2003年12月20日(土) |
『初雪』(オガヒカ小ネタ。ヒカル16歳) |
今年最後の手合いを済ませ、棋院を出ようとすると、外は雪だった。
「…うわ……寒いわけだぁ」
ヒカルは、はぁ、と息を吐いてその息が白くなるのを確かめる。 その隣で、アキラがばさり、と傘を広げた。 「初雪だね」 「そうなのか?」 「うん。その筈だ」 「そっか」 ヒカルは嬉しそうに微笑むと、降りかかる雪に手をさしのべた。 かすかに伝わる、かすかな冷たさ。 しかしそれはやがてヒカルの掌のぬくもりに、消えてしまう。
「風邪をひくよ」 「ひかないよ〜」 のんびり応えるライバルに、アキラはやれやれ…とため息をついた。
「僕は次の用事があるからもう帰るけれど、君も早く帰るんだぞ」 年明け早々には棋戦がひかえているのだから、体調不良で不戦敗なんてことは、許さないからな、という念を視線にこめ、ヒカルに念押しした後、アキラはそのまま地下鉄へと向かっていった。
さらさらと、かすかな音をたてているような、そんな音なぞたてていないような、雪が、降る。 ヒカルは、棋院のエントランスから一歩踏み出した。その身の全てで、雪を受け止めるように。ふりあおぐと、ほの暗い雲の高みから、とぎれることなく雪がヒカルに向かって落ちてくる。 ゆっくりと。 ヒカルのブルゾンの肩が、背中が、雪の白に覆われていった。
ヒカルは動かない。
「きれいだなぁ……」 そして傍らの存在を降り仰ごうとして、そこに誰もいないことに気が付いた。 もう、彼はいないのに。 雪が大好きだった幽霊は、どこにもいないのに。 普段は分かっている筈でも、時折やってしまう、あの頃の、くせ。 野に咲く花を見かけた時に。木洩れ日の眩しさに目を細めた時に。色づいた木の葉が足下に絡みつく時に。……そして………
……そして、会心の一局を打ちきった時に。
(ねぇ、佐為)
そう言ってふり仰ぐひとは、はるかなる高みに、行ってしまった。 自分が行けるのは、いつになるのだろう。
「そこで雪像にでもなるつもりか」
「へっ?!うわわっ」
気が付くと、そこにはカシミヤのコートをはおった緒方が立っていて、ヒカルの髪から雪をはらい落としていた。 …というより、かき回してぐしゃぐしゃにしているといった方が近かったが。
「ったく、何のためにフード付きのブルゾン着ているんだ、お前は!」 「……いやその…初雪だな〜って……」 「ああ、今朝から冷え込んでいたからな」 ヒカルの言葉に、緒方も空を見上げる。 空から舞い降りる、純白の使者たち。静かに、街を白く染めてゆく。
緒方の唇から、白い息がふわりと漂った。
「綺麗だから冷たいのか、冷たいから綺麗なのか……」
「……え?」
ヒカルが首を傾げると、緒方はかすかに唇を歪めた。
「何でもない。ほら、行くぞ」
そして寒さに真っ赤になったヒカルの手を見つけて、眉を寄せた。 一瞬後、ヒカルの手は緒方の大きな手に包まれる。 「え……」 先程までは、黒の革手袋に覆われていたはずなのに、今ヒカルの手を握るそれは、素手のぬくもりを伝えてくる。 引っ張られるまま付いていくと、駐車場にはいつもの赤いRX-7が見えてきた。 ヒカルは、くすり、と笑う。
「…緒方さん」 「ああ?」
「ありがと」
ヒカルが伸び上がって、緒方の頬をかすめたキスは。
ヒカルの唇のつめたさを伝えるかのように、雪のように淡いものだった。
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