2003年04月20日(日) |
『花と…鬼と人と 8』(オガヒカ小ネタ) |
暁に――白く光る桜の下に。 確かに――あのひとを見たような気がしたけれど。
夜も白々と明けゆけば 東雲の空もほのぼのと 明けゆけば其は
跡 絶へて
それと見えしは塚の上の 桜の花は薄墨に 染まりゆくこそ哀れなれ 花散りゆくこそ あはれなりけれ
――それは、ほんのひと時の幻。 音もなく。 香りすらなく。
夜が明けてしまえば、輝くばかりの日の光と、鮮やかな色が世界を塗り替えて。 後に残された人はただ、 はらはらと舞い散る薄墨色の花びらを、見送るしか術はない。
毎年、この光景を見送ってきたという緒方。 その視線の先に映るのは、誰なのか。 ヒカルは尋ねようと口を開きかけて……やめた。 自分もまた、この桜の樹の下に見出した人を、話すことができないのだから。
「…何だ?」 「ううん……毎年、ここに来てるって言ってたよね」 「ああ」 「来年も…一緒に来てもいいかな」 ひとりで見るには、あまりに綺麗すぎて、恐いけれど。 …でも、見ずにはいられないほど、この光景は美しくて。 …それが、なつかしい面影をそこに見出すことができるのなら、なおさら。 それに……
「ふたりで見るのなら、緒方さんも、寂しくないだろ?」 ヒカルの言葉に、緒方は琥珀色の目を見開いた。 そして、静かに息を吸うことで、ほんの一瞬、自分がその時息を止めていたことに気付き、苦笑する。
…その、言葉を聞きたかったのかもしれない。 12歳のあの春の日から、ずっと。 この光景を、自分とは違う想いで、自分と同じ心を抱えて、涙すら流せずに、ともに見つめてくれる存在を。 …或は、彼ならば、「そう」なり得ると期待したのか。
緒方は、見上げてくるヒカルの灰色の瞳を見下ろした。 「…そうだな。お前も、ひとりで「これ」を見るのは、恐いだろうから」 ――連れて来てやるよ。 承諾の言葉を隠したまま、緒方はヒカルの唇に軽く触れた。 ヒカルは応えるように、緒方の背中に回した腕に力をこめる。
ざああと音を立てて風が吹き。 その風は、さらに桜の花を散らした。
「…もうそろそろ旅館に帰るぞ」 「ん……何かおなか空いた」 「上出来だな。どうせここしばらく食ってないんだろう」 「…………う…………」 何で分かったんだよ、と見上げると、緒方はニヤリと笑った。 「こうやって触ってりゃすぐに分かるさ。そんなモン」 「緒方さんのスケベっっ!オヤジ!!」 真っ赤になってくってかかるヒカルに、緒方はくつくつと笑う。 「悔しかったらせいぜい食って少し太れ。これ以上抱き心地が悪くなるのはかなわん」 遠慮のえの字もなく腰や胸に触れてくる手から、ヒカルは何とか逃げ出した。緒方の手が届かない距離をとってから、くるりと振り返る。 「うるっさいなーー!……あ、でも朝っぱらから重いのは食いたくないかも」 「今朝は、お粥を炊いてくれているそうだ」 「お粥〜?!病人みてぇ」 「そうか?地元の米で、名水と名高い湧き水と岩塩を使った炊きたての粥に地鶏の卵を添えてくれるそうなんだが……嫌いならいい」 ヒカルは言葉につまった。確かにお粥は病人食というイメージがあってあまり好きではないけれど……そんなにこだわって作られるお粥は、何だか美味しそうではないか。 それに、緒方が選ぶ食事で、不味かったものは一度もない。 ヒカルはすたすたと先に歩く緒方を追いかけた。
「嫌いなんて言ってないだろ!食べるってば!!」 緒方は後ろから近づく足音に、唇をほころばせた。 作戦成功。ことヒカルに対しての餌付けで失敗した事はない。 しばらくの間食が細かったらしいヒカルの胃を考えて、わざわざ旅館に朝粥の朝食を頼んでおいたことも、わざわざ喋る必要もない。
ぶつかるように腕に抱きついてくるヒカルを片手であしらいながら、緒方は旅館への帰途についた。
いつもなら後ろ髪をひかれるような、桜への想いを感じることなく。 …それは、緒方も気付かない事だったけれど。
「ひと」が去ったその後は 薄墨いろの花びらが ただ風に吹かれて舞うばかり…………。
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