる美しさを内包する花。 その存在は、とても、とても大きくて…………
………まるで、佐為、そのもの。 はかなげな白い姿、光るような、美しさ。 しかしその指が、扇子が指し示した一手は、何よりも強く、大きく、ゆるぎないものであったことか………。
ヒカルは、また一歩、踏み出す。
その花の下に、あのひとが見えたような気がして。
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