2004年03月24日(水) |
『ユキヤナギ 2』(北城家シリーズ) |
幼い子供の力とはいえ、渾身の力で頬をぶたれた男の子は、勢いのままよろろ、と後ろによろけて、転んだ。 そして転んだまましゃくりあげ、ついには大声で泣き始める。 一方、加害者である高耶は…… 彼女は、はあはあと息を荒げ、頬を真っ赤にしたまま、ぎゅっと唇を噛み締め点その大きな黒い目をかっと開いて、相手を睨み付けていた。 肩を少し過ぎるくらいの、まっすぐな黒髪は、朝家を出る時には綺麗に整えられ、髪飾りで可愛らしく飾られていた筈だが、今の彼女にはそんな面影もない。髪はほつれ、あちこちにちらばり、汗で濡れた頬に、その髪のいく筋かがはりついていた。
「――高耶」
氏政が一歩踏み出そうとするよりも先に、転がりこむように駆け寄る人物があった。
「ひろくん!どうしたの?!」 男の子の母親が駆け寄り、服が汚れるのもかまわずに、渡り廊下の湿ったコンクリートにしゃがみこんだ。 「おかぁさ〜ん」 母親を見つけ、男の子はしがみつき、よりいっそう大きな泣き声があがる。
…しかし、高耶は彼を睨みつけたままだった。
「高耶」
その視線をさえぎるように、氏政がすい、と高耶の前に立つ。 高耶は驚いたように父を見上げ…そして、ふい、と目をそらした。 何かを、隠すように。 どこか、怯えるように。
そんな娘の様子に、昔の三郎を見たような気がして、氏政は眉をよせた。 氏政は、片膝をついて娘と視線を合わせる。 しかし高耶は頬をふくらませ、顔をそむけたままだった。
「高耶」
――少しきつい口調に、びくり、と高耶の肩がはねる。
「高耶。どうして友達を叩いたりしたんだ」
「………………」
高耶は口をとざしたまま、顔を伏せる。
「…理由があるなら、ちゃんと話しなさい」 「………………」
小さな手が、ぎゅ、とスカートを掴んだ。 しかし高耶から何も言葉はない。
「理由もなく、お前は人に暴力をふるったりするのか?」 「……………………」
おし黙る高耶に、氏政はため息をついた。 そして泣きじゃくる男の子と、その母親に向かう。
「…すいません。うちの娘が。理由もなく人を傷つけた上に、謝りもしない。こんな風に育ててしまった、私の責任です」 申し訳ない…そう言って、氏政は床に手をついた。
「……ちが――!」
悲鳴に近い声で、高耶が叫んだ。…しかし、途中でおし黙ってしまう。
「………」
氏政は、そんな高耶の様子を見つめるしかできなかった。
「…ねぇ。たかちゃんのおとーさん」
そんな沈黙が落ちた時、少女から声をかけられた。
「わるいのはね、ひろくんなんだよ。ひろくんが、たかちゃんのリボンをとってっちゃったの」 またひとり、少女が高耶をかばうように進み出た。 「たかちゃん、「かえして」って、言ったんだよ」 続いてもう一人。 「…でも、ひろくんはリボンをもったままにげて…たかちゃんはおいかけて…リボンをつかまえたの」 「そうしたら…リボンが……」
高耶の固く握られた拳が、ふとゆるんだ。 そこからこぼれ落ちたのは、古い着物布で作られた、見覚えのある柄のリボン。それは無惨に縦に破れ、ほつれ、さらに握りしめられたことによってくしゃくしゃになっていた。
自分の手から落ちたそれを、高耶は慌てて拾う。 うつむいたまま。 その肩は、細かく震えて。
「………めん……さ……」 ――せっかく、かあさまが作ってくれたのに。
「ご……んな……い……」 ――とうさまが、入園式に結んでくれたリボンなのに。
「……ごめ…ん……なさ……っ、…い………」 ――お祖母さまの着物からもらった、大切な、たいせつな………
それを、こんなにしてしまって。 だから許せなかった。 リボンがこんなになってしまったのが分かったら、きっと……嫌われると思った。 「大事にするのだぞ」 ――そう言って、とうさまが結んでくれたのに。
―――なのに――――!
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――!」
高耶は、ぼろぼろになったリボンを握りしめたまま、ぼろぼろと大粒の涙をこぼした。
そして父は。 ようやく高耶が黙っていた理由と、人を叩いた理由を知った氏政は、泣きじゃくる娘を力強く抱き寄せて、さらさらと指に心地よい娘の髪をくり返し、くり返し、なぜてやった。
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