2003年10月08日(水) |
『真夜中にはケーキを買って』(某ケーキ屋さん物語。ジャンルミックス…?) |
カランコロン、ともう夜の十二時になろうかという時間に、カウベルの音。 「いらっしゃいませ」 真夜中の客にもかかわらず、オーナー兼ギャルソンは微笑んで出迎えた。 ひょこ、と古めかしい扉をくぐるのは、金色と黒の、特徴的な頭を持った少年。…いや、実際には青年といっても良い年らしいのだが、大きな目といい、華奢な体つきといい、とてもじゃないがそうは見えないのだ。
「こんばんわー。遅くにごめんねー。何かケーキある?」 最早常連となった彼の言動は気安い。彼がいつもの席に座るのを確認して、橘は少年の前に、ベネチアンカットグラスにはいったおひやを置いた。このブルーのグラスも、彼のお気に入りだ。 「おう、まだ閉店には時間があるからな。何がいい?」 橘は、客に対してはくだけすぎる素のままの言葉で尋ねる。…どうせ、彼は自分の同級生の「恋人」なのだ。他に客がいない今、気取っても仕方が無い。
彼は、ちょっと困ったように笑った。何しろ、このケーキ屋、定番はともかく、季節の限定ケーキ等でよくメニューが変わるし、人気があるから、今の時間なら売り切れているものも結構あったりするのだ。 「んーと。何があるの?」 希望を言って、もしそれがなくてがっかりするよりも、このオーナーのおすすめを聞いた方が、絶対間違いない。
橘の目がキラリと光った。まさに、「よくぞ聞いてくれました!」のポーズである。おもむろに、「アンティーク名物、オーナーのケーキ解説」を繰り広げようとしたその時……
「ああ、ちょうど良かった」 厨房の扉が開いた。そこには、眼鏡をかけ、クックコートに身を包んだ男が、常連の客の姿を認めて、人の良い笑顔を浮かべている。 「今ちょうど、「栗のスフレ」が焼きあがったところだよ」 「あ、じゃあそれにする!」 焼きたての栗のスフレ、と聞いて、彼は目を輝かせた。
今まさに解説せんとの体制に入った橘は、見事にその出鼻をくじかれ…… 「小〜野〜〜おまえは〜〜」 おどろ線を背負って、パティシェに詰め寄った。 「…え?…え?僕、何かした?」 小野は状況が掴めず、おろおろとしているところに、再び、客から声がかかる。
「橘さーん、飲み物はロイヤルミルクティーねー♪やっぱここに来たら、橘さんが煎れてくれたロイヤルミルクティーじゃないとなvv」 ぱたぱた、と手を振る客の可愛らしいことったら。 「おう!今とびっきりのヤツ煎れてやるぜ♪」 ころん、と機嫌を良くする橘を、小野はじいぃっと見つめていた。 (橘って……ショタ趣味?自分はゲイじゃないって言うけど、才能はあるんだよ、やっぱり……) あくまで心の声で、本人に聞く術がないのは幸いである。
「今日小野さんだけ?エージさんは?」 「エイジ君は彼女とデートみたいだよ」 「へええ!」 感心する彼に、小野はくすりと笑った。 「…というかね、「パーティがあるから、エスコートの作法を覚える良い機会よ」…って、フランス語の先生に連れていかれたんだよ」 「ああ、あの割れアゴの……」 やはり見ているのはそこか。 じゃ、今持ってくるからね。添えるのはバニラアイスでいいかな?という小野の問いに、彼はこくこく、と頷いた。そして小野は厨房に消えて行く。
「しかし、随分遅くなったんだな」 牛乳をあたため、紅茶の葉を振り入れながら橘が言うと、彼はへへ、と頭をかいた。 「週末、若手の研究会があるんだけど、もー、すっげー盛り上がっちゃってさー。リーグ戦とかもやったんだけど、それ以外の棋戦の検討が面白くって!気がついたら十時半過ぎちゃっててさ。遠くの奴等はそいつん家で泊りなんだけど、狭いから2、3人が泊るのですぐいっぱいになるし、どうせ俺んとこは近いから、帰ることにしたんだ」 「歩きか?だったら結構な距離じゃねぇか?」 「あーうん。だから遅くなるよー、…って電話入れたら、迎えに来るって」 飲んでなきゃいいんだけどねー。…と、彼は苦笑する。誰が迎えに…などとは、橘は聞かなかった。 (結構ジャニーズ系のいい顔してんのに、どう間違ってヤローなんかと……) 代りに、ちょっとため息をついてみたり。 「でも、普通〜、のアパートにあの車じゃ目立ちすぎるだろ?甘いものも食べたかったし、だからここで待ちあわせvv」 「一応、ここらへんも住宅街なんだがな……」 「えー、だって、ここだったら普段橘さんの車も停まってるし」 …イタリアンレッドのフェラーリF40。 「たまに黒塗りベンツ停まってるし」 …オールドベンツ、1972年 メルセデスベンツ280SE3.5。 「だから、今更RX−7が停まったって、誰も気にしないだろ?」
(一緒にするな!)
…と心の中で橘は叫びつつ、茶色の縁取りの皿にナイフ、フォーク、そしてデザートスプーンを並べていった。 丁度、厨房からも小野が飾り付けられたデザートを持って出てくる。小野は彼の前の皿の上に、焼き立ての栗のスフレとバニラアイス、薄く焼き上げたクッキーを添えてチョコレートでデコレされた白い皿を置いた。 「うわ〜vvおいしそう♪」 「ありがとう、あったかいうちに食べた方がおいしいよ」 「ほら、ロイヤルミルクティーお待ち」 「ありがとう♪いただきまーす♪」 上機嫌で、彼は温かいスフレを口にする。栗の香りが口いっぱいに広がり、それはそれは幸せそうな表情になった。 言葉もなく、彼は最高のパティシェのデザートと、極上のギャルソンが煎れたロイヤルミルクティーを堪能した。
「…あ、そういえばさ」 「何だ」 会社帰りのOLにケーキを売り、笑顔で送り出していると、彼が声をかけてきた。 「明日、搭矢先生が帰ってきてるから、久しぶりに搭矢ん家で研究会なんだよ。明子さんにここのケーキ一度食べてみたいって言われてるからさ、お土産に持っていこうと思うんだ。シュークリームとエクレア、十個ずつ予約していい?」 「毎度〜。いつ取りに来るんだ?」 「多分昼過ぎ」 「焼き菓子はどうだ?多少揺らしても型くずれしないぜ」 「商売上手だな〜」 彼は苦笑した。 「今回はいらない。もし気に入ったら、今度は直接明子さんと来るからさ」 楽しみにしててよ、と言いながら、彼は名残惜しそうにバニラアイスの溶けたクリームをクッキーにつけて、ぱりぱりと齧った。 「ああ、待ってるぜ。…ところで「明子さん」って美人か?」 「ん…うん」 (そりゃああいつの母さんだし……) …という声は、やはり橘には聞えない。 (…ふむ、棋士の家の深窓の令嬢!着物の似合う大和撫子!……イイ……!) 暴走している橘の心も、やっぱり彼には分からない。
そうしてそれぞれの思索にふけっていると、かなり乱暴にカウベルが鳴らされた。 「すまんヒカル、遅くなった……!」 「てめぇ緒方!もちっと丁寧に入ってこい!!」 「いいよー。ケーキ食べてたし」
何事かと厨房から出てきた小野が目にしたのは、何ともマイペースに会話する3人の姿だった。 あまり仲がよろしくない元同級生たちではあったが、 「ねー、早くケーキ買って帰ろ〜」 …の彼の声に、2人はころりと態度を改め、最後に残ったケーキ6個を売ることができて、橘はにっこり、ケーキを買ってもらえて、彼もにっこり、彼の笑顔に、恋人もにっこり。見事に大団円でおさまった。
そして彼らが帰ろうという頃。 「…あれ?そういえば千景さんは?」 「……そういやアイツ、帰ってこねぇな……」 「どうしたんだろう?」 「じゃあ、さっき見かけたのソイツか?レッカー移動されてくベンツを、泣きながら追いかけてったデカイサングラスの男」
「………それだ…………」 橘は目眩を感じ、しゃがみこんだのであった。
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