petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2004年04月02日(金) 『ユキヤナギ 3』(北城家シリーズ)

氏政の腕の中ではげしく震えていた肩が、ようやく、小刻みにしゃくりあげるようになる。
ちいさな手で、しっかりと自分の服にしがみつく高耶。
そのいじらしい力が、この上もなく愛しかった。

――あの日、抱きとめられなかったものを、今、取り返せたような気がする。

よくぞ自分のもとに生まれてきてくれたものだ。


そんな感慨を持ちながら、氏政はぽんぽん、と娘の背中を叩いた。
「…高耶」
低く、やわらかな父の声に、高耶はそっといらえを返した。
「……はい………」
氏政は、自分にしがみついたままだった娘をそっと離し、涙に濡れた顔をのぞきこむ。
「リボンを取り上げられて、挙げ句、切れてしまったことが悲しかったのは分かる」
…その時のことを思い出したのか、高耶の目にはじわ…とまた涙が浮んだ。
氏政は、そんな娘をなだめるように、艶のある黒髪を撫でた。
そして静かに話す。
「あのリボンを、とても大切にしてくれていたのは、私も嬉しいよ。…たぶん、母さまもそうだろう」
――だから大丈夫、そのリボンを切ってしまっても、おまえを嫌いになんて、ならないから。
そう思いをこめながら、氏政は、じっと高耶の目を見つめる。

「――しかし、いきなり友達に暴力を振るうのは、良いことだと思うか?」
「…………………」
「高耶」
聡明な光を宿す高耶の瞳が、じっと父親を見つめている。
何か口を開こうとして、彼女はためらうように閉じた。しかし、何か言いたげな表情はそのままに。
(…きっと、この子は分かっているのだろうな)
もう、先程のような興奮状態ではない。
自分のしたことが……非であることは、分かっているのだろう。
――分かっていながらも、許せなかったのだ。
それほどまでに、大切に思ってくれていたのだ。
祖母の古びた着物のはぎれから母親が作り、入園式の日に、自分が結んでやった、ただの一本のリボンを。

――その気持ちは愛しくて仕方ないのだが……自らの非を受け入れられない、矮小な人間には、なってほしくない。
「…どうかな。高耶。友達に、何か言わなくてはならないのではないか?」
「…………………」
うつむいたまま、高耶は母親に抱かれたままの男の子に向き直った。
しかしなかなかどうして、強情な娘のことだ。男の子に向かうと、先程までの気弱な様子はなく、ぎゅ…とはりつめた様な風情で、相手を見つめていた。
この矜持の高さは……やはり、昔のままだなと、氏政は微笑ましい思いだった。

「………たたいて……ごめんなさい……………」

ぼそりと。
非常にぶっきらぼうではあるが、高耶は、謝罪の言葉を口にした。
「あらあら。こちらこそごめんね〜。高耶ちゃんのリボン、うちの子が取り上げたりなんかするから……ほら、淳広!ごめんなさいは?!」
母親にきつく促され、男の子はようやく、母の腕の中から高耶をおずおずと見る。彼が顔を上げるや否や、高耶はつかつか、と彼に歩み寄った。男の子はびくり、と肩を震わせる。
強い意志を黒目がちの大きな目に表して、彼女はつい、と右手を差し出した。

「かえして」

切れてしまったリボン。その切れ端が……小さく、まだ彼の手元に残っていた。
「…まぁ!ほら、早く高耶ちゃんに返してあげなさい!ごめんね高耶ちゃん〜あとで、おばちゃんが新しいリボン、プレゼントするわね」
彼女の言葉に、高耶はかぶりを振った。
「…ううん、いらない」
そして、真っ直ぐに男の子を見つめた。
「…とても、とてもだいじなものなの。……だから、かえして」

その言葉に導かれるように……小さな手から、小さな手のひらに、ぼろぼろになったリボンの切れ端が、こぼれおちた。
「……ごめんね」
小さな、かぼそい声とともに。
高耶はようやく安心したようにぎゅ、と古いリボンを胸に抱きしめ、ふわりと微笑んだ。
「ありがとう」

その微笑みはとてもあどけなく。
本当に大切なものが自分の元に返ってきた喜びにあふれていて。
一瞬、周囲の者が思わず見とれるくらい、きれいな笑顔だった。


「よかったね、たかちゃん」
「よかったね!」
仲の良い友達から声をかけられ、高耶は嬉しそうに微笑み返す。
「うん」


「高耶、リボンを見せてみなさい」
高耶は、父の言葉に少しためらったものの、父の言う通りに切れてしまったリボンを父の大きな手のひらにのせた。…叱られることはないと思っても、やっぱり、あまり見せたくはなかったのだが。
氏政はしげしげとそのリボンを見、手で状態を調べた。
「…とうさま。リボン……元にもどらない?」
「そうだな」
父の答えに、高耶は表情を曇らせた。
「リボンにはならぬが……この糸を、丁寧にほぐして、紡ぎ直す事ならできるぞ」
「?」
言葉が分からず、首をかしげている娘に苦笑し、氏政は、子供にも分かるように言いなおす。
「…この、リボンを作っている糸を、一本ずとほどいて、ばらばらにしてから、もう一度つなぎ直すのだ。そうして…そうだな。今度は、髪飾り用の組み紐に編み込んでもらうか」
「…そんなことができるの?!」
「元のリボンには戻らぬが…それでも良いか?」
「うん!とうさまがつくるの?!」
娘の無邪気な問いに、氏政は苦笑した。
「いや、私ができるのは糸をほどくまでだな。つないで、組み紐に仕立て上げるのは、小太郎がしてくれようぞ」
「こたおじいちゃまが?!」
高耶の目がキラキラと光った。
器用で、何でもできて、何でも知っている物静かな老執事、小太郎は、高耶の大のお気に入りだ。
「…ああ。…さ、母さまも心配している。早く帰るとしよう。自分の傘を取ってきなさい」
「はいっ!」

駆け出して行く娘を見守り…そして、氏政はす、と立ち上がった。180を越える長身の彼に、皆圧倒されたかのように見上げる。
「御騒がせして申し訳ない。…淳広くんの怪我は…大丈夫かな?」
怜悧ともいえる美貌の主に語りかけられ、男の子の母親は顔を赤らめながら立ち上がった。
「えええvvそんな、お気遣いいただくほどのものではないです〜。本当に、申し訳ございません、ウチの子が……」
長身の氏政におびえてか、母親の脚ににまとわりついたまま、彼は顔をだそうとしない。
(……ふむ、高耶の方が器は上だな……当然だが)
流石北条のの血筋。…と、冷静な表情の裏で、氏政は親バカ丸出しの思考にひたっていたのであった。
「では、お先に失礼する」

軽く会釈をして踵を返すさまも、まるで仕舞の所作のように流麗で、隙がない。


「たかちゃんのおとうさんって、かっこいいね」
友達にこっそりささやかれて、高耶は誇らしげに微笑んだ。
「うんvv」

そして駆け出す。
大きな傘をさして待つ、父のもとへ。
「きょーちゃん、あやちゃん、のんちゃん、バイバイ!」
「ばいばい!」
「またあしたね〜!」
「ばいば〜い♪」

途中振り返って友達に手を振ると、また高耶は駆けだして、氏政の横に並んだ。伸ばされた手を、氏政は自然に取り、手をつなぐ。
「高耶、高耶が大好きだという花はどこに咲いてるか、教えてくれるか?」
「うん!あのね、もう少しいったところに、たくさんさいてるの!」



大きな黒い傘と、小さな黄色い傘。
やわらかな春の雨のなか、ふたつの傘が、ゆっくりと、ゆっくりと、遠ざかっていった。


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