petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2003年09月24日(水) 『お約束』(マイフェアシリーズ)

カレンダー撮影の為、着物を着て日本棋院を歩き回ったヒカルの周囲は、ざわめき立った。
普段、女か男か分からないようなカジュアルファッションな上、化粧っ気もまるでなかったヒカルなのだ。そんな彼女が装った姿に、「こんな可愛らしい子だったのか」とヒカルのことを再認識したのである。
囲碁づけで、出会いの少ない若手の棋士は色めきたった。
囲碁もできて(自分より強いというのがひっかかるが)、明るくて、可愛い彼女なんて、最高の条件ではないか。

そして、棋院の廊下で、思い詰めた顔をした若者がヒカルを呼び止めた。
「なに?」
ヒカルはきょとん?として振り返る。
今日のヒカルのいでたちは、ワンウォッシュのブルージーンズに黄色のノースリーブ、その上から黄緑色のパーカーをはおっている。ジーンズはところどころわざと破れ目があり、その足下はレプリカのバスケットシューズだ。
大きめのパーカーはヒカルの身体の線を隠し、そうと見なければ少年にも見えかねない。ちなみに、今日もヒカルに化粧っ気はまったくない。
…しかし、彼にはその頬が化粧など必要ないくらいになめらかであるのに目がいき、自然、心拍数、血圧、体温ともに上昇しつつあった。

「あ、あのさ」
「うん」
「よ…よかったら……」

通りすがりの棋士たちは、
(あいつ、抜け駆けしやがって!)
などと険しい視線で見守るのだが、ヒカルはその周囲のとげとげしい緊張感をまったく感じていなかった。
彼は必死だ。

「よかったら………俺とつきあってくれないか?!」

勇気をふりしぼっての告白だった。幸い、今日はヒカルに張り付いている呪いの守護おかっぱ人形こと塔矢アキラは地方対局でいない。まさに千載一遇のチャンス!
彼の額と腋と掌には、じわりと汗がにじむ。

「いいぜ」

あっさりと返事をしたヒカルに、彼は真っ白になり、周囲は

「何じゃそりゃあ〜〜〜!!」

とばかりに松田優作と化していた。「なんで、何が、どうして???」などという言葉が、頭の中でコロブチカを踊っている。





水を打ったように静まり返る日本棋院の廊下に、ヒカルの第2声が響いた。

「んで、どこ行くんだ?メシ?それとも検討したい対局でもあんのか?」

ヒカルの笑顔はよどみない。そういえば、こないだの王座戦の第2局、面白かったんだぜーvvなどとはしゃいでみせる。

「……おい?!何だよ、返事くらいしろよー」

「彼」の思考はまだ白いままだった。




そんなヒカルの背後で、くつくつと笑い声がおきる。
「緒方さん!」
そこに立っていたのは、緒方十段碁聖。現在八大タイトルの二冠を持つただひとりのトップ棋士だ。

「今日は白スーツじゃないんだ」
「対局がないからな。あれは戦闘服だ」
「じゃあなんで棋院にいるの」
「いちゃ悪いか?」
会話だけ聞いていたらヒカルの言葉は不遜この上ないのだが、緒方は気にする様子もない。
「悪かないけど…緒方さん暇なの?」
この言葉に、緒方はヒカルの頭を片手で掴んで、ぐしゃぐしゃと髪をかきまわした。
「お前等低段者と一緒にするな。取材の予定の確認だよ。対局と調整しないと、スケジュールが詰まりすぎるんでな」
「わわ、やめろってばー!」
ヒカルは、両手でやっと緒方の手を引き剥がした。

「それで?」
「え?」

緒方はニヤリと笑う。
「お前はコイツ付き合うのか?」
ヒカルは、ようやくフリーズ状態から抜け出したものの、今度は「緒方二冠」に怯えて動けないでいる彼を一瞥した。
「分かんない。だってアイツ、何処に行くかも言わねーんだもん」
緒方の笑みが深くなる。
「なら、俺付き合え」
「あ…うん」
ヒカルの返事に、緒方は満足そうに頷き、ヒカルを促した。

「だったら来い。韓国料理の店に連れて行ってやる」
ヒカルの目が輝いた。
「えーっ♪それって、カルビとか、石焼きピビンバとかっ?!」
「ああ」
「行く行く!!ナムルに、クッパに、それからえーと……!」
「食える範囲にしとけよ」
「もっちろん♪まかせて!」

2人の会話だけが棋院の廊下を跳ね回り。



その後には、真っ白に燃え尽きた「彼」と、そばで聞いていた若手棋士が。
生ける屍となって、棋院のオブジェよろしく立ち並んでいたという………。







「子供を口説くなら、子供を口説くやり方があるもんさ」
後に、緒方はいつものシニカルな笑みをたたえて、言ったとか、言わなかったとか。


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