petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2004年03月04日(木) 『春がきた…?』(女の子ヒカル小ネタ)

お日様、ぽかぽか、良い天気。
どこかのどかな雰囲気を漂わせる地方都市で開催された囲碁ゼミナールも終了し、棋士たちはのんびりと帰り支度を始めていた。
…今回の目玉……もとい、今回の囲碁ゼミナールのメイン棋士として招待された緒方十段王座と、芹澤九段も荷物をまとめ、あとは帰るだけと一息ついていた。
そんな高段者の部屋へ、金色と黒の髪の春一番が転がり込んできた。

「緒方さん!見てコレ!すっげーの♪」

息せき切って飛び込んでくるなり、彼女は大はしゃぎで持ってきた紙袋をがさがさと緒方の目の前に持ってくる。
彼女……進藤ヒカル三段は、どこから走ってきたものか、髪をくしゃくしゃに乱れさせ、頬を赤くしてはぁはぁと息をついている。しかし疲れた様子などなく、どちらかといえば、興奮して、その不思議な色合いの目をキラキラと輝かせていた。
そんな彼女の無邪気な様子に緒方は苦笑し、ヒカルが差し出す紙袋の中身を見てさらに吹き出した。

「午前中から姿が見えないと思ったら……コレを取りに行ってたのか」
「うん♪旅館の仲居さんが場所を教えてくれたから……あ、でも、ちゃんと昨日まで仕事はしたんだからね!今日の午前中はオレ、ちゃんとオフだったんだから!」
やれやれ…と緒方は苦笑いしつつヒカルの乱れた髪を撫でてやった。
「ったく……。せっかくの芹澤九段と浅海女流名人との対局を見て勉強しようとは思わなかったのか?」
「…え、そうだったの?!」
ヒカルが本気で目を丸くする。緒方はますます楽しそうに笑った。
「その分じゃ、その大盤解説を俺がやった事も知らないな」
緒方の言葉に、ヒカルは大マジで慌てた。
「うそぉぉぉぉぉ〜〜〜〜っっっ!!もったいねーーっっ!!」
叫ぶヒカルの頭をぽんぽん、と軽く叩く。
「…ま、次からは自分の仕事以外のスケジュールもチェックしとけよ」
「はぁ〜〜い」

見るからにしょぼん、と気落ちするヒカルの様子に、芹澤は先程からの彼女と緒方のやりとりに驚きつつも声をかけた。
「それで…何を取りに行っていたのかね?進藤くんは」
ヒカルはえへへ、と照れ笑いをすると、丁度その時緒方が目の前に広げてくれた新聞紙の上に、紙袋の中身をひっくりかえした。
「……おやまぁ…」
「へへへ〜〜つくしんぼ取ってきたんだ…じゃない、です〜♪」
新聞紙の上に広げられたそれは小高い山になっていて、結構な量だ。
東京はまだ寒いが、この南国の河原には、もう春が来ていたのだ。
つくしの独特の香りを、芹澤は懐かしく嗅いだ。

そんな芹澤の感慨をよそに、緒方とヒカルはせっせとつくしを取り上げてはこまごまと作業にとりかかる。
「…?何を……?」
首をかしげる芹澤に、ヒカルはにこ、と微笑んだ。
「ハカマ取ってるんだ」
ヒカルの短い説明だけで理解できないでいると、緒方が横からひょい、とつくしを芹澤の前に見せた。
「つくしを調理するには、まずこの節の所を取り除くんですよ」
この節の部分は熱を通してもガワガワして、食べられたものじゃないんでね。
説明しつつも、緒方は手際良くハカマの部分を取っていく。
「手慣れてますね……これで良いのか?」
「ええ。作業自体は単純でしょう?……内弟子時代、毎年春になるとやらされましたからね」
芹澤がつくしを一本取り上げてハカマを取って見せるのに、緒方は頷いてみせる。その表情の穏やかさに、芹澤は内心驚いていた。こんな柔らかい表情の彼を見るのは、初めてだ。
「ゆがいてからちょっと煮て、卵と一緒にオムレツにすると美味しいんだよね〜、緒方さん♪」
「ほぉ、そうなのかね?」
「うん!…じゃなかった…はい!」
芹澤の言葉に、何とか言い直しながらヒカルが答える。その様子のぎごちなさに、緒方はくすくすと笑った。
その間も3人の作業の手は止まらない。
「よかったら、少し持ち帰られたらどうです?奥さんにでも料理してもらうと良い」
「良いのかね?」
「ハカマ取りなんて一番面倒な行程をしてもらってるんだ。良いよな?進藤」
ヒカルは彼らの問いににっこりと笑った。
「もちろん!美味しいものはみんなで分けて美味しいうちに食べた方が良いもん!」

ヒカルの無邪気な微笑みに、芹澤も笑いを誘われる。
「…そうか。春のお裾分けをいただけるんだ、もう少し手伝おうか」
…そしてこれからしばらく、温泉宿「玉翠」の「東風の間」では、タイトルホルダーと、九段の高段者と、若手の女流棋士と、この3人がせっせとつくしのはかまを取るという、不思議な光景がくりひろげられるのであった。












…つくしのハカマ取りは、単純作業なのだが時間がかかる。
緒方と芹澤は最初から胡座をかいていたが、ヒカルは最初、芹澤に遠慮して正座していた。
しかしまだ長時間の正座には慣れない現代っ子。足の痛みに耐えかねて、自然に横座りになっていた。
ヒカルの目の前に座った緒方は、そんなヒカルの生足にちらり、と目をやる。
そしてにやりと笑った。
「進藤」
「なに?…あ、緒方さんので最後の一本だね」
「足が痛いのは分かるが…見えてるぞ」
「…へ?」
ヒカルがきょとん?と首をかしげるのに、緒方はますます面白そうに笑った。
「ぱんつ。見えてるぞ」
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!//////っっっ!」
ヒカルは真っ赤になりながら、慌ててスカートの裾を抑えて座り直す。…そう、珍しく、ヒカルは普段着で膝上のデニムスカートをはいていたのだ。温かいからと、生足で。無防備に横座りなんぞしたら、正面に位置する緒方からは微妙に中が見えてしまう。

「緒方さんのバカ!!セクハラ親父〜〜〜〜っっっっ!!」
力いっぱい叫びつつヒカルは部屋を出ていった。
そんな彼女の様子を、緒方は大笑いしながら見送る。

「…良かったのかね」
「なぁに、コレを忘れて行ってますからね。そのうち戻ってきますよ。…ああ、どうぞ持ち帰ってください」
芹澤の問いに、余裕たっぷりで返しながら、緒方はハカマを取り除いたつくしの三分の1ほどを別の新聞紙にくるんで渡した。
「君のそんな表情を見るのは、初めてだな」
「……さて?」
緒方は適当に返事をして、煙草に火をつける。
そんな彼の様子に、芹澤もふ、と笑った。
「…確かに面白そうな子だ…。よかったら、ウチにも顔を出すように伝えてくれないか」
「…………あんなガキをですか」
緒方は眉をひそめる。
「…少なくとも、囲碁に関しては子供じゃないだろう?」
――あの若さで、女流本因坊の挑戦者になろうというのだから。
「…何に誘うと思ったのやら…。研究会に決まっているだろう」
揶揄するような芹澤の言葉に、緒方は煙を吐き出した。
「直接本人に言ったらどうです」
…どこか、いまいましそうに。
芹澤は口元に浮かびそうになる笑いを何とか苦労して押さえつけた。
「箱入りさんの保護者殿には、一応話を通しておかないと、後がうるさいことになりそうでね」
じゃ、先に失礼するよ。
芹澤は自分の鞄を肩にかつぐと、つくしが入った新聞紙の包みを片手に去っていった。


…部屋に残されたのは、新聞紙の上にある取られたハカマと、ハカマが取られたつくし。そして煙草をふかす緒方。
遠ざかる足音が聞こえなくなるころ、ばたばたと騒がしい足音が、この部屋に向かって近づいてきていた。


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