2004年03月18日(木) |
『台風 4』(何ヶ月ぶりかで女の子ヒカル小ネタの続き) |
雨と風は、どんどんひどくなる一方だった。 ホテルの中でも、風が唸る音がかすかに響いてくる。
「とりあえず風呂に入ってこい。途中にランドリーがあったから、入る前に着替えなんかも突っ込んでおけば全自動だから乾いてできあがってるだろ」 「…へ?風呂って……部屋にあるやつじゃないの?」 「温泉が湧いてるらしいな。地下に、大浴場の表示があったぜ」 緒方の言葉に、ヒカルは自分のボストンバッグから雨がしみて濡れたジャージ等を取り出し、ボストンバッグのポケットのひとつに母親が入れたという百円均一のビニールバッグをひっぱりだした。 ここでヒカルはむー、と考え込む。 「ねぇ緒方さん!浴衣着て行っていい?」 「別にかまわんが…どうする気だ?」 「どうせ洗濯して乾燥までやってくれるんなら、今着てるのも一緒に洗っちゃおうと思ってさー♪」
…オマエは一人暮らしで銭湯に通う一昔前の学生か? …と、あまりのヒカルの色気のなさに目眩がした緒方だったが、どうせ言っても無駄だとばかりに、緒方はベッドの上に置いてあった浴衣をヒカルに投げた。 ヒカルはサンキュ、と微笑んで器用に片手で受け止める。 そしてまたがさごそとボストンバッグの中をあさった。 「あーこれも濡れてるや」 取り出した服をビニールバッグに入れようとして……緒方はつい、ヒカルのその行動にストップをかけた。
「オイ」 「なに?」 「それも洗濯する気か?」 「うん。だって濡れてるし」 ……おそらく飾り気のない娘のために、親が選んで買ったのだろう、淡いクリーム色の夏用の上着。 「ジーンズなんかと、一緒に洗わない方が良いと思うぞ」 「そうなの?」 生地も仕立ても良い趣味のそれ。昨日、イベントで指導碁をしていた彼女は、ごく普通のスカートとカットソーだったが、その上着を着ていたおかげで、プロ棋士らしい、落ち着いた雰囲気を出していた。 淡い色の、夏用のものなど、ジーンズと一緒に洗ったらどうなることやら。 ぺし、と緒方はヒカルの額をはじいた。 「…そうなんだよ。いいから、その上着は置いておけ。後でホテルのクリーニングに出すから」 「は〜い」
とりあえず荷物をまとめたヒカルは、浴衣を抱えて備え付けのバスルームに入る。
(一応、最低限の恥じらいは持っていたか)
…目の前で着替えられたらどうしようかと危惧していてので、ほっと安心した彼だった。
風と、雨はますます強くなっているようだ。 窓の外は灰色一色で、街の明かりも、車の灯かりも、見えなくなっている。…信号も、どこも点滅した状態だ。 ルームライトの明度を上げ、カーテンをしめた。 そして、テレビの電源をつける。 どの局も、台風の進路や状況、警報などを報道する番組ばかりだった。 気象衛星の映像を見ながら、緒方は煙草に火をつける。 びょお、という風の音が窓に吹きつけ、部屋の中まで揺れるような振動を感じた。
「だいぶ強いらしいな……」
明日に帰られれば良いが。 煙を吐き出したところで、ヒカルがバスルームから出てきた。
「じゃ、行ってくるね〜♪」 「――待て」
呼び止める。ヒカルはなぁに?ときょとん?としたままで振り返った。 「そのままで行くつもりか」 「…? うん」 緒方はもう一度煙草を吸うと、ため息と一緒に思い切り煙を吐き出してから、立ち上がった。勢いついでに吸いかけの煙草を灰皿に押し付けて。
「悪いことは言わん」 緒方は、先程ヒカルに渡さなかった紺色の羽織を取り上げて、ヒカルの顔に投げつけた。 「…わっぷ!なんだよぉ〜!」 「……ルセェ」
…地金が見えてます緒方十段。
あまりの迫力にヒカルも文句を言えなくなった。
「いいから……着ろ」 「は〜い……」
とりあえず大人しく言うこと聞いた方がよさそうなので、反論はせずにヒカルはやや羽織を着、前の紐を結んだところまで緒方に確認されると、着替えた服をビニールバッグに押し込んで、部屋を後にした。
…さて。 後に残った緒方といえば。
「アイツ……本当に自覚ってものがないのか……?!」
呆れすぎて目眩がしそうになるのを、どうにかこうにかこらえて吐き捨てるように呟いて、どかりとソファに沈み込む。
そう。 「今着ているものも洗濯するつもり」だったヒカルは。 服はおろか下着までも脱いでしまっており、素肌の上に白地の浴衣を着ていたのである。 それはもう、無防備すぎるくらい、幼いふくらみのラインも分かるほどで。 一歩間違わなくとも犯罪を誘発して歩くようなものだったのだ。
「アキラ君だったらそのまま失血死しかねんぞ……」
そう呟きながら。 じぶんは「そう」ならないほど大人で良かったなどと意味不明な感慨にひたる緒方であった。
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