petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2004年03月17日(水) 『ユキヤナギ 1』(北城家シリーズ)

珍しく午後から休みが取れた平日、

「せっかくですから、高耶のお迎えに行ってやってくださいな」

…との妻、馥子の言葉に、北城(きたしろ)氏政はそうだな、と頷いた。
外を見ると、菜種つゆの雨がしとしとと降っている。
いつもならば車を使うところだが、それほど寒いわけでもなく、また高耶が通う幼稚園までさして距離があるわけでもなかったので、歩いてゆくことにして。

通り道に植えられた、真っ白に咲き誇るユキヤナギが雨に濡れるさまを見つけ、そういえば娘がとても好きだと話してくれた「しろいはな」はこのことだったかと彼は我知らず微笑した。
何しろ、まだ幼い高耶である。的確な表現などできよう筈もなく、
「あのね、しろいおはなでね、ようちえんのおみちを、ずーっとさいてるの。たかよりも大きくてね。ちっちゃくてしろいはなが、いっぱいいっぱい、ついてるの!」
どんな花なのか想像もつかないでいたら、高耶は父の腕にぶらさがり、
「…こんど、いっしょににみにいきましょ!」
良い返事を聞かなければ離れないぞ、という決意をきっぱりと目に宿しておねだりされ、氏政は苦笑しつつも、「そうだな」と返事をしたのだった。

ひょっとしたら、この父娘の会話を、弟の誰かが耳にしていたのかもしれない。この会話をしたのは、確か本家の方だったから。(氏政夫婦の家は同じ敷地内でも別棟にある)
今にして思えば、副社長を勤める弟と、社長付筆頭秘書である小太郎(北城家執事兼務)が妙に唐突に今日の予定をすりかえ、まるで追い出すように会社から帰らせてはいなかっただろうか。

「兄上に出ていただくほどの仕事ではありませぬ故、今日の会談とレクチャーについては、儂におまかせくだされ!たまにはお休みくださらんと、体がもちませんぞ!」
「……スケジュール的には何ら問題はありません。ただ緊急な事態に備え、携帯電話だけはお持ちいただきますよう」


……今、思い出すと、この為だったのかもしれない。
「あの」小太郎も、鉄面皮の下で、高耶には甘いらしいのだ。
なんとも、穏やかな時間。
日常のなんでもない事のひとつひとつが、大事件になる。
高耶が、初めて寝返りをうった日。
おぼつかない口で、しかしはっきりと自分の膝を叩いて、「とーた!」と叫んだ日。
初めて立ち上がった日は氏規や小太郎たちをも巻き込んで大騒ぎして。
庭の池に落ちた時には、氏忠が頭から飛び込み、そっちの方が大怪我となった。
墨を口に入れようとしたのを慌てて取り上げて叱り、大泣きされたこともある。
人見知りがはじまると、他の家族は大丈夫なのに、何故か氏照を見ると泣いてしまい、しばらく地の底まで落ち込んで立ち直れなかった事とか。
初のひなまつりの時には、「早くお嫁に行けるように」と早々に片づけようとする妻と、それを断固阻止しようとする自分とで、危うく喧嘩になりかけた。
手を泥だらけにしながら摘んでくれたシロツメクサを見ようともせず、「早く手を洗ってきなさい」と言ってしまい、氏邦と氏光に「そうじゃないでしょう!」と叱られた。
夜遅く、なかなか会えない父に手紙を書くのだと、必死で字を覚え、はじめて書いた手紙には、
『とうさま おかえりなさい たかや』
この手紙を受け取った深夜、嬉しさのあまり眠っている高耶の部屋に飛び込み、起こしてしまった。


どれも、あの頃では、考えられなかった出来事。
高耶がいるからこそ、ここにある出来事。
あたらしい、確かな絆が、ここにある。



なんとなく、穏やかな気分のまま、氏政は高耶の通う幼稚園に到着した。

――そして、そこで目にしたものは。




「ひろくんの、ばかぁぁぁぁぁっっっ!!」

ぱっちーん、という音も高く。
同級生とおぼしき男の子を張り倒した我が娘の姿だった。


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平 知嗣 [HOMEPAGE]

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