petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2003年10月21日(火) 『台風 3』(オガヒカ小ネタ。女の子ヒカル)

くしゅん。
ヒカルは小さくくしゃみをして、立ち止まった。
無理もない。まだ彼女の髪も服も、濡れたままなのだ。時間がたてば、それらはどんどんヒカルから体温を奪ってゆく。

「あーやべ。早く着替え買いに行かなきゃ……」
「着替え?」
「うん。いくらオレでもこのまんまじゃ風邪ひきそうだし、さっきも、この駅ビルの店で適当な着替えを買って、着替えるつもりだったんだよ」
そこで緒方さんと会って、警察のひとに声はかけられるわで、ちょっと予定狂ったんだけどさ。えへへ、とヒカルは笑う。
「着替えるって…どこでだ?」
「んー?トイレでもどこでも」
「何?」

緒方が眉をしかめると、ヒカルは笑いながらひらひらと右手を振った。
「だって、どーせ駅で泊るつもりだったんだもん。台風のせいで、ビジネスホテルは全部満室だっていうし……ま、同じような人はいっぱいいるだろうから、駅員さんに怒られるなんて事もないと思うんだよねー」
…気楽なものである。緒方はそんなヒカルの現代っ子ぶりに、頭が痛くなりそうだった。
雨に濡れて、それを着替えるという知恵が出たのは褒めてやろうと思う。…しかし、駅で一泊するだと?いくら少年めいて見えるとはいえ、ヒカルは未成年の、しかも女の子だ。見ず知らずの男共がウロつく駅構内で一晩を過ごすなど、危険きわまりないではないか。
ましてや、ヒカルである。見てくれは良いかもしれないが、頭の中は子供な彼女。美味いメシなどにつられて、ロリコン趣味の中年オヤジにほいほいついて行くなんて事も……
有り得る。じゅーぶん、有り得る。
幸いなのは、まだ女としては発育途上にあるため、ぱっと見には少年としか見えないところか……

「ん?」

緒方が自分をしげしげと見つめているのに、ヒカルはきょん?と首をかしげる。細い首。白い肌。大きな目に、あどけなく開かれた桃色の唇、すんなりと伸びた手足……。
(……男にしか見えなくても十分ヤバイじゃねぇか)
そのテの趣味の者たちには、ヒカルは極上の御馳走にしかならない。

ここで放っておいて、ヒカルがどうなろうと知った事じゃないのだが、ないのだが……何かあって、自分が後味の悪い思いを抱えるなんざ、御免被る。

ならば、答えはひとつ。

「じゃあ、緒方さん、またね……」

全然分かってないヒカルは駅ビルに行こうとして……

……行こうとして、緒方に後ろ襟を掴まれた。
「…な、何だよぉ?」
「うるさい。そんな濡れた格好で店に行っても、店員の方が迷惑だろうが」
「仕方ないだろー!好きで濡れたんじゃないや!」

「ウルサイ」
ぐい、と緒方はヒカルの後ろ襟を掴んだまま、自分が滞在するホテルの方へと歩きはじめた。後ろ向きに引きずられかけて転びそうになったヒカルは慌てて方向を変えるが、緒方が結構な早足で歩いているため、その足取りはやや小走りに近い状態になっていて、少々あぶなっかしい。
「ねぇ…ねぇってば、ドコ行くのさ……うわっ!」
濡れたタイルの上で足をすべらせたヒカルはがくん、と転びそうになるが、辛うじて、緒方が腰を抱えてくれた事でそれだけは免れた。

「…ったく、手間のかかる奴……」
「……ご、ゴメンナサイ……」
舌打ちしながらの緒方の言葉に、ヒカルは少しうなだれた。本当に、迷惑をかけてばかりのような気がする。…だから、これ以上迷惑にならないように、自分はさっさと緒方から離れようとしているのに、緒方はどうしてこうも絡んでくるのだろう……
うつむいたまま、顔をあげられないでいると、不意にヒカルの視界が揺れた。

「えっ?!」

「これで転ぶ心配はないだろ」
気がつけばヒカルは荷物よろしく緒方の肩にかつぎあげられていて、緒方はそのままスタスタと歩いて行く。

「ねー」
ヒカルは緒方の肩甲骨の辺りに話しかける。現在、ヒカルの視界は緒方の背中しか見えないので。
「何だ」
緒方の声が、耳と同時に、触れている部分から振動で伝わってきて、ちょっと面白いなと思ってしまった。
「オレなんか抱えたら、緒方さんも濡れると思うんだけど……」
「そうだな」
返事はそっけない。しかし怒っている風でもない。
…そしてますます分からない。

どうして?


「風邪をひきそうな妹を、兄貴が心配して悪いか?」
「え?」
お前が俺のことを自分の兄貴だと言ったんだろうが。緒方はくつくつと笑う。

「ずぶぬれになったまま駅で一泊して、確実に明日は風邪ひき決定な妹に、温かい風呂と寝る場所を提供してやろうってんだよ。…良かったな、俺が優しいお兄サマで」
退屈しのぎの本など、もういらない。
碁の次に…いや、同じくらい面白いものを、つかまえた。


「緒方さんって……」
「…あぁ?」
ヒカルは、素直に思ったことを口にした。

「ろりこん?」

「……地面に叩き付けるぞコラ」




「うわわわわっっっ!!タンマ!危ないってば!!ちょっとしたジョークじゃんか〜!!兄貴ならもう少し優しくしろよ!」
「やかましい!優しくされたきゃ妹らしく、ちったぁしおらしくしてみたらどうなんだ!」
「しおから?」
「あほぅ!!」

ぎゃあぎゃあわあわあ。
小柄な少女と彼女を抱えた長身の男がわめく姿は目立つことこの上なかったのだが。
その様子は仲が良い者同志でなくてはありえないもので、どこか微笑ましい光景と映ったらしい。

彼らは、注目を集めながらも見咎められることもなく、駅に隣接する、ホテルの入口の自動ドアをくぐったのだった。


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