2003年09月22日(月) |
『マイ・フェア・レディ 6』(女の子ヒカル。オガヒカ) |
「あら♪よく似合ってるじゃない、ヒカルちゃん」 棋院に着くと、浅海七段が玄関でふたりを待っていた。
「そ…そう?」 「ええ。緒方先生の見立てだから、ちょっと心配もしていたんだけど…」
浅海はヒカルを上から下までじっくりと眺め、にっこりと笑った。 そこに立つのは、レトロな柄の振り袖の愛らしくも初々しい16歳の少女。 下手に背伸びをすることもなく、蒼い袴が凛々しく決まり、「女の子らしすぎない」ところがかえってヒカルにはぴったりと似合っていた。女学生風の濃茶のブーツも可愛らしい。
「大丈夫。とても素敵よ。ヒカルちゃん、和服姿もイイじゃない」 「うん…俺、こんな髪だし、全然女らしくないから…着物なんて絶対似合わないって思ってたんだけどね」 ヒカルはふわりと微笑んだ。
――佐為みたいな、きれいじゃないと、似合う訳がないと、思ってた
その微笑みに、緒方は一瞬、煙草をくわえようとした手を、止めた。
「そんなことないわよ!さぁ、遅くなったけど、良い写真撮ってもらいましょう」 「うん」 ヒカルが素直に頷いたことに安心して、浅海七段はヒカルを連れて撮影予定のホールへと向かった。 緒方は、煙草に火をつけ、煙をくゆらせながら、その様子を眺めていた。
(…今の表情は……)
透き通るように透明な、普段のヒマワリのようなヒカルの印象とはかけ離れたようなそれ。 しかし自分は知っている。どこかで見た。 ……思い、出せない。
緒方は煙を吐き出すと、まだ長く残っている煙草を灰皿を押し付け、ヒカルの撮影現場へと向かった。 …まったく、進藤といると退屈しない。
「…面白い……」
そう呟いたのを、緒方自身も自覚していなかった。
緒方がホールに向かおうとすると、前方からヒカルたちを先頭に撮影スタッフたちがやって来る。 「何だ、もう終了か?」 「いいえ。ヒカルちゃんが着物ですから、やっぱり和室の方が良いだろうって事になって」 「「清風の間」に移動だってさ〜」 緒方の問いに浅海七段が答え、ヒカルものんびりと続ける。
「緒方先生」 スタッフからの声に、緒方はじろりと視線を向ける。無意識なので他意はないのだが、まだ新人らしい彼はたじろいだ。 「あ…あの、進藤クンの着物、ありがとうございました。おかげで、良い写真が撮れそうです」 「ああ…」 緒方はふ、と口元だけで笑う。 「俺は知り合いの呉服店にアイツを放りこんだだけさ。あそこまで化けると思わなかったけれどね。見られるようにはなったようだ」 「「見られるように」なんて、とんでもない!いや〜進藤三段って、結構可愛いかったんですなぁ」 「これで今年のカレンダーは、売れますよぉ!」 「俺も買おうかな」 「社員割引ってあるのか」
…好きなことを喋るスタッフをよそに、緒方は「清風の間」の前にたどりついたヒカルが戸惑っている様子なのを見咎めた。 「どうした」
「和室だから、靴、脱がなきゃなんだけど……」 スニーカーなら、すぽっと脱いでそれでおしまいだが、ヒカルが今履いている編み上げのブーツはそうはいかない。 紐をほどけば良いのだが、かがんでしまうと、長い振り袖が床についてしまうし、しゃがむと袴も床についてしまう。 「せっかく美登里さんが着せてくれたのに…汚したくないよ」 どうしよう?と見上げてくるヒカルに、緒方はすぐそばにあるベンチに顎をしゃくった。 「…え?」 「いいから座れ」 緒方はヒカルを強引に座らせ、自分はそのまま床に膝をついた。
「緒方さん、スーツ……」 そのまま、ヒカルが履いているブーツの細い紐を器用にほどいてゆく。 「黙ってろ」 半ばまでほどき、ヒカルの左足からブーツを外す。
それまで、袴と編み上げのブーツに禁欲的なまでに覆われていたそこから、無防備なふくらはぎと白い靴下を履いた足があらわれる。その無垢な色香に、後方で撮影スタッフが息を呑んでいるのが気配で分かった。 緒方は内心舌打ちしながら、もう一方のブーツをほどくように体の向きを変える。それによって、彼らの視線からヒカルの足をかくした。ふくらはぎは、もう袴に覆われて見えなかった。
動かないスタッフに、緒方はじろりと振り返る。 「今日中に済ませたいんじゃなかったのか?」 …お前達の仕事なんだからさっさとしろ
言外の言葉を、目線に変えて。
現タイトルホルダーのひと睨みに、スタッフは我に返り、慌てて機材をセットするべく「清風の間」へと消える。 それを苦々しく見送りながら、浅海七段は緒方に頭を下げた。 「緒方先生……ありがとうございます」 「何の事だ?」 緒方は無造作に応じながら、ヒカルのもう片方のブーツを外した。 「……いいえ。何でも」 浅海の言葉に、緒方は何も言わなかった。 ヒカルはきょとん?と首をかしげている。
「どしたの?…うわっ」 予告もなしに抱き上げられて、思わずヒカルは緒方のスーツにしがみついた。 「…さてな」 緒方はそのまま、「清風の間」へ入ろうとする。
「緒方さん」 「ん」
…耳元に、小さな囁き。
「…アリガト。着物、汚さずに済んだよ」 緒方は、くつくつと笑った。 「ああ」
中に入って、ヒカルを下ろしてやると、ヒカルはてててっと碁盤が用意された和室に駆けていった。 「進藤くん、碁盤の前に座ってみてもらえるかな」 「はーい」 浅海女流七段は、撮影に立ち会うべく後に続く。
緒方は、まだ笑いがとまらない。
「……まぁ、こんなモンだろ」
ヒカルが見せた、一瞬の色香。 それに反応する男の視線も、それに触れる男の手も、ヒカル自身は気付かない。
――まだ、蕾。
しかし、花は花。
周囲がそれと気付いた時には、自分にしか微笑まない花にしてしまおう。
「…相当、固い蕾らしいが、な」
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