2003年10月06日(月) |
『台風 2』(女の子ヒカル。…オガヒカ……?) |
台風接近のせいで、せわしなく人々が行き交う駅のコンコース。 誰もが自分の家路へと急ぐ中。 ずぶぬれの少年のような少女と、白いスーツ姿にツートーンカラーの靴といったいでたちの長身の男が立ち止まってお互いを凝視している様は、かなり目立っていた。 しかも、男は顎の辺りを押さえ、不機嫌そのものの目つきで少女をにらみつけてい る。
(かわいそうに…ヤバイのと関わったんだな……) 通りすがりのビジネスマンが、そんな同情を含んだ視線をちらりと投げた。 …そして、それだけ。 誰もが自分のことに忙しかったし、恐かった。
周囲からは、緒方に怯えている、と同情されたヒカルだったが、彼女は彼女で、まったく違った理由で固まっていた。何しろ、緒方はとっくに東京に帰ったと思っていたのだから。こんな地方の駅で偶然会うなんて、思いもしなかった。 …しかし、さっき鞄を勢いよく振り回したのが当たったとは。 (緒方さんって…結構運が悪いのかなぁ……) などとボケた事を考えていた。
「進藤、人に鞄をぶつけておいて、ワビのひとつも無しか?」 緒方は無造作にスーツのズボンに両手を突っ込んで、ずい、と近寄ってみせる。 その顔は、決して凄んで見せてなどいない。 …と、対局時の緒方を知っているヒカルはそう分かっていた。しかし傍から見たら、いよいよどこぞの若頭が少女に向かってインネンをつけているようにしか見えない。 幸か不幸か、緒方もヒカルも、そのような自覚はまるでなかった。
「…へ?……あ、あー、鞄ね。ごめ……じゃないや、スイマセン、緒方先生」 「けっこう痛かったぞ。反動がついて」 緒方の言葉に、ヒカルはへへ、と笑って首をかしげた。 「うーん。人がいるとは思わなかったから。…ところでさ」 「ああ?」 「帰ったんじゃなかったの?イベント会場から、タクシーで出るのを見た気がするんだけど……」 「ああそれは……」
「すいません、ちょっとお伺いしますが」
「?」 「?!」
ずぶぬれの少女と、白スーツの男の会話に割って入ったのは、紺色の制服に身を固めた警官だった。 彼がうさんくさそうに睨み付けていたのは、他でもない、緒方である。 彼は緒方に向かって言った。
「おふたりは、どういうご関係で?」
ぴく、と緒方のこめかみが動いた。 その疑わしそうな目つきから、目の前の警官が自分を疑っているのは十分に見てとれる。それが余計に緒方の機嫌を下降させていった。 冗談ではない。イベントの後、地方の後援会の人々が設けた昼食会に出席し、「台風が接近していることだし、今夜は泊まって、ゆっくり帰って欲しい」…との好意を素直に受けて駅の裏にあるホテルにチェックインしたのはつい先程のことだ。しかし碁盤も何もないホテル、しかもまだ夕方とあっては、バーも開いておらず、暇つぶしに駅ビルにあるであろう書店でも覗こうかと駅に来てみれば、ふと目に付いた、金と黒の2色の髪。見間違いでなければ、こんな髪を持つ人物はひとりしかいない。確かに、イベントでは一緒だったが、もうとっくに東京に戻ったとばかり思っていたのに……何故、彼女がこんなところにいるのか。 不思議に思って声をかけようと一歩踏み出したら、目の前に迫る小さいが作りはしっかりしていたボストンバッグ。避けようがなく、それは見事に顎にヒットして、かなりの打撃を受けた。 ……むしろ、被害者はこっちである。
それなのに。
何故、警官なんぞに援助交際かなぞと疑われなきゃならんのだ!!(いや、警官が疑ったのは恐喝とか未成年の風俗勧誘とかヤミ金の取り立てあたりなのだが) ぎり、と緒方の目が険しくなる。
しかし、五十代とおぼしきベテラン警官も負けてはいない。緒方をぐい、と下から見つめ、目をそらさずに職務質問を続けた。彼の後ろには、まだ少年めいた、あどけない少女。守ってやらねばと、彼の警察官としての使命感は否応なしに盛り上がる。
「見たところ、ずいぶん年が離れているようだし……まさか、兄妹でもないでしょう?あんた一体……」
警官の言葉に、緒方は目を細める。ここまで言われて黙ってなるものか。遠巻きにも何事かと人々の視線も感じる。その視線も、緒方を苛つかせた。 (この聴衆の前で、コイツを土下座させて謝らせれば、ちったぁは気分も晴れるか。…本当なら、人気のないところでボコりたいとこなんだがな………)
腐ってもタイ。年はくっても元ヤンキー。
緒方がいよいよ危険な様子になってきたのを察したヒカルは、とっさに警官の腕をひっぱった。
「おまわりさん、やめてよ!その人は、本当にオ…じゃない、アタシの兄さんだってば!」 「何?」 警官が驚いてヒカルに振り向く隙に、ヒカルは彼の横をするりとすりぬけ、向こうにいた緒方にひし、と抱きつく。
(進藤?) (しっ、頼むから調子合わせてよ)
自分の腕にとびこんできたヒカルをとっさに抱きとめてやると、ヒカルは小声で囁いた。 警官は2人に向き直る。
「君、本当かね?」
…だまされているんじゃないのかね?と言いたげな視線に、緒方が反応しかけたが、それはヒカルがぎゅ、と、緒方の脇腹をつねりあげて止めた。
「ホントウだよ!さっき電話して、ずぶぬれになっちゃったから迎えに来てって…電話したんだ。…ね、セージ兄さん!」
視線が語る。合わせろ…と。
「あ…ああ」
「通報では、その兄さんとやらが、君を威している、と聞いたのだが、それはどうしてだね」 「え…それは……」 ヒカルが言葉につまると、緒方がぐい、とヒカルの肩を抱き寄せた。 「出かけるのなら、台風が近づいているから傘を忘れるな、と注意したのに、しっかり玄関に忘れていってたんですよ。…そうしたらこのザマだ」 緒方は、濡れてしまったヒカルの髪をハンカチで拭いてやった。 「え…へへ……そんなワケで…おこられてました……」
ヒカルが申し訳なさそうに肩をすくめると、警官は拍子抜けしたように肩を落とした。兄弟にしては、年が離れてはいるが、兄は薄い亜麻色の髪に榛色の目。妹にいたっては、前髪が完全に金髪だし、目は、灰色の混ざったような不思議な色をしている。おそらく、この2人はハーフか何かなのだろう。そうなると、顔立ちの似てる似ていないの判断など、彼には不可能だった。
「そろそろ帰っても良いかな。…妹に風邪をひかせたくないのでね」 かみつくような兄の視線も、妹の身を心配していればこそだ、と思えば納得もつく。 彼は、あらためてハッとして、姿勢を正した。 「失礼しました!外もかなり雨風が強くなっております。気をつけてお帰りください」
緒方はそれには応えようともせず、ヒカルを促した。
「…行くぞ」 「うん……おまわりさんも、がんばってねーvv」
ヒカルはひらひらと手を振り、警官はヒカルのその無邪気さに少し顔をほころばせる。そして、駅の外を見ると、雨風はますます強くなっている。 …少し駅周囲を見回ってから交番に戻ろうと、警察官は歩き始めた。
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